サビてからでは遅いのだ メルセデス ベンツ ドアストライカー カバー
いったいどの車種の形状にあうものなのでしょうか?・・少なくとも・・Bクラスには合いませんよ!
W204とかちゃんと型式を記載してもらいたいものです。
購入したのですが・・所有の車2台とも合いませんでした・・
でも・・・最近購入したSLK55AMG(R172)には、取り付けることができましたので、「よし!」とすべきでしょうね!
もちろんSLKですから、2つしか使用しませんでしたが・・
W204とかちゃんと型式を記載してもらいたいものです。
購入したのですが・・所有の車2台とも合いませんでした・・
でも・・・最近購入したSLK55AMG(R172)には、取り付けることができましたので、「よし!」とすべきでしょうね!
もちろんSLKですから、2つしか使用しませんでしたが・・
下天を謀る〈上〉 (新潮文庫)
本作品を読む前の高虎の印象は計算高い男。戦国渡り鳥。
いざ読んでみると結構、天下万民の為に家康と協力して、政を行う義の男。に描かれている。
それを裏付ける資料もある。
ただ終始かっこよすぎて、「ホントかよ?」と思ってしまう所も多々あり。
下巻の途中、築城のノウハウが長々と書かれているが、さすがに郭のイメージが頭で描けず、
挿絵を挟むか、いっそのこと省略してくれたほうが良かったかもと思った。
いざ読んでみると結構、天下万民の為に家康と協力して、政を行う義の男。に描かれている。
それを裏付ける資料もある。
ただ終始かっこよすぎて、「ホントかよ?」と思ってしまう所も多々あり。
下巻の途中、築城のノウハウが長々と書かれているが、さすがに郭のイメージが頭で描けず、
挿絵を挟むか、いっそのこと省略してくれたほうが良かったかもと思った。
等伯 〈上〉
絵師としての名声を競い合った長谷川等伯と狩野永徳の関係を、由緒あるオーナー企業の跡取りで、学歴も実力も申し分ないスーパーエリートと、田舎から出てきた荒削りの天才的ベンチャー創業者のように描いていて面白い。彼らのパトロンである利休、秀吉、朝廷との息が詰まるような駆け引きを通じて、芸術の世界においても、才能だけでは後世に名を残すような大仕事はできないということを改めて思い知る。
政治力、組織力、資金力、そのすべてを備えていた狩野派を前に、等伯の持てるものといえばほとばしるような情熱と、その情熱を通じて固くむすばれた家族しかなかったが、己の執念と妻や息子の働きで、金脈や人脈を手繰り寄せながら長谷川派として徐々に勢力を増していく。しかし、公家、武士、僧侶、宣教師、商人たちが入り乱れ、それぞれに他者を利用してのし上がろうとしていた戦国時代のカオス都市、京都において、そうやすやすとてっぺんがとれるわけがない。
当代一の絵描きとなって、長谷川派の名を天下に知らしめたいという野心にひたすら忠実に生きる等伯は、愛する者をことごとく悲惨な目に遭わせてしまう。義父母、最初の妻、師であり心の支えだった利休、そして最愛の息子、久蔵。絵描きの業は身内をも犠牲にしてしまうのである。戦国という時代は一個人の執着に対する対価がとてつもなく大きい時代だった。一方等伯のライバル、永徳は、すべてを持って生まれてきた者の業を背負い、華々しい活躍の裏でひとり苦しんでいる。等伯と永徳という二人の天才を、どこまでも人間臭く描いているところに引き込まれた。脇役たちでいえば、等伯の実兄、武之丞、主君畠山善綱の娘、夕姫は人間のいやらしさがよく出たなかなかの悪役ぶりだった。夕姫が嫁いだ三条西家の近衛前久のみがスーパーヒーローで、映画やドラマになったときにはっもっとも美味しい役だろう。
聚楽第、大徳寺三門、祥雲寺、名護屋城。本書の舞台となった城や寺はいずれも聖俗の権力の象徴であり、建築や絵画、造園をめぐって隠密が行き交い、金が飛び交い、ときには人命が犠牲になったことは想像に難くない。等伯が松林図屏風を仕上げたころ、秀吉は圧倒的な富と権力を手にしながら、滅びに向かっていた。激しくもはかなく、燃えさかったまま凍てついたような松林の図は、煌びやかな安土桃山時代の幕引きにふさわしい。宣教師たちをも戦慄させた血ぬられた都で、見る者を「幽玄の彼方」へ導く絵が生まれた理由。スーパーヒーロー、近衛前久の言葉が、著者の答えである。
「俺ら政にたずさわる者は、信念のために嘘をつく。時には人をだまし、陥れ、裏切ることもある。だが、それでええと思とるわけやない。そやさかい常しえの真・善・美を乞い求め、心の底から打ち震わしてくれるのを待っとんのや」。
前久、おいしすぎる役回りである。法華経の教えについて多少なりとも知識があればもう少し深い読み方ができたかもしれない。それが残念。
政治力、組織力、資金力、そのすべてを備えていた狩野派を前に、等伯の持てるものといえばほとばしるような情熱と、その情熱を通じて固くむすばれた家族しかなかったが、己の執念と妻や息子の働きで、金脈や人脈を手繰り寄せながら長谷川派として徐々に勢力を増していく。しかし、公家、武士、僧侶、宣教師、商人たちが入り乱れ、それぞれに他者を利用してのし上がろうとしていた戦国時代のカオス都市、京都において、そうやすやすとてっぺんがとれるわけがない。
当代一の絵描きとなって、長谷川派の名を天下に知らしめたいという野心にひたすら忠実に生きる等伯は、愛する者をことごとく悲惨な目に遭わせてしまう。義父母、最初の妻、師であり心の支えだった利休、そして最愛の息子、久蔵。絵描きの業は身内をも犠牲にしてしまうのである。戦国という時代は一個人の執着に対する対価がとてつもなく大きい時代だった。一方等伯のライバル、永徳は、すべてを持って生まれてきた者の業を背負い、華々しい活躍の裏でひとり苦しんでいる。等伯と永徳という二人の天才を、どこまでも人間臭く描いているところに引き込まれた。脇役たちでいえば、等伯の実兄、武之丞、主君畠山善綱の娘、夕姫は人間のいやらしさがよく出たなかなかの悪役ぶりだった。夕姫が嫁いだ三条西家の近衛前久のみがスーパーヒーローで、映画やドラマになったときにはっもっとも美味しい役だろう。
聚楽第、大徳寺三門、祥雲寺、名護屋城。本書の舞台となった城や寺はいずれも聖俗の権力の象徴であり、建築や絵画、造園をめぐって隠密が行き交い、金が飛び交い、ときには人命が犠牲になったことは想像に難くない。等伯が松林図屏風を仕上げたころ、秀吉は圧倒的な富と権力を手にしながら、滅びに向かっていた。激しくもはかなく、燃えさかったまま凍てついたような松林の図は、煌びやかな安土桃山時代の幕引きにふさわしい。宣教師たちをも戦慄させた血ぬられた都で、見る者を「幽玄の彼方」へ導く絵が生まれた理由。スーパーヒーロー、近衛前久の言葉が、著者の答えである。
「俺ら政にたずさわる者は、信念のために嘘をつく。時には人をだまし、陥れ、裏切ることもある。だが、それでええと思とるわけやない。そやさかい常しえの真・善・美を乞い求め、心の底から打ち震わしてくれるのを待っとんのや」。
前久、おいしすぎる役回りである。法華経の教えについて多少なりとも知識があればもう少し深い読み方ができたかもしれない。それが残念。