百物語 (新潮文庫)
新潮文庫ですが、中身は漫画です。
この作品の魅力を言葉で説明するのは大変難しいのですが、
その世界観を端的に表すならば、一つ角を曲がったらそこはもうこの世にあらず、といった感じでしょうか。
死んだ父が、既に自分の年を越えた息子を迎えに参り、息子は父をもてなす。懐かしい人との再会。
「然らば、参ろうか」と言う父。その時、その息子の娘が「どうぞ、お一人でお帰りなさいませ」と静かに懇願する…。
我々の住む世界とは明らかに違う世界が、同じ日常の中にある。
境界線はきわめて曖昧で、しかしその一線を超えた者は決してこの世の者には戻れない。
少し不気味で、不思議な話の数々。しかしそこで描かれる異形の者達は、所謂ホラーの住民達ではない。
強く畏怖されるでもなく、彼等は普通にそこに存在している。
生まれては死んでいく、人の一生が至極当然な事と同じ様に、彼等もまた、そこに当然のように存在している。
子供の頃、自分はひょんな事からこの世とは違う世界を垣間見ることがあるのではと夢想することが往々にしてあった。
いや、この世界そのものが、既に摩訶不思議の舞台なのではと思う事も。
遠く江戸の人々には、そのような無邪気な心が絶えずあったのだろうか。
ならば何時、僕らはそれを捨ててしまったのだろうか? どうして僕らは、絶えず恐れ続けるようになったのだろうか?
この作品の魅力を言葉で説明するのは大変難しいのですが、
その世界観を端的に表すならば、一つ角を曲がったらそこはもうこの世にあらず、といった感じでしょうか。
死んだ父が、既に自分の年を越えた息子を迎えに参り、息子は父をもてなす。懐かしい人との再会。
「然らば、参ろうか」と言う父。その時、その息子の娘が「どうぞ、お一人でお帰りなさいませ」と静かに懇願する…。
我々の住む世界とは明らかに違う世界が、同じ日常の中にある。
境界線はきわめて曖昧で、しかしその一線を超えた者は決してこの世の者には戻れない。
少し不気味で、不思議な話の数々。しかしそこで描かれる異形の者達は、所謂ホラーの住民達ではない。
強く畏怖されるでもなく、彼等は普通にそこに存在している。
生まれては死んでいく、人の一生が至極当然な事と同じ様に、彼等もまた、そこに当然のように存在している。
子供の頃、自分はひょんな事からこの世とは違う世界を垣間見ることがあるのではと夢想することが往々にしてあった。
いや、この世界そのものが、既に摩訶不思議の舞台なのではと思う事も。
遠く江戸の人々には、そのような無邪気な心が絶えずあったのだろうか。
ならば何時、僕らはそれを捨ててしまったのだろうか? どうして僕らは、絶えず恐れ続けるようになったのだろうか?
一日江戸人 (新潮文庫)
おもしろい。シティライフをエンジョイしていた江戸の人々。
決め手は独自の美意識(粋、洒落、気風の良さ)に確固な自信と誇りを持っていること。
江戸の人にとって、武士階級のファッションは野暮の典型。
大奥の絢爛豪華な衣装や武士の格式ばった格好は嘲笑の的だったそうです。
名画「カサブランカ」のあの有名なセリフ場面(君の瞳に・・)のところを杉浦さんは江戸語訳しておられますが、
江戸の人たちが観たら逃げ出すだろうというのは、予想がつきます。
まじないやらファッションのこだわりやら好かれる外来種の動物やら、マンガも入っていてとても楽しい。
庶民パワーが感じられる本です。
決め手は独自の美意識(粋、洒落、気風の良さ)に確固な自信と誇りを持っていること。
江戸の人にとって、武士階級のファッションは野暮の典型。
大奥の絢爛豪華な衣装や武士の格式ばった格好は嘲笑の的だったそうです。
名画「カサブランカ」のあの有名なセリフ場面(君の瞳に・・)のところを杉浦さんは江戸語訳しておられますが、
江戸の人たちが観たら逃げ出すだろうというのは、予想がつきます。
まじないやらファッションのこだわりやら好かれる外来種の動物やら、マンガも入っていてとても楽しい。
庶民パワーが感じられる本です。
百日紅 (上) (ちくま文庫)
