赤道南下 (中公文庫)
『火星兵団』や『海底大陸』などの作品があり、日本のSF小説の始祖として知られる著者。本書は1941年に海軍報道隊員とし巡洋艦『青葉』に乗船した記録。1942年に『赤道南下』として講談社から出たものの復刊になる。
第二次大戦中には、多くのジャーナリスト、作家、画家が戦争動員された。満州や南方に送られ、「占領地や戦場の現実」を報告させられたのである。日本の支配を喜ぶ現地人や、破竹の勢いで勝ち進む日本軍の活躍が伝えられ、戦意高揚に大いに役立ったらしい。しかし、それが現実でなかったのは言うまでもない。また、現在では戦争協力作品に対して非常に厳しい評価が与えられている。
しかしながら本書は、一般の戦争協力作品とは趣を異にする。ものすごくのんびりとした作品なのだ。軍艦での呑気な生活がだらだらと描かれる。病気持ちで、肥満していて、動きが鈍く、規律に疎いという、およそ軍隊向きとは思われない海野が、自己戯画化はしつつも見事に軍に溶け込んでいるのである。
1941年当時は日本が楽勝ムードに浸っていた時期であった。また、海野は乗艦中に実際の戦闘を経験していない。しかし、それだけでは説明の出来ない不思議なのんびり感が漂っているのである。
もちろん本書も戦争協力作品であるから、様々な欺瞞や虚構に満ちている。実際の戦争の惨状が明らかになっている現在からすれば、多くの問題点が見える。とはいえ、こうした文学に新しい光を当て、再評価していく必要を感じた。
海野十三戦争小説傑作集 (中公文庫)
■2004年7月25日に、長山靖生編『海野十三戦争小説傑作集』(中公文庫、286頁)が出た。海野が昭和12年から19年にかけて発表した戦争テーマの短編小説11編を収めている。内6編は、三一書房版『海野十三全集』未収録作品だ(「空襲下の国境線」「若き電信兵の最後」「アドバルーンの秘密」「探偵西へ飛ぶ」「撃滅」「防空都市未来記」)。長山氏の行き届いた解説が相変らず冴え渡っている。
■中公文庫は昨(2003)年7月25日にも海野十三の『赤道南下』(314頁)と、長山氏編のアンソロジー『明治・大正・昭和 日米架空戦記集成』(海野の昭和8年発表の短編「空ゆかば」収録、292頁)を刊行している。『赤道南下』は三一書房版『全集』では抄録、「空ゆかば」は同『全集』未収録作品だった。
■これらの背景には没後50年が経過したことによる著作権解除があるにせよ、全集を補完する作品集が今もなお刊行され続けることは、ファンや徳島県にとって本当にありがたいことだといえよう。海野十三の会理事として版元・編者等出版関係者に深く感謝したい。
海野十三敗戦日記 (中公文庫BIBLIO)
本書は、空想科学小説作家海野十三(うんの・じゅうざ)の戦中日記である。期間は、1944年(昭和19年)末から約一年間。東京・若林(世田谷区)に住む海野家の上空を、米軍機が轟音をたてて飛び交う。そんな状況が、科学者らしい正確さとリアリティをもって記録されている。米機による最初の空襲は、昭和19年11月1日。その後、空襲は日増しに激しさを増す。家族ともども防空壕に逃げ込んだり、戻ったりの日々だ。間隙をぬって、作家仲間や旧友と交流し、情報交換や生活用品の物々交換をする。1945年(昭和20年)3月には、嫁いだ娘の付き添いで鹿児島へ行く。往復で6六日もかかる旅だった。鹿児島に向かう列車の窓から、神戸南部の工場地帯が燃えているのが見る。そんな記録も出てきた。海野十三にとって神戸の地は第二の故郷。小学校三年から神戸一中(現神戸高校)卒業まで過ごした地だ。
広島の原爆投下は8月10日付の新聞で知る。日記には「これまでに書かれた空想小説などに原子爆弾の発明に成功した国が世界を制覇するであろうと書かれているが、まさに今日、そのような夢物語が登場しつつある」と記していた。日本のSF界の父といわれる海野十三が書き残した同時代の記録は、六十年の歳月を経ていまだに色褪せていない。海野十三は、1897年(明治30年)徳島市の生まれ。小学校三年のとき、父が神戸税関に転職したので神戸に転居する。神戸一中卒業後、早稲田大学理工学部に学び、逓信省電気試験所に勤務した。その後、電気特許事務所を開き、夜は小説を書く生活を続ける。「新青年」「オール読物」や少年雑誌を舞台にロケットや宇宙船が登場する空想科学小説を書き人気を得る。終戦直後、一家で自殺を図ろうとするが、思いとどまる。しかし、戦後間もない1949年(昭和24年)に、結核のため死去した。51歳だった。