『惡の華』Blu-ray 第六巻
値段が高めなのは本編が三話入ってるからで、それらだけでなく、初期のイベントの収録二本など、入れられるものは全部入れてきている(もしかしたら、第二部が出ない可能性もあるからだろう)。自分はBlu-Rayで買ったが、まずその高画質で本編を、audio commentary(オーディオ・コメンタリー)で製作者の話を聞きながら、さらにmakingを見て本編を見なおしたりと、通常の映画のcommentary付きのものよりも回数を見ることができるものになっている。惡の華は買って損をした感じがしない。
アニメ惡の華は、奇を衒ったとか、サブカル狙いだとか、そんなものではなく、変な商業的な横車に左右されることなく、素晴らしい原作を動画として活かすために、一番適した役者を選び、最高の声優と組み合わせ、そして一番適した手法を採算を度外視して選んだ、ただまっすぐ良い物を作ったそういう作品だ。その出来は黄金期の日本映画や、中原俊の『櫻の園』のような素晴らしい映画を思い起こさせる。そして、その贅沢な表現故に、ただの実写映画を超えたものにもなっている。下手に時代に媚びない真っ直ぐなつくりが、一部の層の反発を招いてしまったが、逆に言えばこの作品はアニメの枠に囚われない普遍性を獲得している。
六巻のmakingでは原作の押見修造が一番作品について語っており、このアニメ版が原作を無視したり、貶めたりしたものである筈がない。才能のある人はいっぱい居て、真摯にまっすぐ取り組めば、日本の製作陣はこれほどの作品を今も創ることができることを示してくれた。そんな作品をこれほど多角的に深くまで見ることができるのはとても幸運でうれしいことだ。こんな作品を創ってくれた監督に、俳優に、声優に、美術に、音楽に、すべての関係者に拍手をおくりたい。
アニメ惡の華は、奇を衒ったとか、サブカル狙いだとか、そんなものではなく、変な商業的な横車に左右されることなく、素晴らしい原作を動画として活かすために、一番適した役者を選び、最高の声優と組み合わせ、そして一番適した手法を採算を度外視して選んだ、ただまっすぐ良い物を作ったそういう作品だ。その出来は黄金期の日本映画や、中原俊の『櫻の園』のような素晴らしい映画を思い起こさせる。そして、その贅沢な表現故に、ただの実写映画を超えたものにもなっている。下手に時代に媚びない真っ直ぐなつくりが、一部の層の反発を招いてしまったが、逆に言えばこの作品はアニメの枠に囚われない普遍性を獲得している。
六巻のmakingでは原作の押見修造が一番作品について語っており、このアニメ版が原作を無視したり、貶めたりしたものである筈がない。才能のある人はいっぱい居て、真摯にまっすぐ取り組めば、日本の製作陣はこれほどの作品を今も創ることができることを示してくれた。そんな作品をこれほど多角的に深くまで見ることができるのはとても幸運でうれしいことだ。こんな作品を創ってくれた監督に、俳優に、声優に、美術に、音楽に、すべての関係者に拍手をおくりたい。
ぼくは麻理のなか : 1 (アクションコミックス)
他人と人格が入れ替わってしまう漫画です。
ありがちな設定ですが一つだけ思わず「えー!?これどーすんの?」みたいな所があって先が読めません。
この部分は詳しく書くと未読の方の面白さが半減すると思うので、ここには書きません。
これからの展開次第でかなり面白くなりそうな漫画だと思います。
ありがちな設定ですが一つだけ思わず「えー!?これどーすんの?」みたいな所があって先が読めません。
この部分は詳しく書くと未読の方の面白さが半減すると思うので、ここには書きません。
これからの展開次第でかなり面白くなりそうな漫画だと思います。
真夜中のパラノイアスター 太田MANGA SINGLES
購入動機としては
1安かった
2作者の他作品が好き
というものでした。
この作品は作者の初期の作品らしく、シナリオも絵もなんともいえない感じでした。
しかし、話の内容、オチにはある種の衝撃をうけました。
1安かった
2作者の他作品が好き
というものでした。
この作品は作者の初期の作品らしく、シナリオも絵もなんともいえない感じでした。
しかし、話の内容、オチにはある種の衝撃をうけました。
志乃ちゃんは自分の名前が言えない
周りに理解されていれば、それは良いことだけど、社会では自分の事で精一杯で他人の事まで気付く余裕がない事もあります、健常者であってもいろんな悩みや苦しみもありますよね。でも、できる範囲で自分も周りも幸せに成れればと思います。
惡の華 ドラマCD 悪の蕾
漫画にもアニメにも描かれなかったエピソード0が収録されたドラマCD。声だけならあのアニメの画がダメって方にも補完の意義でもってオススメできるかもしれない。いろんな展開をするのが楽しみである反面、実は描かれなかった方がああなり得たこうなり得たっていう、描かれないからこそ保たれる情緒もあったりするので、あまり世界観が断定的に露呈することはあらゆる可能性や発展の遮断にもなりはしないだろうか。これが漫画に書き下ろされるのは勿論楽しみなのに、複雑な心境になるのはなぜだろう。あとトラック7と8はない方がスッキリします。タイトルは惡の蕾なのにもう華の話をしちゃってる座談会はクソムシラジオでできるし、仲村罵声集は…仲村さんのお言葉はなんてことないやり取りにいきなり差し込まれるからズクってするのであって、それをそこだけ抽出されてもちょっと。スクーバで潜ってたら耳元にいきなりヒレナガチョウチンアンコウがぬっと出てきたら心拍が大きく乱れますように、いきなりだからこそ輝く仲村さんのお言葉を切り取りまとめなくてもいいと思うよ。