松山千春 旅立ち
1975年フォーク音楽祭・北海道大会の音源で、千春さん19歳です。ギターのぎこちなさに初々しさを感じます。以下、解説です。 千春が高校を卒業した昭和49年、千春のクラスメートは男子が25人、女子20人の計45人いたが、卒業後、足寄に残っているものは千春を含めて数人しかいなかった。ほかの者はすべて進学に、就職にと、札幌、東京などの都会へ出て行ってしまった。足寄には大学はおろか、工業も発達していないので、若年労働力を受け入れられる状況がないからだ。そのため、しかたなく、足寄を後にする者の中には、後ろ髪しかれる思いで、故郷を後にする者が多かった。高校を卒業した年のお盆に千春は帰郷して来た人たちを集めて、足寄公民館で「10円コンサート」を開いた。千春は、歌で俺が今こんなことを考えているということを訴えたかった。高校時代は恥ずかしくて、自分の歌を人前では歌えなかったが、社会人になってからは、人前でも堂々とオリジナル・ソングを歌えるだけの度胸を身につけていた。「やはり、バーテンをやって自分の稼いだ金で暮らしていたから、ひとりの男として、堂々と自分の考えを歌で表現できるようになったんじゃないかな」と千春はいう。「10円コンサート」には、帰郷した友だちがたくさん集まり大盛況だった。そんな友だちを前に、千春はたくさんの歌を歌ったが、その中でも最も受けたのが「旅立ち」だった。故郷を離れてからまだ4ヶ月余り。故郷に対する思いが熱く残っているみんなの胸に、千春の「旅立ち」は矢のように突き刺さった。千春の同級生の阿部君は、しみじみと述懐する。「たぶん、その日、公民館に集まった人たちは、高校卒業後初めて再会するということで、同窓会的な気持ちでいたと思うんだ。千春もそんな感じで"お前らよく帰って来たな"と話していた。本当に ...