夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)
村上の特徴は、自作との距離感にある点を強く感じた。
村上は繰り返し本を書き始めた時には結末がどうなるか分かっていないと言う。
書いて行く内に、その物語が「語って欲しい事」を見つけ、イタコが語るかのように書くというイメージだ。物語自身は、紛れもなく村上由来であるだけに異様な話だ。「語る自分」と「語られる物語」の間にある距離感を強く感じる。
村上は地下室と井戸を語る。それは自身の心の奥にある暗闇であり、そこには自分の持つ悪と毒があると彼は言う。その暗闇に入り、その悪と毒を吸い、そこから戻ってイタコのように語る。それが彼の創作なのだろうか。自らにある暗闇を相対化し、距離感を組んだ上で、それが自ら語るに任せることが彼の作品なのか。
産み落とした作品への距離感の取り方も独自だ。村上は自作を語る際にも「これは僕個人の意見です」と繰り返す。作品は作品であり、作者であったとしても、既に自分の手を離れた作品に対しては、潔癖とも言える距離感を言う。
村上は、ランニングで象徴される健康的な生活の信奉者だ。その「健康」が何に必要なのかが見えてくる思いがした。「自らの暗闇」及びその結晶としての「作品」との間の距離感を適正に保つということは「健康」でなければ出来ないと彼は言う。距離感が失われたら、村上自身が自分の暗闇に呑みこまれてしまうに違いない。
その意味では本書は「走ることについて語るときに僕の語ること」と対になった作品である。前著が「健康になるために必死の作業」を書いていたとしたら、今回の作品は「僕が健康を必要とするわけ」を素直に書いているのだから。
つくづく村上は真摯な方だと思う。僕自身本書を読んでいて、本当に勉強になった。それは僕自身の中にも「ささやかな暗闇」があるからだろう。そういえば 「偉大なる暗闇」という言葉は、著者が敬愛を示す夏目漱石の言葉だ。
レプタイル
2001年夏NYマジソンスクエアーと同年の冬日本武道館にも行ってきましたが、日本でのステージのほうが格段にパワフルでした。クラプトン自身もプレイを楽しんでいるというのがひしひしと伝わって、彼の神業的ギターも冴え渡っていました。このCDはクラプトンが好きだから作ったという感じで聴いていて思わず笑顔がこぼれてしまいます。いろんな表情のクラプトンが見えて彼の持“範囲”の広さに驚かされる一枚です。ためらっているなら是非だまされたと思って一度買って聴いてみてください。素晴らしいですよ。
Zwilling ネイルクリッパー 42409-000
この爪切りは村上春樹読者が捜し求めていたものではないでしょうか?
あの名作 "世界の終わりとハードボイルドワンダーランド" の35章で
主人公が金物屋で購入し、図書館勤務の女性にプレゼントした爪切り。
これが "のっぺりとした五センチほどの長さのステンレス・スティールの金属片" と書かれたあの爪切りです。
携帯性に優れ切れ味もそこそこよいのですが、全長が小さいためか厚い爪を切るときには若干力が必要です。
足の爪を切るのには向かないでしょう。
しかし、このような "所有する喜び" を感じさせる爪切りは他にありません。
なかなかの逸品です。