出光佐三 反骨の言魂 日本人としての誇りを貫いた男の生涯 (PHPビジネス新書)
”海賊と呼ばれた男”は偉人伝になってしまい、
まるで軍隊の大将のようにある側面だけ強調し、
全てが”美談”になってしまってますが、
コチラのほうが人間味ある”出光佐三”で
読み物としてはコチラが好きです。
愛国主義者で、拝金主義を嫌い、かつ、経営者という、
矛盾してるような気がしますが、何も矛盾してはいません。
まぁ、読んでみてください。 ^^
数字(金・コスト)ばかりの今の御時世に、
人とはかくあるべき、と教えられたような
清々しい気分になりました。
まるで軍隊の大将のようにある側面だけ強調し、
全てが”美談”になってしまってますが、
コチラのほうが人間味ある”出光佐三”で
読み物としてはコチラが好きです。
愛国主義者で、拝金主義を嫌い、かつ、経営者という、
矛盾してるような気がしますが、何も矛盾してはいません。
まぁ、読んでみてください。 ^^
数字(金・コスト)ばかりの今の御時世に、
人とはかくあるべき、と教えられたような
清々しい気分になりました。
北京炎上 (文春文庫)
天安門事件から25年後の2014年中国。再び民主化の嵐が起こり、共産党一党独裁の中国が崩壊に向かう。日本の新聞社の現地記者が主人公となり、激動の中国を目の当たりにしていきます。
誰を指しているのか何となく分かる登場人物も多く、話のテンポも良いため、ぐいぐいと引き込まれて一気読みでした。実際の中国がどうなっていくのか分かりませんが、この小説のような話が起こるというのもあり得ない話ではないかも、と感じました。
面白かったです。
誰を指しているのか何となく分かる登場人物も多く、話のテンポも良いため、ぐいぐいと引き込まれて一気読みでした。実際の中国がどうなっていくのか分かりませんが、この小説のような話が起こるというのもあり得ない話ではないかも、と感じました。
面白かったです。
2025年 日本の死―近未来シミュレーション
平成6年(1994年)に近未来シュミレーションとして書かれた本なので、既に10年間が現実として過ぎていきました。1986年から1993年までは現実を回想、執筆時から2025年までが筆者の想像する近未来でした。
この10年間は予測とかなり異なる道を進みました。常任理事国入りも改憲もロシア連邦の解体も、この期間には起こりませんでした。筆者が日本の政治を担うと考えた顔ぶれは小沢一郎、羽田孜、細川護熙でしたが、現役引退か第二線に引いてしまいました。国際空港建設や広域通信ネットワークを財政難を理由に放棄し禍根を後々に残すという予想は、逆でした。世界最高峰のネットワークを整備し大阪にも名古屋にも国際空港が登場しました。
筆者のように日本経済新聞社という情報中枢の幹部だった人でも、将来予想はこれほど難しいのかと考えざるをえません。同時にこの中間結果は、ペシミストである著者の想像をはるかに超えて現実が残酷なことを示唆しているのではないかと自分には読めるのです。
喩えれば著者が持っていた日本の未来予想は 「人もうらやむ健康体で将来を嘱望される働き盛りが、ある日突然重篤な病に侵され、短期の入院ではあったが闘病の末苦しみながら世を去っていく」 というものです。
しかし、現実はもっとみじめなものになるのではないか。「若い頃から周囲の忠告に耳を傾けることなく、当座さえ良ければいいのだとばかりに不健康な生活を送った。いくつもの成人病を同時併発し内臓機能が弱まるだけにとどまらず、免疫力の低下から皮膚病、眼病、骨粗鬆など、まともな部分を見つけるのが困難な体になった。しかし、それでも与えられた天命は長かった。一日も早く死んで楽になりたいという切なる願いは聞きとどけられず、日々年々からだの機能を失い、汚物にまみれ、嫌悪と嘲笑をあび、家族にも先立たれ、それでも細々とした生命の灯が消えない運命を呪いながら、悲しみと苦しみを長くながく噛みしめなければならなかった」
祖国の未来がこんなことにならないように祈るような気持ちで、これからも折にふれ本書の予測と現実とを見比べていくことになりそうです。
この10年間は予測とかなり異なる道を進みました。常任理事国入りも改憲もロシア連邦の解体も、この期間には起こりませんでした。筆者が日本の政治を担うと考えた顔ぶれは小沢一郎、羽田孜、細川護熙でしたが、現役引退か第二線に引いてしまいました。国際空港建設や広域通信ネットワークを財政難を理由に放棄し禍根を後々に残すという予想は、逆でした。世界最高峰のネットワークを整備し大阪にも名古屋にも国際空港が登場しました。
筆者のように日本経済新聞社という情報中枢の幹部だった人でも、将来予想はこれほど難しいのかと考えざるをえません。同時にこの中間結果は、ペシミストである著者の想像をはるかに超えて現実が残酷なことを示唆しているのではないかと自分には読めるのです。
喩えれば著者が持っていた日本の未来予想は 「人もうらやむ健康体で将来を嘱望される働き盛りが、ある日突然重篤な病に侵され、短期の入院ではあったが闘病の末苦しみながら世を去っていく」 というものです。
しかし、現実はもっとみじめなものになるのではないか。「若い頃から周囲の忠告に耳を傾けることなく、当座さえ良ければいいのだとばかりに不健康な生活を送った。いくつもの成人病を同時併発し内臓機能が弱まるだけにとどまらず、免疫力の低下から皮膚病、眼病、骨粗鬆など、まともな部分を見つけるのが困難な体になった。しかし、それでも与えられた天命は長かった。一日も早く死んで楽になりたいという切なる願いは聞きとどけられず、日々年々からだの機能を失い、汚物にまみれ、嫌悪と嘲笑をあび、家族にも先立たれ、それでも細々とした生命の灯が消えない運命を呪いながら、悲しみと苦しみを長くながく噛みしめなければならなかった」
祖国の未来がこんなことにならないように祈るような気持ちで、これからも折にふれ本書の予測と現実とを見比べていくことになりそうです。