鬼火 [DVD] (HDリマスター版)
ある海外のドキュメンタリーで使われていた何となく聞いたことのある哀しいピアノの曲が気になって調べた。それはゲームなどにも使われているらしい。もっと調べてみれば身近なところでも使われていそうだ。
その曲は映画でも使われていることもわかった。「男は自殺を決めた。」というどうにも気になる物語。
普段あまり映画は見ないのだが、その男とモノクロの雰囲気とフランスの監督に惹かれ見てみた。
はっきり言って人生の中で見た(少ないが)映画のベスト5に入るほど気に入ってしまった。
あの曲がこんなにはまる映像があったことの驚きと、「うれしくも哀しくもない」というのが見た感想ではあるのだが「映画を見た」という満足感でいっぱいになった。
美術館で自分の好きな世界を表現しているお気に入りの絵画をずっと見ているような心地よさである。
非常識かもしれないが、その男の死にうらやましさを感じてしまった。
その曲は映画でも使われていることもわかった。「男は自殺を決めた。」というどうにも気になる物語。
普段あまり映画は見ないのだが、その男とモノクロの雰囲気とフランスの監督に惹かれ見てみた。
はっきり言って人生の中で見た(少ないが)映画のベスト5に入るほど気に入ってしまった。
あの曲がこんなにはまる映像があったことの驚きと、「うれしくも哀しくもない」というのが見た感想ではあるのだが「映画を見た」という満足感でいっぱいになった。
美術館で自分の好きな世界を表現しているお気に入りの絵画をずっと見ているような心地よさである。
非常識かもしれないが、その男の死にうらやましさを感じてしまった。
J・A・シーザー 伝奇音楽集 鬼火 天井棧敷音楽作品集VOL.2
これまで表に出てこなかった音源はもちろん、シーザーや森崎偏陸氏のインタビューなども含めて凄まじい情報量です。これ程までの名作が30年間も埋もれていたなんてと愕然とするしかありません。
馴染みの曲が70年代後期のシーザーの編曲によって装飾されてるのは極めて興味深いですし、万有引力期の打ち込み音源でしか聴くことの出来なかった曲、それまで名前しか知らなかった曲、名前すら知らなかった曲など名曲が目白押しです。
シーザー歌唱の曲に関してはともかく良い曲だくらいしか言えないのですが、「子供遊戯七夜の祝」等の日本的な情念とロックが融合したスタイル、ペルシア・アラブ的なイメージから出来た「シルクロード」、シーザーがユーゴスラビアで出会った女性と同棲してたところを劇団に呼び戻されたエピソードから作詞作曲された「巴里寒身」など実に多彩な曲が収録されています。
どの曲を聴いても驚くのがその音楽的センスです。まったく古臭さを感じさせません。
そして今回注目度が高いと思われるのがDISC1に収録された「身毒丸」の原形、「せっきゃうしんとくまる」ですがまさしく原形です。
約25分ほどの作品ですが音楽的に見れば基本骨子はほぼ変わっていません。
「身毒丸」で感じた鬼気迫る迫力とは違い、独特の不気味さ、生々しさを感じることの出来る作品です。
次にDISC2に収録されている「草迷宮」ですが、「せっきゃうしんとくまる」とこの作品を組み合わせて拡大構成したのが舞台、「身毒丸」らしいです。ですがそれは物語構造的な話で音楽的には完全に別の作品です。約35分ほどの作品ですが「せっきゃうしんとくまる」と比べても台詞が多く、どちらかというと単独の音楽作品というよりは完璧に音楽劇の領域です。
その完成度の高さは音だけ聞く限りでは「身毒丸」に匹敵するレベルだと言えるでしょう。
「せっきゃうしんとくまる」と比べると対照的に幻想的な世界観です。
ただどちらの作品にも言えるのですが音質があまり良くないうえに上演台本発見ならずという事でブックレットに情報未掲載なので「身毒丸」や映画「草迷宮」などを知ってないと台詞、歌詞などわかりにくい部分も多いです。
