地下室の手記 (新潮文庫)
この作品はドストエフスキーの作品の中でも最も共感し、3回ほど読みました。
極端な自意識過剰に悩まされ、引き裂かれた自己に苛まれ不愉快な人間関係しか築けない主人公。
世界に毒づき、周りの人間に毒づき、果てには終わりの無い自己嫌悪と自家撞着にさいなまれる。
ある意味、この主人公は繊細すぎ、敏感すぎ、優しすぎるのだと思う。
だから普通の人間には何も感じないところを感じすぎ悩みすぎてしまう。
本当に、自分と同じような苦悩を持った人間が昔から居たんだ、と本当に共感しました。
(といっても自分よりこの人のほうが何倍も深刻ですが・・・w)
しかし他人にお勧めはしません。
これを読んだ友人は途中で挫折したと言っていましたし、
評論家コリン・ウィルソンは自著「アウトサイダー」の中でこの作品について
『地下室の手記は不愉快な物語であり、ほとんど読むに耐えないと言っていいくらい不必要な嫌味がある。読後、口にいやな後味が残るのは、これが芸術作品として失敗であること、人間性の弱さについてばかり偏執狂的にのたくっていることなどに原因がある』と述べています。
まあ薄い本なので量的にはさほどのことはないのですが、受け入れられるかどうかはその人次第。
極端な自意識過剰に悩まされ、引き裂かれた自己に苛まれ不愉快な人間関係しか築けない主人公。
世界に毒づき、周りの人間に毒づき、果てには終わりの無い自己嫌悪と自家撞着にさいなまれる。
ある意味、この主人公は繊細すぎ、敏感すぎ、優しすぎるのだと思う。
だから普通の人間には何も感じないところを感じすぎ悩みすぎてしまう。
本当に、自分と同じような苦悩を持った人間が昔から居たんだ、と本当に共感しました。
(といっても自分よりこの人のほうが何倍も深刻ですが・・・w)
しかし他人にお勧めはしません。
これを読んだ友人は途中で挫折したと言っていましたし、
評論家コリン・ウィルソンは自著「アウトサイダー」の中でこの作品について
『地下室の手記は不愉快な物語であり、ほとんど読むに耐えないと言っていいくらい不必要な嫌味がある。読後、口にいやな後味が残るのは、これが芸術作品として失敗であること、人間性の弱さについてばかり偏執狂的にのたくっていることなどに原因がある』と述べています。
まあ薄い本なので量的にはさほどのことはないのですが、受け入れられるかどうかはその人次第。
抵抗-死刑囚は逃げた [DVD]
1957年カンヌ国際映画祭監督賞。
尋常ではない緊迫感を持った映画です。
観ていると、気づかぬうちに、ぐんぐん引き込まれています。
第二次大戦中、ドイツ軍の収容所から脱走しようとするフランス人、フォンテーヌ中尉の苦闘を描きます。
死が迫った極限状況において、戦争というものの本質を暴き出しています。
脱走の成功は、フォンテーヌの不屈の魂の産物ですが、仲間たちの協力も忘れることができません。
収容所において、社会の縮図のようなものが存在していることを良く描いています。
前作「田舎司祭の日記」に見られたシンプルさは、さらに強化され、禁欲的な映像に昇華されています。
フォンテーヌを演じたフランソワ・ルテリエは、ある種の崇高さすら醸し出しています。
この人は後に映画監督になったそうですが、ブレッソンの演出に良く応えています。
モーツァルトの「ミサ曲ハ短調」の使い方も効果的です。
カンヌで賞を取ったのも、しごく当然という感じがする名作です。
ヨーロッパの観客に、戦争の記憶を生々しく思い出させたでしょう。
次にブレッソンは、日常生活の中に潜む極限状況を描くべく、「スリ」を撮ります。これも当然ながら必見。
尋常ではない緊迫感を持った映画です。
観ていると、気づかぬうちに、ぐんぐん引き込まれています。
第二次大戦中、ドイツ軍の収容所から脱走しようとするフランス人、フォンテーヌ中尉の苦闘を描きます。
死が迫った極限状況において、戦争というものの本質を暴き出しています。
脱走の成功は、フォンテーヌの不屈の魂の産物ですが、仲間たちの協力も忘れることができません。
収容所において、社会の縮図のようなものが存在していることを良く描いています。
前作「田舎司祭の日記」に見られたシンプルさは、さらに強化され、禁欲的な映像に昇華されています。
フォンテーヌを演じたフランソワ・ルテリエは、ある種の崇高さすら醸し出しています。
この人は後に映画監督になったそうですが、ブレッソンの演出に良く応えています。
モーツァルトの「ミサ曲ハ短調」の使い方も効果的です。
カンヌで賞を取ったのも、しごく当然という感じがする名作です。
ヨーロッパの観客に、戦争の記憶を生々しく思い出させたでしょう。
次にブレッソンは、日常生活の中に潜む極限状況を描くべく、「スリ」を撮ります。これも当然ながら必見。
真実の手記 BC級戦犯加藤哲太郎 私は貝になりたい [DVD]
ストーリーがわかりやすく、とても勉強になりました。
武藤役、萩原一樹「萩原イッキ」さんの演技が輝いていた。
幅広い、全ての方に観て頂きたいと思います。
武藤役、萩原一樹「萩原イッキ」さんの演技が輝いていた。
幅広い、全ての方に観て頂きたいと思います。
我が一家全員死刑 福岡県大牟田市4人殺害事件「死刑囚」獄中手記 (コア新書)
2004年に九州の大牟田市で起きたヤクザ一家の隣家の家族皆殺し事件の加害者による手記。
まるで出来損ないのドラマのような、茶番劇と言っても過言ではない加害者の思考により4人もの人間の命が平然と奪われたのである。
一体、加害者一家と被害者一家との間で何があったのだろうか?
