ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)
ジキルとハイド、とは二重人格的な、という形容詞のようにも使われる言葉ですが、この小説は、多重人格が解離性同一性障害などの名前で一般にも知られるようになるかなり前の、1886年の作品です。いわゆる多重人格の小説ではなく、ロンドンを舞台とした一流の19世紀末怪奇小説と思ったほうが良いでしょう。何より、臨場感あふれる構成のため、物語に入り込み主人公と共にこの事件の顛末を見届けるような気持ちで読むことが出来ます。
誰の心にもある二面性、信頼される優しさや利己的な残酷さなど、表裏一体のそれを、無理に切り離さざるを得なかった愚かしさとそれに続く悲劇が、謎を読み解いた後には心に残ります。もしかするとスティーヴンソンは、総ての人の心に棲む邪悪なハイド氏を認めず自分から切り捨し自由にさせるのでなく、彼を馴致しつつどうにか彼と共に歩まねばならないのだと、それがほんとうに必要な人間性というものであるのだと、この衝撃的な物語を通じて訴えたかったのかもしれません。
瑠璃色のステンドグラス (光文社文庫)
爽香は大学4年生になりましたが、卒論や就職活動よりもバイトと妙な事件にかかりきりです。作家の五十嵐は妊娠した婚約者を一方的に捨て、かつて共に心中を図った女の妹に近づきます。何でも母親が上手くやってくれることに甘えて大人になり切れてないというのがどれだけみっともないかを見せつけられます。しっかりと成長している爽香と比べてだらしなさが際立ちます。当然の末路に胸がすく思いがします。価値があるということ、本当に強い人間とはどういうことなのかが伝わるような作品です。
蟹工船・党生活者 (新潮文庫)
作者名、作品名ともに知れ渡っている作品ですが、個人的に「プロレタリア文学」という背景もあってこれまで敬遠する向きがありました。が、実際に読んでみると、そうした感傷は別の思いに取って代わりました。
表題作二編に共通して描かれるのは、戦前の末端の労働者の姿です。当時は現在のように、労働組合のようなものが明示的に組織されていたわけではなく(勿論、そうでないものもあるが)、労働者達は企業側に不当ともいえる搾取をされる環境にありました。作中に登場する労働者達は独自に労働争議を起こします。その背景や生活が描かれていきます。
小説という枠組の中に入ってはいるものの、登場する人物に大きな生々しさ、リアリティを感じました。小説としてももちろん引き込まれるものが多々ありますし、それに加えて当時の労働への背景等が端的にでも窺われ、考えさせてくれる作品だと思います。作者の若くしての死が惜しまれます。
海と毒薬 (新潮文庫)
戦時中に実際に起こった、旧帝大の人体実験を題材にした作品。
遠藤周作はこの作品で、その手術に立ち会った人々の罪の意識に迫っている。
どうして、その手術に参加することを断れなかったのか?
手術に立ち会う人々の、何の変哲もない過去の話が実際の手術の前に、
一人一人語られ、その手術の不気味さを際立たせている。
主人公が見る海の描写が、独特で不気味な日本人の心理をうまく描き出している
ようで興味深い。ぞくぞくと心に迫る表現。
(解説適当です…が、かなりいい本です。)