同じくDISC2の組曲「怪人フー・マンチュー」ですが、コーラス主体のロックオペラ的な作品で、寺山的な怪しく胡散臭いイメージが炸裂した名作です。これは台詞が入っていても曲の中の一部のような構成で純粋に組曲形式の作品ですね。一部シーザーも歌っています。音質はそれほど良くありませんが歌詞は掲載されてます。
99年の万有引力の公演を見たことがある、またはビデオを持っている人はその時に使われた曲の約半分はバンド編成だったのが打ち込みに変わっただけでこの組曲の物とまったく同じだと気付くでしょう。
更にDISC3に収録された一時間を越える大作「十字架の蜃気楼」なんですがこれはちょっと凄いです。
島原の乱を題材にして、ナレーションや台詞も入り混じったシアトリカルロックというかロックオペラというか後のシンフォニックメタルに通じるような、79年の作品とは信じ難いかなり先進的な音楽センスを感じさせられる作品です。
馬渕晴子さんの脚本の影響だと思われますが、今までの寺山的世界観の基で作られた曲とは音楽的ニュアンスがだいぶ違います。
脚本や演出、構成によって出す音を変えてくる劇伴音楽家としてのシーザーの本領発揮ともいえる貴重な作品でしょう。収録された作品の中では録音も比較的良く、歌詞も掲載されています。
ナレーションや一部の台詞等は未記載ですが十分聞き取れる範囲内です。
また珍しい所では70年代後半以降のシーザー音楽には欠かせないメンバーであるチューバ奏者の石井弘二さんが何故かメインボーカルを採っているそうです。
上記に書いた一連の組曲系の作品は天井桟敷から根本豊さんや若松武さん、新高恵子さんなどの代表的な役者が参加していますが、その個性あふれる演技も作品に大きな彩りを与えています。
次はDISC4の75年のリサイタルで、これは極一部の抜粋になっているのですが特筆すべきなのが「人力飛行機のための演説草案」でしょう。
73年のリサイタルや過去の市外劇では昭和精吾さんが朗読していた詩ですが、今回は寺山修司氏本人の朗読です。
最初の挨拶から朗読後の拍手までが収録されているのですが、背後で不穏に鳴る音のなかで朗読される詩が妙な迫力を醸し出しています。
最後にDISC5の81年「蘭妖子コンサート」についてですが、これはもう本当に素晴らしいです。
もしかしたら今回の5枚組みCDの中でもベストな一枚かもしれません。
静かで情念的な曲、コミカルな曲、激しいロック的な曲、「惜春鳥」に代表されるジンタ系の曲など全てが素晴らしい。
絶頂期のシーザーによるバンド編成の編曲と蘭妖子さんの歌が組み合わさったこのCDはまさに奇跡的な一枚と言えるでしょう。音質も古いライブ音源としては良好です。
珍しい曲としては寺山ファンには強烈なエピソードがいくつか知られる寺山修司氏の母親、寺山はつさんが作詞でカルメン・マキの「時には母のない子のように」を作曲した田中未知さん作曲の「おど」、シーザーこんな曲書くんだ、と意外さを感じさせるジャズ調の曲「サムタイム・サラジェーン」等があります。
総評として言えるのは何が何でも買うしかないという事。
シーザー、寺山ファン以外にも、ハードロック、プログレ、ロックオペラ、シアトリカル、シンフォニック、日本的なロックなど、これらの単語に興味がある人は買いです。
馴染みの曲が70年代後期のシーザーの編曲によって装飾されてるのは極めて興味深いですし、万有引力期の打ち込み音源でしか聴くことの出来なかった曲、それまで名前しか知らなかった曲、名前すら知らなかった曲など名曲が目白押しです。
シーザー歌唱の曲に関してはともかく良い曲だくらいしか言えないのですが、「子供遊戯七夜の祝」等の日本的な情念とロックが融合したスタイル、ペルシア・アラブ的なイメージから出来た「シルクロード」、シーザーがユーゴスラビアで出会った女性と同棲してたところを劇団に呼び戻されたエピソードから作詞作曲された「巴里寒身」など実に多彩な曲が収録されています。
どの曲を聴いても驚くのがその音楽的センスです。まったく古臭さを感じさせません。
そして今回注目度が高いと思われるのがDISC1に収録された「身毒丸」の原形、「せっきゃうしんとくまる」ですがまさしく原形です。
