テレビアニメ スーパーヒストリー 27「オヨネコぶ~にゃん」~「プロゴルファー猿」
子供の頃丁度見ていた時期のアニメソングが収録されており、全体的に満足のできる収録内容だと感じた。特にオバケのQ太郎エンディングの「BELIEVE ME」を収録しているところがすばらしい。この曲は現代の人が忘れ去った「友情、愛情、思いやり、やさしさ」を連想させ、感動を呼ぶ、アニメソング屈指の名曲である。他にもステップジュンのOP、EDは80年代を思い起こさせ、とても懐かしいし、ぶーにゃん、猿、メカドック等、アニメファンのかゆいところに手が届く構成だと感じる。ただ一つ残念なのは北斗の拳がカバーになっている点であろうか…
ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか? (光文社新書)
新書を読んで泣いた、なんてはじめてだ。
私は、アニメは東映の長編動画(白蛇伝とか、安寿と厨子王とか)から、ヒーロー物は月光仮面からライブで見ていた人間であるが、メディアによって供給されるそれらを見続けた結果、子ども心にも軽くトラウマになっていた疑問、なんで成長物語ってのは男の子のためのものばっかりなんだ、に著者は言及してくれている。
第四章アニメ(女の子編)魔法少女である。
著者はその冒頭を「パンツ」で飾ってくれた。「パンツ」で始まったのはまったく正しい。
本当に、いつからこんなパンツ満載になっちまったんだ。なんでいちいちパンツ見せて戦うんだ。ていうか、女の子のパンツや下着や裸を見てよろこんでいる女の子はいないだろう。視聴者は他にいるんだ。と常々感じていた自分にとって、著者が提示するパンツを見せるに及んだアニメ(女の子)の歴史は、苦い現実だ。
しかし、著者は未来に希望を託す明るい現実も見せてくれる。現代の女の子の物語はもう、パンツを見せたり太ももあらわなレオタード姿になったりはしない、戦うための変身はするがスカートの下はレギンスで決めている、と。
アニメ(女の子編)の締めくくりは、「お気に入りのプリキュアのコスチュームを着た、小さな女の子たちの楽しげな姿が劇場にはあふれていました。パンツは見せずに、レギンスでね」だった。
私は、ここで、不覚にも泣いてしまった。よかったね、女の子たち。やっと、ここまできたんだね、と。
実際に劇場版プリキュアを映画館で女の子たちといっしょに観ている人でなければ、これは書けない言葉だ。著者は膨大な量のDVDを検証しているだけじゃなくて、きっちりフィールドワークもやっている。これは凄い本なのですよ。