百日紅 (下) (ちくま文庫)
上巻のつづき──
おそるべき描写力であることは本書にとどまらないが、なおかつ長編としての構成力も見せてくれたのはこれが最初で(残念ながら)最後である。もっと多くのテーマが待っていたのに、実に惜しい。生前すでに「漫画」系については“断筆”する旨の表明があったのは、やはり病のためなのか。
本書は、日本人すべての、しかも「大人のための」座右の書として親しんでほしい。十年ごとに読み返すと、また新しいものが見えてくるはずで、青年も、そしてもちろん老年になっても何度でも楽しめること請け合いだ。
百物語 (新潮文庫)
確かコミックス単行本(複数巻)でも出ていたと思いますが、100話全てが1冊に収録されている文庫版の方が個人的にはお薦め。
おどろおどろしいわけでもない、あからさまに怖がらせよう!という思わせぶりな表現があるわけでもない・・・だからこそ、一つひとつのさりげない描写がじわりじわりと効いてきます。
コマ割り一つも「巧いな」と感じさせる珠玉の漫画。
和本の海へ 豊饒の江戸文化 (角川選書)
筆者によると、近代人の江戸評価は何度も変転しているそうだ。近代が成熟した今、「江戸に即した江戸理解」が必要だという。そしてそのために江戸文化のインフラである「和本」の豊穣な海へわれわれをいざなうのが本書である。
武士から庶民まで様々な人々に親しまれた和本のテーマは、動物、賭博、易占、言葉遊びなど多岐にわたる。一見してカビ臭い印象を受けるかもしれないが、とんでもない。そこには豊かな広い世界が広がり、人々の血の通った好奇心やユーモアがあふれていて、本質的には今日のわれわれと大いに通じるものである。また、それを許す社会的雰囲気、言論・出版の自由があったということだろう。筆者の文体のタッチもなかなか楽しい。
また、単におもしろおかしいだけではない。ネズミの交配について記した「珍翫鼠育草」という本は、メンデルの交配実験より79年先んじていたという。経験的にだが、進歩した科学的知識があったわけだ。
今でもレッサーパンダが立ったとか、新しい占いが流行っているとか、パチンコの新機種が登場したとか、パロディやネットスラングやジャーゴン集がメディアをにぎわしているのだから、現代につながる大衆文化・メディア文化は江戸のこの時期には成立していたといえるのだろう。
一日江戸人 (新潮文庫)
一体、江戸時代の日本人はどんな生活をしていたんだろう?映画やTVでその生活ぶりを見るけれど、本当にそうなのだろうか?
この本は、そんな疑問をすべて明らかにしてくれました。イラスト付きで書かれたこの本は、実に懇切丁寧な書き方がされています。そして、驚くべきことも沢山ありました。
一番驚いたのは、「江戸人」たちは、夏休みをしっかり取っていたことでした。寝具を質に入れ、その金で7月半ばから8月まで、しっかりと夏休みを取っていました。現代の日本人は、「働き蜂」の如く、短い夏休みもなかなか取れません。もっと、余裕を持った暮らしを現代人もしなければいけないのかも知れませんね。その余裕の無さが、ひょっとすると最近の日本がおかしい原因かも知れません。「宵越しの金は持たない」と言う「江戸人」の心意気の方が、現代の「拝金主義」よりは、勝っているのかも知れません。もう一度、「江戸人」の生き方を考えて見ることも必要かも知れないなと思いました。
百日紅 (上) (ちくま文庫)
ジャンルを問わず「北斎もの」は数多いが、この作品は別格で、
これを読んだら誰もが北斎に惚れ直して、
たぶんかなりの確率で同じ様な生き方をしてみたくなるのではないだろうか。
江戸の暮らしも、貧乏も、あるいは人間のしがらみも、これはこれで悪くないと思わせるのは、
やっぱり杉浦さんの人柄が独特の筆致やさりげない話し向きに出ているからなのだろう。
これほどの才能が失われてしまったのは、返す返すも残念でならないが、
どうぞみなさん、ありったけの杉浦日向子作品を耽読して、彼女の世界にどっぷりと浸かってください。
昼間の蕎麦屋で燗酒をちびりとやりながら、ふんわりと味わってください。美味ですよ。
こんな「幸福感」は、ちょっと他では得られません。