文化11年(1814年)・江戸。浮世絵師・葛飾北斎と、娘で彼女も優れた浮世絵師だったお栄、北斎門下の弟子で居候している池田善次郎。三人の身の回りに起こる不思議な出来事や怪異、あるいは日常のひとコマが描かれている漫画です。
三人が暮らす家の中の、まあちらかっていること。反古にした紙くずは散らばっているわ、その他もろもろ、足の踏み場もありません。その中に、ふとんを引っ被った北斎がいて、父親の代筆を務めているお栄(葛飾応為)がいて、遊び人の弟子の善次郎(英泉)がいて、部屋はこれでいっぱい。昔何かで読んで予想していたとおりのごちゃごちゃぶりでした。
意に添わぬ仕事はしない。しかし絵筆をとって描き始めるや、気韻生動、今にも動き出しそうな龍や化け物なんぞの絵を描き上げてしまう北斎。90歳まで生きた彼がまだ50代半ばの頃ですから、矍鑠(かくしゃく)としていて、一徹な頑固親爺を絵に描いたよう。その父親の許で、自らも浮世絵師としての才能を生かしていくお栄。女遊びをしながら、自分の得意分野で技を磨いていく善次郎。北斎とは対立する歌川派の浮世絵師ながら、北斎の画風を慕って出入りする歌川国直。彼らの生き生きとした息遣いと絵に賭ける情熱が、杉浦日向子さんの漫画から伝わってきました。
そして、絵の中から立ち上り、聞こえてくるような江戸の町のざわめき。物の怪やあやかしが生活の中に息づいている江戸の町の空気。それがとっても素晴らしかった!
例えば、お栄がジャンジャンと鳴る半鐘の音につられてだっと家を飛び出し、よその家の屋根に上って火事を見物する場面。例えば、北斎と善次郎が家の屋根に上って、景色を眺めながら会話をしている場面。例えば、国直と国芳(歌川国芳)が夜道を歩いて化銀杏(ばけいちょう)に会いに行く場面。
話のそこかしこに、江戸の情趣が、江戸の空気が感じられて、心なつかしい思いに誘われました。宮部みゆきさんの時代ものミステリや、藤沢周平さんの時代小説に通じるような味わい。人情の機微のあたたかさや粋な風情が心を明るくしてくれるような味わい。そうした胸に満ちてくるなつかしさ、あたたかさが、杉浦日向子さんの『百日紅(さるすべり)』上下巻にありました。
三人が暮らす家の中の、まあちらかっていること。反古にした紙くずは散らばっているわ、その他もろもろ、足の踏み場もありません。その中に、ふとんを引っ被った北斎がいて、父親の代筆を務めているお栄(葛飾応為)がいて、遊び人の弟子の善次郎(英泉)がいて、部屋はこれでいっぱい。昔何かで読んで予想していたとおりのごちゃごちゃぶりでした。
意に添わぬ仕事はしない。しかし絵筆をとって描き始めるや、気韻生動、今にも動き出しそうな龍や化け物なんぞの絵を描き上げてしまう北斎。90歳まで生きた彼がまだ50代半ばの頃ですから、矍鑠(かくしゃく)としていて、一徹な頑固親爺を絵に描いたよう。その父親の許で、自らも浮世絵師としての才能を生かしていくお栄。女遊びをしながら、自分の得意分野で技を磨いていく善次郎。北斎とは対立する歌川派の浮世絵師ながら、北斎の画風を慕って出入りする歌川国直。彼らの生き生きとした息遣いと絵に賭ける情熱が、杉浦日向子さんの漫画から伝わってきました。
そして、絵の中から立ち上り、聞こえてくるような江戸の町のざわめき。物の怪やあやかしが生活の中に息づいている江戸の町の空気。それがとっても素晴らしかった!
例えば、お栄がジャンジャンと鳴る半鐘の音につられてだっと家を飛び出し、よその家の屋根に上って火事を見物する場面。例えば、北斎と善次郎が家の屋根に上って、景色を眺めながら会話をしている場面。例えば、国直と国芳(歌川国芳)が夜道を歩いて化銀杏(ばけいちょう)に会いに行く場面。
話のそこかしこに、江戸の情趣が、江戸の空気が感じられて、心なつかしい思いに誘われました。宮部みゆきさんの時代ものミステリや、藤沢周平さんの時代小説に通じるような味わい。人情の機微のあたたかさや粋な風情が心を明るくしてくれるような味わい。そうした胸に満ちてくるなつかしさ、あたたかさが、杉浦日向子さんの『百日紅(さるすべり)』上下巻にありました。