手記は殺害の実行役を務め上げた一家の次男による。
この男はヤクザの父親を持ち、幼い頃から甘やかされて育った挙句の果てに、暴力事件を起こす粗暴な男になった。兄が一人いるが、小心者で弟を焚き付けて自分は実行役をやらなかった。
被害者一家とは公私で付き合いがあり、特に被害者一家の母親が加害者一家のヤクザ組織の裏で違法な金貸しをして儲けていたという「同じ穴のムジナ」的な臭いのする話である。
背景には加害者一家の金銭的な窮状があり、事件発生時には6,000万円ともいう借金があって「組」が組織として崩壊寸前にあったという点。それなのに隣家の金貸しが自分たちの力を背景に肥え太っているという「勝手な思い込み」が逆恨みとなって、報復行為的に殺害行為へと走らせたのであった。
と書いたものの、隣家の被害者一家とは長年に渡る付き合いがあり、そんな理由から一家皆殺しに走るなど常人には理解し難い思考であることに違いはあるまい。
次男は「覚醒剤の常用者」であり、事件当日も覚醒剤を打っていて尋常な状態ではなかった。
そのことが事件自体をエスカレートさせる大きな要因のひとつとなったことは確かである。
しかし、次男は立場的には従属的で積極的に金を強奪しようとしたのは両親であり、兄のほうであった。
それなのに犯行は計画的なようで杜撰。場当たり的に殺害し、証拠の隠蔽をしたはずが犯行後僅か5日で一家全員が逮捕される結末になった。
驚くのは親も子も自らの欲望を満たすために他者の命を奪うことに全く躊躇がない。
親は子を頼り、子は親の為と言って平気で人殺しをしてのける。異様であり異常としか表現しようがない。
一家全員が「怪物」のようなものである。
おおよそ普通の人間がこの本を読んだら、登場人物たちの思考や行動に「呆気に取られる」ことは確実だ。
論理的に破綻しているし、強盗の目的の金の強奪でさえせいぜい「数十万円」程度である。
それなのに加害者一家は大真面目に人殺しを遂行している。
尋常な思考をする人間が全くいないため、誰もおかしいとは感じないし、止める者もいない。
次男の彼女が唯一「おかしい」と感じているのだが、結局凶行を止めるには至っていない。
人は生来の資質で決まるのではなく「育成環境」で決まるんだということが判る。
怪物の子供が怪物に育った。
「あくまで極端な事例だ」と言いたい人が多数であろう。
だが、怪物を生み出さないような土壌を作るにはどうすればいいのかを一考する一石を投じるには重過ぎる
「四名の死」という結末である。
まるで出来損ないのドラマのような、茶番劇と言っても過言ではない加害者の思考により4人もの人間の命が平然と奪われたのである。
一体、加害者一家と被害者一家との間で何があったのだろうか?
手記は殺害の実行役を務め上げた一家の次男による。
この男はヤクザの父親を持ち、幼い頃から甘やかされて育った挙句の果てに、暴力事件を起こす粗暴な男になった。兄が一人いるが、小心者で弟を焚き付けて自分は実行役をやらなかった。
被害者一家とは公私で付き合いがあり、特に被害者一家の母親が加害者一家のヤクザ組織の裏で違法な金貸しをして儲けていたという「同じ穴のムジナ」的な臭いのする話である。
背景には加害者一家の金銭的な窮状があり、事件発生時には6,000万円ともいう借金があって「組」が組織として崩壊寸前にあったという点。それなのに隣家の金貸しが自分たちの力を背景に肥え太っているという「勝手な思い込み」が逆恨みとなって、報復行為的に殺害行為へと走らせたのであった。
と書いたものの、隣家の被害者一家とは長年に渡る付き合いがあり、そんな理由から一家皆殺しに走るなど常人には理解し難い思考であることに違いはあるまい。
次男は「覚醒剤の常用者」であり、事件当日も覚醒剤を打っていて尋常な状態ではなかった。
そのことが事件自体をエスカレートさせる大きな要因のひとつとなったことは確かである。
しかし、次男は立場的には従属的で積極的に金を強奪しようとしたのは両親であり、兄のほうであった。
それなのに犯行は計画的なようで杜撰。場当たり的に殺害し、証拠の隠蔽をしたはずが犯行後僅か5日で一家全員が逮捕される結末になった。
驚くのは親も子も自らの欲望を満たすために他者の命を奪うことに全く躊躇がない。
親は子を頼り、子は親の為と言って平気で人殺しをしてのける。異様であり異常としか表現しようがない。
一家全員が「怪物」のようなものである。
おおよそ普通の人間がこの本を読んだら、登場人物たちの思考や行動に「呆気に取られる」ことは確実だ。
論理的に破綻しているし、強盗の目的の金の強奪でさえせいぜい「数十万円」程度である。
それなのに加害者一家は大真面目に人殺しを遂行している。
尋常な思考をする人間が全くいないため、誰もおかしいとは感じないし、止める者もいない。
次男の彼女が唯一「おかしい」と感じているのだが、結局凶行を止めるには至っていない。
人は生来の資質で決まるのではなく「育成環境」で決まるんだということが判る。
怪物の子供が怪物に育った。
「あくまで極端な事例だ」と言いたい人が多数であろう。
だが、怪物を生み出さないような土壌を作るにはどうすればいいのかを一考する一石を投じるには重過ぎる
「四名の死」という結末である。