カンティレーナの調べ―ハリーナ・チェルニー・ステファンスカ先生との貴重な日々 (CDジャーナルムック)
~東京芸術大学の客員教授だったポーランドの名ピアニスト、ハリーナ・チェルニー・ステファンスカ。彼女の弟子であり、芸大で助手を務めた著者が、共に過ごした日々を綴る。
《本書まえがきより》
この本を手にした方が、ハリーナ・チェルニー・ステファンスカという偉大なピアニストが存在したことを認識され、興味を持って読んでいただければ幸いに思~~う。また、生前の先生をご存知の方には、あの美しいピアノの音色と温かい微笑を思い出していただければ、先生に対しての、私の少しばかりの恩返しになるかもしれないと思う。
2003年 4月
吉川もと子
《プロフィール》
ピアニスト。東京芸術大学付属高等学校、東京芸術大学を経て、ワルシャワ・ショパン・アカデミー大学院研究科卒業。~
《本書まえがきより》
この本を手にした方が、ハリーナ・チェルニー・ステファンスカという偉大なピアニストが存在したことを認識され、興味を持って読んでいただければ幸いに思~~う。また、生前の先生をご存知の方には、あの美しいピアノの音色と温かい微笑を思い出していただければ、先生に対しての、私の少しばかりの恩返しになるかもしれないと思う。
2003年 4月
吉川もと子
《プロフィール》
ピアニスト。東京芸術大学付属高等学校、東京芸術大学を経て、ワルシャワ・ショパン・アカデミー大学院研究科卒業。~
チェルニー=ステファニスカ・プレイズ・ショパン
ときどき間違えてしまっているところもあるが、うまさがあった。最近思うが、古い年代の人たちの方が現代の人よりもうまいと感じる。録音が悪いせいで、少し変な音になっているところもあるが・・・。
ショパン: ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11 / モーツァルト: ピアノ協奏曲第23番イ長調, K.488
独墺系の音楽が好きな私にはショパンには余り興味がない方だが、音楽を愛する故に一応は有名名曲をひとさらえ聴いてきています。
ピアノ協奏曲も全く知らないでは好楽家との話題に加われませんから、有名ピアニストで最低でも1枚のレコードをと、当時ショパンコンクールで名をはせたアルゲリッチのライブ盤を求めて、成る程と納得しました。テクニックの切れ味とひらめきと云っていい感性の鋭さ、真剣勝負の張り詰めた気迫は十分感動ものでした。
で、衰えをしらない人気ぶりに、円熟した彼女はどうなんだろうとデュトア/モントリオールとのCDを求めてみたのですが、この盤の音の悪さは音楽鑑賞以前の問題で愕然でした。
ホールの音響かエコーの掛け過ぎかは判りませんが、ピアノの音ではない金ぴかの音。いまだ全曲を聴く事はできていません。
技術も表現も立派なんでしょうけれど、商品としてCDは最低だと腹が立ってくる始末です(笑)
それに比べこのステファンスカの1枚はどうでしょう。
古いモノラルで、ホールの残響音も上記盤と変わらない音場重視の録音ですが、落ち着いて安心して何度でも繰り返し聞きほれてしまいます。
何処が違うのかと自問してみますと、彼女は技術の自己顕示、自己主張から最も遠いところでショパンを弾いているのではないかと感じました。
楽譜を読みとる眼はショパンの心情にのみ向いているように思えるのです。
コルトーにも師事している彼女、優美、品格、詩情・・・と言った心のひだを現そうとしている演奏に感じられます。
スメターチェックのチェコフィルがまた控え目につけているのが美しい。ショパンはオーケストラが貧しいと言われているようですが、この曲の弱奏部の弦楽、木管の美しさはやはり天才の感性が感じえた美しさでしょう。
録音が古いとはいえ、ピアノのアクションの音まで捉えた自然のソノリティーです。
オーディオフリークと自認する爺ですが、リアルな「音」だけに心が動かされているわけではありません。
バリバリと弾きまくる若手に事欠かぬ現代、本盤は至宝といえる存在ではないでしょうか。
ピアノ協奏曲も全く知らないでは好楽家との話題に加われませんから、有名ピアニストで最低でも1枚のレコードをと、当時ショパンコンクールで名をはせたアルゲリッチのライブ盤を求めて、成る程と納得しました。テクニックの切れ味とひらめきと云っていい感性の鋭さ、真剣勝負の張り詰めた気迫は十分感動ものでした。
で、衰えをしらない人気ぶりに、円熟した彼女はどうなんだろうとデュトア/モントリオールとのCDを求めてみたのですが、この盤の音の悪さは音楽鑑賞以前の問題で愕然でした。
ホールの音響かエコーの掛け過ぎかは判りませんが、ピアノの音ではない金ぴかの音。いまだ全曲を聴く事はできていません。
技術も表現も立派なんでしょうけれど、商品としてCDは最低だと腹が立ってくる始末です(笑)
それに比べこのステファンスカの1枚はどうでしょう。
古いモノラルで、ホールの残響音も上記盤と変わらない音場重視の録音ですが、落ち着いて安心して何度でも繰り返し聞きほれてしまいます。
何処が違うのかと自問してみますと、彼女は技術の自己顕示、自己主張から最も遠いところでショパンを弾いているのではないかと感じました。
楽譜を読みとる眼はショパンの心情にのみ向いているように思えるのです。
コルトーにも師事している彼女、優美、品格、詩情・・・と言った心のひだを現そうとしている演奏に感じられます。
スメターチェックのチェコフィルがまた控え目につけているのが美しい。ショパンはオーケストラが貧しいと言われているようですが、この曲の弱奏部の弦楽、木管の美しさはやはり天才の感性が感じえた美しさでしょう。
録音が古いとはいえ、ピアノのアクションの音まで捉えた自然のソノリティーです。
オーディオフリークと自認する爺ですが、リアルな「音」だけに心が動かされているわけではありません。
バリバリと弾きまくる若手に事欠かぬ現代、本盤は至宝といえる存在ではないでしょうか。