ダイアナ―恵まれない人びとに手をさしのべたプリンセス (小学館版 学習まんが人物館)
1997年の夏の終わりごろもたらされたダイアナ妃の、あまりに突然の訃報。
この訃報を世界が悲しみ、世界が彼女の死を悼んだことは今なお記憶に新しい。
私もテレビのニュース速報で大いに驚き「惜しい方を亡くした…」と思ったものだがこの一冊にその思いを新たにした。
ダイアナ自身は幼少期も結婚後も家庭に恵まれなかったが、それで世をすねるのではなく
自分が愛されたかった分たくさん人を愛してあげたいと願える人間性の豊かさ。
ヴォランティアや地雷除去という目標のためなら、
何をやっても人の注目を集めてしまう悩みをも逆に利用してしまう行動力。
そんなダイアナの魅力がいちかわのりの優雅で表現力豊かなまんがから十二分に伝わって来る。
姉の拒食症、ダイアナの過食症や自殺未遂といった深刻なエピソードを
児童書でもさらりと表現できるようになったのは、
心の病にわずかながらも理解の進んだ現代という時代のなせる業だろう。
そういう意味では今の時代だから描ける本だと思う。
この訃報を世界が悲しみ、世界が彼女の死を悼んだことは今なお記憶に新しい。
私もテレビのニュース速報で大いに驚き「惜しい方を亡くした…」と思ったものだがこの一冊にその思いを新たにした。
ダイアナ自身は幼少期も結婚後も家庭に恵まれなかったが、それで世をすねるのではなく
自分が愛されたかった分たくさん人を愛してあげたいと願える人間性の豊かさ。
ヴォランティアや地雷除去という目標のためなら、
何をやっても人の注目を集めてしまう悩みをも逆に利用してしまう行動力。
そんなダイアナの魅力がいちかわのりの優雅で表現力豊かなまんがから十二分に伝わって来る。
姉の拒食症、ダイアナの過食症や自殺未遂といった深刻なエピソードを
児童書でもさらりと表現できるようになったのは、
心の病にわずかながらも理解の進んだ現代という時代のなせる業だろう。
そういう意味では今の時代だから描ける本だと思う。
聖徳太子―仏教伝来と法隆寺 (学研まんが人物日本史 大和時代)
日本史の中で最初の著名人が「卑弥呼」なら、「聖徳太子」はその次くらいに来ます。
時代はまだ日本の黎明期にあたる飛鳥時代。
この頃はまだ天皇の権力は弱く、有力な豪族の力を借りずには政権の運営が出来ませんでした。
さらに朝鮮半島から渡ってくる渡来人により大陸の優れた技術が数多く伝えられ、仏教も崇拝されるようになりました。
ですが欽明天皇時代に伝わった仏教も当初は排仏派の「物部氏」と崇仏派の「蘇我氏」との争いが続き、
やがて両者の争いにまで発展していきました。聖徳太子は蘇我氏と縁が深かった関係上、蘇我氏に味方する形で物部氏を打倒。
しかし、これにより蘇我氏の独裁が強まり、本来ならば帝になるべきはずの聖徳太子も蘇我馬子の妨害で即位は為らず。
日本初の女帝である「推古天皇」の摂政として国づくりを行うこととなりました。
ですが、太子の人生は常に蘇我氏の権力の脅威の前に妥協と決断を迫られるものだったようです。
折りしも、朝鮮半島では百済・高句麗が勢力を伸ばして任那日本政府が滅ぼされる事態に直面。
地続きでなかったから簡単には攻め込まれなかったものの、大陸との戦の脅威が強まり、
これは聖徳太子の次の時代の「天智天皇」時代に白村江の戦いとなって日本の敗北に繋がります。
政治的には幼い頃から仏教を崇拝し、鎮護国家の思想に帰依した太子でした。
ですが、最終的には蘇我氏を滅ぼすことは出来ず、太子の死後、その子孫は蘇我氏に攻められ滅亡することに。
子孫に禍根を残してしまったことが太子の最大の無念ではあったのではないでしょうか。
時代はまだ日本の黎明期にあたる飛鳥時代。
この頃はまだ天皇の権力は弱く、有力な豪族の力を借りずには政権の運営が出来ませんでした。
さらに朝鮮半島から渡ってくる渡来人により大陸の優れた技術が数多く伝えられ、仏教も崇拝されるようになりました。
ですが欽明天皇時代に伝わった仏教も当初は排仏派の「物部氏」と崇仏派の「蘇我氏」との争いが続き、
やがて両者の争いにまで発展していきました。聖徳太子は蘇我氏と縁が深かった関係上、蘇我氏に味方する形で物部氏を打倒。
しかし、これにより蘇我氏の独裁が強まり、本来ならば帝になるべきはずの聖徳太子も蘇我馬子の妨害で即位は為らず。
日本初の女帝である「推古天皇」の摂政として国づくりを行うこととなりました。
ですが、太子の人生は常に蘇我氏の権力の脅威の前に妥協と決断を迫られるものだったようです。
折りしも、朝鮮半島では百済・高句麗が勢力を伸ばして任那日本政府が滅ぼされる事態に直面。
地続きでなかったから簡単には攻め込まれなかったものの、大陸との戦の脅威が強まり、
これは聖徳太子の次の時代の「天智天皇」時代に白村江の戦いとなって日本の敗北に繋がります。
政治的には幼い頃から仏教を崇拝し、鎮護国家の思想に帰依した太子でした。
ですが、最終的には蘇我氏を滅ぼすことは出来ず、太子の死後、その子孫は蘇我氏に攻められ滅亡することに。
子孫に禍根を残してしまったことが太子の最大の無念ではあったのではないでしょうか。
マザー・テレサ―貧しい人びとに限りなき愛をそそいだ現代の聖女 (小学館版学習まんが人物館)
娘が学習まんがが好きで購入しましたとても勉強になります、私が子供の頃は[偉人]と言いましたが、娘には通じませんでした。