コミックというのは、文学と美術の融合した総合芸術なのに、未だに「漫画」という位置づけで考える風潮が抜けきっていないのだと思う。 そうでなければ、この傑作が大衆に流布していない理由が説明できない。
思想的には、ライスナーとフンベルバルディンクの対決?という図式なのだろうが、どう対比すべきなのか? など、意味不明な部分も多いが、感動を損ねるどころか反って助長している。
作者の逝去が惜しまれてならない。おすすめ度
★★★★★
第二次大戦中の旧ユーゴスラビアを舞台に、祖国をナチスドイツに侵攻されたひとりの少年が解放軍に身を投じて戦う姿をナチスによる強制収容所の虐待と合わせて描いていく・・・・。
とにかくナチス関連の漫画では手塚治虫の「アドルフに告ぐ」と並ぶ傑作だと思う。
画の上手さといい資料を元にした歴史的事実の詳細さも特筆。村で平和に暮らしていた少年がいかにして非日常的な戦いに巻き込まれていったのか?、巻き込まれねばならなかったのか?現代日本で日常的生活を送る我々に警鐘を鳴らしているようにも感じる。
「ナチスドイツの蛮行」を強制収容所を舞台にして描いている数少ない作品です。
手塚先生の「アドルフに告ぐ」は強制収容所の様子についてはほぼ触れていませんでしたから。
それを知る意味でも、一読の価値のある作品と思われます。
それにしてもナチス将校の外道ぶりは・・・正に「人の皮を被ったケダモノの如し」です。
現在ではそれぞれが独立したことで「完全消滅」してしまった旧ユーゴスラビアの複雑な立場。
これじゃ・・争いが起こるのもやむなし・・・と納得させるものがあります。
「人が人として扱われないこと」がいかに悲しいことであるのか。いかに悲惨なことであるのか。
そしてこの漫画はこれがつい半世紀ほど前にあった事実なのだと読者に突き付ける。
お勧めですおすすめ度
★★★★★
ナチス制圧下の旧ユーゴスラビアの物語。ゲリラに所属しながら手を汚し現実を受け容れることへの違和感を捨てきれない少年、収容所においてこの世の地獄を見る少女、裏切り者の汚名をまといながら理想のために活動する青年、美しいものを醜いものから守ることこそ大事なのだと断言するナチス将校など、多様な人物が登場し、戦争という極限状況、人間が動物になる世界において、なお、鍾乳洞の岩々を花のように見る眼差しを持ち続けることの意義を問う。
この本は生涯私の書棚にありつづけるだろうおすすめ度
★★★★★
マンガ表現の力をまざまざと見せ付けられた。
一巻の解説に柴門氏が語るように、
一コマ一コマに魂が宿っていた。
稚拙な解説では追いつかない、世界が広がっている。
登場人物のイデオロギーのせめぎ合いは、
息苦しいほど胸に迫る。
最終巻に参考資料が明示されていたが、
それ以上のものがあったと思う。
それは坂口氏の哲学的世界の他に無いだろう。
極東の日本から東欧のユーゴを理解するには
様々な壁を乗り越えなければならなかったと思う。
読後、私がこれを理解したかというと、言い切れないものはあるが、
随分飛躍しただろう事は感じる。
ただ、力のみを信じた者たちが最後に見ていた力は、
日本にも向けられた。そのように解釈していいですか。
この本は、あらゆる場面で、繰り返し自分に何かを問い掛けてくる。
そんな気がする。
短編の名手坂口尚の初長編作品「石の花」
おすすめ度 ★★★★★
坂口尚という作家と触れるにはまずこの本が一番よい入門書になっているように思える。歴史大河ロマンといえば簡単だが、坂口尚の真骨頂である、ファンタジーを私は、主人公の少年クリロ達の対独パルチザン戦の描写の中にもついついみてしまう。例えば、銃撃され疲れ切った兵士たちの上を、低空から大空へと舞い上がっていく鳥が描かれていたりする。時折現実からはなれた幻想的な場面があり第一話にしか実際には登場しないフンベルバルディング先生が姿をあらわす。それは草原であったりもするのだが、広い草原に先生とクリロは2人だけで会話している。「ここは広い草原だね」「広すぎる!」。
これらは、短編作品でみせたファンタジーを“戦争もの”であっても描いている坂口尚を感じさせる場面のひとつなのだと私は思う。短編の名手とよばれた坂口尚短編作品を思い出す。坂口尚短編集とあわせてすすめたい。