トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)
私は芸術を鑑賞するのは好きだが、トニオのように自分でヴァイオリンを弾くこともできないし、詩を書くわけでもない。それにもかかわらず、彼の孤独は痛いほどよく分かる。それはまぎれもない芸術家の孤独だ。芸術家でない者がこの孤独を共有することができるのは、それがきっとすべての人間に共通のものだからだろう。人は誰でも程度の差はあれ芸術家なのだ。それは、この本が出版後100年経った今でも多くの人に愛され続けているという事実が証明している。
私はこの本を大学教養課程のドイツ語の時間に初めて読んだ。この本の本当の美しさはドイツ語で読むとよりよく分かる。ドイツ語が出来る人は是非チャレンジしてほしい。翻訳でそのドイツ語の雰囲気をよく出しているのは、岩波文庫の実吉訳の方だろう。あの北杜夫も絶賛したという実吉訳の文体は直訳に近いが決して読みにくくはない。トーマス・マンの文体がもつリズムを忠実に再現していると思う。
ベニスに死す [DVD]
タッジオ役ビヨルン・アンドレセン目的でしたが、絵画のような彼や町並み風景よりもひたすら持病と疫病と臆病に一人もがき苦しむ初老の主人公のもどかしさの方が印象深いです。 人間不信と老化と疫病感染で心身が朽ち果てかけていた彼が美少年タッジオへの想いだけでなんとか魂だけは維持する姿といい、視線を交わすだけで声をかけることはできない純心さが切なく… 生涯に一度出会えるかの妖精に魅せられた彼は最後まで彼らしく…
ベニスに死す〈ニューマスター版〉 [VHS]
ヴィスコンティの後年の映画はまさに傑作ぞろいですが、中でもこの映画は際立っていると思います。全編に流れるマーラーの音楽とこれ以上ないほど美しいキャメラに加え、ストーリーの底流に流れる人生に対する諦念感というか(原作はトーマス・マンだからそれも当然か)...。なんとも絶妙です
ベニスに死す [DVD]
あまりにも意味のわからないレビューのタイトルで始まってしまいましたが、正直なところこのようにしか本編を形容することができません。
才能ある中年男の禁断の恋。共感する者以外には全く無意味な題材。しかしヴィスコンティ監督の手にかかると、こうした多くの人々にとっては意味の無いエッセンスも価値のある逸品に仕上がってしまうのです。名優ダーク・ボガードの抑えた演技から半端ではない欲望がはみ出していく様子は圧巻。どのようにしてヴィスコンティはこのような演技を引き出すことができるのかいい意味で理解に苦しみます。
アシェンバッハの陰鬱な表情とバックに流れる、この主人公のモデルとなったグスタフ・マーラーによる交響楽との流麗かつ陰惨な一体化。それは放っておくと何時間でも浸っていたくなるデカダンスを伴った快楽。この時点で私ははっとさせられました。このフィルムを見入ることによって、次第に自分もダーク・ボガード扮する男の気持ちに溶け込み同調しているのではないかと。一瞬「そんなことはあり得ない」と当惑する自分。それでもこのフィルムに見入ることは止められません。それどころかさらにフィルム自体の深みに入り込んでしまっている・・・。ベニスの町は中世さながらの退廃的な祭りで沸き立っている。その退廃した空気はホテルにも、街にも、運河にも充満しきっている。加えて、そこに忍び寄る疫病の恐怖。ベニスという街の持つ、中世を引きずるゴシック的不気味さをこれだけ引き出したフィルムがかつてあったでしょうか。ダーク・ボガード扮するアシェンバッハでなくても、こんなところに逗留していたら狂気に陥るのかもしれません。
そしてビョルン・アンデルセン扮する妖艶なタジオです。ギリシャ彫刻然とした完璧ともいえるフォルムを有する少年。すくなくともアシェンバッハにそう思わせた若人。哀れな主人公の自分への恋心を知ってか知らずか少年もまた初老の音楽家を意識します。しかし、どのように意識しているのか。その曖昧な冷たい微笑みは観る者をあざけり、迷わせ、突き放すのです。その存在がベニスの不気味さとあいまって物語は至高の退廃美をじわじわと完成させていくのです。
見終わったあと本編に当初感じた無意味さは、人間が持つ美への願望あるいは欲望といったある意味で大いに検証するに値する心情ととって替わられてしまいました。無意味さが純粋なる価値へと昇華していく。本編で体感したヴィスコンティの魔術とはそんな魔術なのです。