約25分ほどの作品ですが音楽的に見れば基本骨子はほぼ変わっていません。
「身毒丸」で感じた鬼気迫る迫力とは違い、独特の不気味さ、生々しさを感じることの出来る作品です。
次にDISC2に収録されている「草迷宮」ですが、「せっきゃうしんとくまる」とこの作品を組み合わせて拡大構成したのが舞台、「身毒丸」らしいです。ですがそれは物語構造的な話で音楽的には完全に別の作品です。約35分ほどの作品ですが「せっきゃうしんとくまる」と比べても台詞が多く、どちらかというと単独の音楽作品というよりは完璧に音楽劇の領域です。
その完成度の高さは音だけ聞く限りでは「身毒丸」に匹敵するレベルだと言えるでしょう。
「せっきゃうしんとくまる」と比べると対照的に幻想的な世界観です。
ただどちらの作品にも言えるのですが音質があまり良くないうえに上演台本発見ならずという事でブックレットに情報未掲載なので「身毒丸」や映画「草迷宮」などを知ってないと台詞、歌詞などわかりにくい部分も多いです。
同じくDISC2の組曲「怪人フー・マンチュー」ですが、コーラス主体のロックオペラ的な作品で、寺山的な怪しく胡散臭いイメージが炸裂した名作です。これは台詞が入っていても曲の中の一部のような構成で純粋に組曲形式の作品ですね。一部シーザーも歌っています。音質はそれほど良くありませんが歌詞は掲載されてます。
99年の万有引力の公演を見たことがある、またはビデオを持っている人はその時に使われた曲の約半分はバンド編成だったのが打ち込みに変わっただけでこの組曲の物とまったく同じだと気付くでしょう。
更にDISC3に収録された一時間を越える大作「十字架の蜃気楼」なんですがこれはちょっと凄いです。
島原の乱を題材にして、ナレーションや台詞も入り混じったシアトリカルロックというかロックオペラというか後のシンフォニックメタルに通じるような、79年の作品とは信じ難いかなり先進的な音楽センスを感じさせられる作品です。
馬渕晴子さんの脚本の影響だと思われますが、今までの寺山的世界観の基で作られた曲とは音楽的ニュアンスがだいぶ違います。
脚本や演出、構成によって出す音を変えてくる劇伴音楽家としてのシーザーの本領発揮ともいえる貴重な作品でしょう。収録された作品の中では録音も比較的良く、歌詞も掲載されています。
ナレーションや一部の台詞等は未記載ですが十分聞き取れる範囲内です。
また珍しい所では70年代後半以降のシーザー音楽には欠かせないメンバーであるチューバ奏者の石井弘二さんが何故かメインボーカルを採っているそうです。
上記に書いた一連の組曲系の作品は天井桟敷から根本豊さんや若松武さん、新高恵子さんなどの代表的な役者が参加していますが、その個性あふれる演技も作品に大きな彩りを与えています。
次はDISC4の75年のリサイタルで、これは極一部の抜粋になっているのですが特筆すべきなのが「人力飛行機のための演説草案」でしょう。
73年のリサイタルや過去の市外劇では昭和精吾さんが朗読していた詩ですが、今回は寺山修司氏本人の朗読です。
最初の挨拶から朗読後の拍手までが収録されているのですが、背後で不穏に鳴る音のなかで朗読される詩が妙な迫力を醸し出しています。
最後にDISC5の81年「蘭妖子コンサート」についてですが、これはもう本当に素晴らしいです。
もしかしたら今回の5枚組みCDの中でもベストな一枚かもしれません。
静かで情念的な曲、コミカルな曲、激しいロック的な曲、「惜春鳥」に代表されるジンタ系の曲など全てが素晴らしい。
絶頂期のシーザーによるバンド編成の編曲と蘭妖子さんの歌が組み合わさったこのCDはまさに奇跡的な一枚と言えるでしょう。音質も古いライブ音源としては良好です。
珍しい曲としては寺山ファンには強烈なエピソードがいくつか知られる寺山修司氏の母親、寺山はつさんが作詞でカルメン・マキの「時には母のない子のように」を作曲した田中未知さん作曲の「おど」、シーザーこんな曲書くんだ、と意外さを感じさせるジャズ調の曲「サムタイム・サラジェーン」等があります。
