サマー・シェイド
今までの立ち位置から軸を変えて、その違った位置についていくかついていかないか・・・ひとつのファンの別れ道的な作品がよくありますね? (このアルバムの例を挙げるなら太田裕美の「あなたらしくわたしらしく」でしょうか)
このアルバムもそんな作品のひとつでしょう。
個人的にはこのシティポップス寄りになったやまがたすみこに拍手を贈りたい。
確かに発声は変化したが、すみこの持つクリスタルヴォイスの新たな輝きのひとつだと僕はとらえている。
「夏の光に」はやはり名曲だと思うし、「素敵なゲーム」などにおける60's風ナンバーも可愛らしくていい!
素直な素敵なアルバムだよー。
昭和アーカイブス SUMIKO LIVE
一時、R-BANで出ていましたが、現在入手困難な状況だっただけに、『SUMIKO LIVE』の復刻は嬉しいもの。
1976年10月23日に日本青年館でのコンサートライブ。コンサートの構成・演出は大瀧詠一さんです。編曲と演奏は鈴木慶一とムーンライダース、渡辺俊幸。オリジナルリリースは1976年12月25日、コロムビアのブロウ・アップ・レーベルから。曲目は、むらさき色の風、メドレー(風に吹かれて行こう、夏になったら、ふるさと)、ホリデイ、愛の終わりはいつも〜ため息、あの時君は若かった(鈴木慶一とデュエット)、ラブ・イズ・ブラインド、ブルー・ムーン、夏の光に、青い径、11月の風、帰り道。
ライブレコーディングだからという割引無しに仕上がっていて、かつ彼女の人柄が良く伝わってくる仕上がり。素敵なアルバムです。
MELODIES COME
この3枚目の「Melodies Come From My Heart」と2枚目の「あの日のことは」がCD-Rという形にせよデジタル化されたというのは嬉しい限りです。やまがたすみこらしさは初期の作品にかぎります。後期の三枚は当時のニューミュージックを意識し過ぎた作品でやまがたすみこの世界がほとんど感じられなく個人的には好きになれない作品です。この二枚はなかなかCD化されず個人的にパソコンを使ってデジタル化してCDにして聴いていましたがほとんどモノラルの状況でした。この作品に限っては、一曲目の「二つのこころ」から最後の曲までやまがたすみこ色満開です。あの透き通った美声が聴けます。LPのスリーブをCDの大きさにしたので、表記はLPのままになっています。付属のブックレットには発売当時のLPの解説書(少なくとも私の購入したLPの解説書には)に載っていなかった今回初めて見る写真が三枚程見受けられました。やまがたすみこファンなら即購入ですね、CD-Rという形式なのでいつまでも購入できるか心配ですから。これで、やまがたすみこの作品は当時正式に発売された(非売品のオムニバスを除いて)LPが全てデジタル化されたことになります。CDというプレスされたものとは違い、CD-Rという焼いたものなので取り扱いには特に注意が必要です。強い光に長時間当てたり、太陽の直射日光に曝したりすることのないように気を付けたいものです。やまがたすみこの歌と同じようにたいせつに扱いましょう。
みんなのテレビ・ジェネレーション アニメ歌年鑑1982
個人的なお目当ては、「コブラ」「かぼちゃワイン」「マクロス」のOP曲でした。
「コブラ」は、ルパン三世などの楽曲も手がけた大野雄二氏が作曲とアレンジを手がけており、渋くて雰囲気満点です。故前野曜子さんのVoも素晴らしいです。
「かぼちゃワイン」はシンプルな歌詞とつぼを押さえたメロディーが○
「マクロス」は故羽田健太郎氏の作編曲。藤原誠さんの太いVoや、ギターもチョー格好良いですよ!
地方に住んでいるため放送されていなかったアニメもありますが当時見ていたアニメの主題歌に興味がある方は、このサイトで曲目がチェックできるこのシリーズは安価で年代別なのでおススメめかもしれませんね。
フライング (紙ジャケット仕様)
今日、CD“Flying”が届いた。何故、自分のレコード棚に6枚目の“Summer Shade”までしかないのか分かった。
『ペパーミント・モーニング』『あなたにテレポート』『ムーンライトジルバ』など、以前にも聞いたことがあり、非常に「耳に心地よい」。しかし、これは褒め言葉ではない。
もちろん、彼女の一番の魅力である、限りなく透明に近い、澄みきった美しい声は存在する。
しかし、「甘い歌声」ではなく、「甘えた歌い方」(に聴こえるのは私だけかも)で詩に欠如するものを、いや失われたものを、必死で補おうと歌っている感すらある。(そこがまた、堪らなく可愛いんだけど)
『Today』は Beatles がレゲエをやったらこうなるだろうというサウンド。『黄昏遊泳』『夢色グライダー』の安っぽいトランペット。基本的に、やまがたすみこの世界にホーンセクションは場違い。『私春記』のクサイ詩には、背中が痒くなる。
はっぴいえんどの3/4がバックに参加していることが、一大原因と思われる。彼女の魅力を蔑ろにして、「ホワイトアルバム」のような音を展開していることだ。
Bob Dylan のフォークからロックへの転身は、歴史的必然性があった。彼女の「少女」から「大人の女性」への転身も止むを得ない所だが、何ら内的必然性が語られないことに問題がある。何よりも、彼女自身が詩を書かなくなったことが決定的だ。
しかし、ファンの立場から、好意的に弁明すれば、あのランボーですら、19才で筆を絶ったのだ。
ノスタルジックな牧歌的イメージ、メルヘンチックな私小説的世界、乙女チックな幻想的カタルシス。これが彼女の最大の魅力であり、その詩才を維持するのは不可能であり、絶対に男には書けないものだ。事実、山県すみこにしか書けなかったのだ。
花は散るからこそ美しいのだ。「少女であること」「乙女であること」には時間的限界がある。それ故にこそ、6枚目までの存在価値がいっそう増すのである。