ピカレスク [DVD]
「走れメロス」「斜陽」そして最後の作品「人間失格」などで知られる作家・太宰治の半生を映画化した作品。
「書く」事への思い、出会う女性と重ねる心中…楽しい娯楽作品ではありませんが、生と死・葛藤…必死に生きた一人の人間、太宰治が身近に感じられました。
太宰を演じた河村隆一も、プロの役者にはない初々しさと独自の繊細な雰囲気で良かったです。特にエンディング曲の「Stop the time forever」も作品に合っていて良かったです。興味があったら是非☆
名作文学(笑) ドラマCD「走れメロス」
本編は至って普通。…と思ってしまうのは最近のドラマCDになれているからかもしれませんが(笑)、キャラクターの特徴、シスコン苦労性ツンデレなどはそんなに前面に出てきません。原作沿いと言っていいと思います。
おまけは本当に面白いです(笑)お三人、見事に壊れています。杉田さんの異常なまでの熱演、小野さんのなんだかKYダメ男っぽいメロス、神谷さんはやたらと可愛らしいです。
内容の割りには少し高めかなと思いますが、笑いを求めるなら第二弾よりこちらがオススメです(笑)
ポケットに名言を (角川文庫)
寺山修司は同郷の偉人だということもあって、中学生の頃から多くの著作に親しんできたが、最近彼の業績を改めて考えてみるとその諸作品の底に「引用・流用・転用」という手法が浮かび上がってきて、その視点でこの文庫を読んでみると、その言葉たち自体とは別に、寺山の活動の本質が読み取れてくる。
一著作の中での一定の文脈から一部分を切り出してくることで、その部分が帯びていた意味合いはより自立的、あるいは孤立的になり、そんな言葉を一定の目論見の下で配列すると、編集者自身の意図がはっきりとページ上に実現される。彼の代表的なフレーズである「書を捨てよ、町へ出よう」も元々ドイツの知識人が言った言葉で、書物をもっぱら読みまくる若者が多かった当時の状況へカウンターポジションを取る為に彼が引用した言葉だった(いまでは書を読まないことの正当化に使われているきらいがあるが)。
寺山が「引用・流用・転用」のもつ効果に自覚的だったのは明らかで、そもそもの彼のキャリアの始まりだった短歌や、他には俳句などが含まれる定型短詩形式こそは「引用・流用・転用」の装置でもあり、そうして考えると戯曲の多くも先行の有名戯曲についての流用・転用が独自の寺山の世界を作り上げる技法になっていたことがわかる。映画についても、人づての話だと流用・転用が見うけられるようだし、寺山修司の真価は「引用・流用・転用」を通じた独自の世界の構築、及びそうして残された諸作品の内容、ということになるのだろう。だからといって寺山自身にオリジナリティがなかったかといえばまったくそんなことはなく、着地点として、結果として引用元が表現していた価値付けとはまったく違う境地に至っていることでそれは証明されている。「オリジナル」と称しながら、一般に流通し、容認されている枠内でしか「オリジナル」を作らない/作れない人々(その作品はオリジナルというよりヴァリエーション、変奏曲、変奏物とでも言うべきだと思うのだが)と比べれば寺山のオリジナリティは相当の質の高さを示している。
考えてみれば、日本語の成立・発展過程や日本仏教の発展過程もそんな「引用・流用・転用」効果のもとにあるし、西洋文化についても同様で、また、未開文明の分析でレヴィ=ストロースが言う「ブリコラージュ」というのはまさに寺山の営為を指している。この文庫は、寺山修司という芸術家の「職業の秘密」を、図らずも表象している1冊だ。