総評として言えるのは何が何でも買うしかないという事。
シーザー、寺山ファン以外にも、ハードロック、プログレ、ロックオペラ、シアトリカル、シンフォニック、日本的なロックなど、これらの単語に興味がある人は買いです。
鬼灯の冷徹 フィギュアストラップ 鬼灯
鬼灯の冷徹、いち早く立体物が欲しいと思われる方にはお勧めです。
小さめなので写真映りが悪いですが実物はそこまで悪くありません。鬼灯の色気がよく出ていて服の皺の造形もなかなか良いです。
白澤と共に、肌色の色味が悪いのが気になりましたが、『あ、人間じゃなかったこのキャラ達。地獄だし…良い雰囲気出てる』と納得して棚に飾っています。
小さめなので写真映りが悪いですが実物はそこまで悪くありません。鬼灯の色気がよく出ていて服の皺の造形もなかなか良いです。
白澤と共に、肌色の色味が悪いのが気になりましたが、『あ、人間じゃなかったこのキャラ達。地獄だし…良い雰囲気出てる』と納得して棚に飾っています。
鬼火【字幕版】 [VHS]
「本当に重大な哲学の問題は1つしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること、これこそ哲学の根本問題に答えることである。」
フランスの哲学家アルペール・カミュが著書「シーシュポスの神話」の冒頭で述べたこの命題を反芻せざるを得ない。
アルコール依存症で療養生活を送る主人公アランは何とか現実生活へ復帰しようとするのだが、かつての友人たちは皆、小市民へと成り下がっていた。社会と自身にたえられなくなったアランはスコット・フィッツジェラルドを読み終えピストルを手に。
ルイ・マルの代表作の一つであり、エリック・サティの音楽とモノクロームの映像が、モーリス・ロネの好演と相まって、主人公アラン・ルロワの人生最後の時間を陰影深く映し出す。
フランスの哲学家アルペール・カミュが著書「シーシュポスの神話」の冒頭で述べたこの命題を反芻せざるを得ない。
アルコール依存症で療養生活を送る主人公アランは何とか現実生活へ復帰しようとするのだが、かつての友人たちは皆、小市民へと成り下がっていた。社会と自身にたえられなくなったアランはスコット・フィッツジェラルドを読み終えピストルを手に。
ルイ・マルの代表作の一つであり、エリック・サティの音楽とモノクロームの映像が、モーリス・ロネの好演と相まって、主人公アラン・ルロワの人生最後の時間を陰影深く映し出す。
鬼火 《IVC 25th ベストバリューコレクション》 [Blu-ray]
戦争でおった心の傷と戦後の激変に対応できない主人公、女のずるさと優しさ、
成功した金持ちの友人の凡庸さ惨めなアル中の敗残者に過ぎない主人公、
主義主張を曲げて「変わる」友人達の欺瞞と成功とねたみ、
さまざまな反対の感情が、何の批評も解釈もなしに、見る我々の前に放り出されている。
どの登場人物にも、自分と同じ面を見つけて、どの人間にも、全面的に感情移入できない。
「生きるうえでのずるさは、洗練された外交の駆け引きのようなものか?」
「外交の駆け引きもできない人間は、愚かなのか純粋なのか?」
サティの音楽が、憂鬱で悲しくて嬉しくて洗練されていて、パリそのものです。
「戦後の混乱期と、我々の現代と、生きる息苦しさで何が違うのか?」
いつまでも体内に疑問が、垂錘のように、残る名作です。
成功した金持ちの友人の凡庸さ惨めなアル中の敗残者に過ぎない主人公、
主義主張を曲げて「変わる」友人達の欺瞞と成功とねたみ、
さまざまな反対の感情が、何の批評も解釈もなしに、見る我々の前に放り出されている。
どの登場人物にも、自分と同じ面を見つけて、どの人間にも、全面的に感情移入できない。
「生きるうえでのずるさは、洗練された外交の駆け引きのようなものか?」
「外交の駆け引きもできない人間は、愚かなのか純粋なのか?」
サティの音楽が、憂鬱で悲しくて嬉しくて洗練されていて、パリそのものです。
「戦後の混乱期と、我々の現代と、生きる息苦しさで何が違うのか?」
いつまでも体内に疑問が、垂錘のように、残る名作です。