松蔭はなぜ、尊王を唱えたのだろうかおすすめ度
★★★★☆
幕末から明治の日本人が何を考えていたか知りたくて漁っている中で手にとった一冊。吉田松陰の遺書である。
解題、本文と現代語訳、松蔭の史伝、という3部構成になっている。
留魂録と題された遺書自体は5000字というから原稿用紙にして14,5枚。志半ばで死を強いられる29歳の青年が処刑前日に書いたものだから、もちろん強く心打たれるものはある。
ただ、それ以上でもそれ以下でもない。
彼一人が特別、ということがあるとしたら、それはこの遺書そのものではなくて、彼の薫陶を受けた門下生たちが死を賭して明治維新を実現した、というその一点であろう。その意味では日本の歴史には極めて稀な革命思想家、といっていいかもしれない。体制側からすれば、テロ集団の教祖、であった。
松蔭が掲げた尊王攘夷思想は、松下村塾生山形有朋から連綿と帝国陸軍に引き継がれ、昭和の悲惨な戦争の源流を作った。幕末、天皇は人々から忘れられた存在であった。それがあれよあれよという間に絶対君主に祭り上げられた。そのあたりのニュアンスがやはりわからない。攘夷はともかく、松蔭はなぜ、尊王を唱えたのだろうか。
ともあれ本書の後にぜひ、司馬の『世に棲む日々』をお勧めしたい。吉田松陰が生き生きとした躍動感でもって描かれている。
死を迎える時の自分は?と考えさせられますおすすめ度
★★★★★
松陰の遺言とも言えるこの留魂録の中で、特に印象に残っているのは、
『十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。
二十歳には、おのずから二十歳の四季が、
三十歳には、おのずから三十歳の四季が、
五十、百歳にもおのずからの四季がある。』という言葉です。
『私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げたものはない』が、
『(それでも自分が死ぬという今は)やはり花咲き実りを迎えたときなのである。』
人は必ず死ぬ。だから死ぬ時がわかったからと言ってじたばたするな。
いつ死んでも後悔しないよう、今という時を懸命に生きろ。
という意味だと受け取りますが、死を目前にして、なおかつ、その澄み切った心から湧き出た素晴らしい言葉だと思います。
聞かれもしないのに自分の過去の罪状を告白したことが、死罪の原因となります。
松陰の自分の意志を貫く姿には圧倒されます。
本の後半には、史伝・吉田松陰というタイトルで、訳者の古川氏によって書かれた松陰の半生が記されています。
松陰の生き方を知る上でとても参考になりました。
題名通りにこれこそ”魂の書”おすすめ度
★★★★★
すごい人である。本当にすごい人である。なぜか。1)当初捕縛された際の罪状だけでは死罪にはならなかった。しかし、幕府を覚醒させるべくこれまでの所行をすべて告白する。結果、死罪を被る、2)その際、自分の刑死が、後進の者ものを目覚めさせ、しいてはこの日本を新生させることにつながるとしたその心意気と達観、さらに本書にあるように、3)このように澄み切った、しかも潔さで死に臨んだ。いずれも、われわれには真似することさえ叶わない偉業である。ただただ偉業である。さらに、清明たるその死に対し、遺書である本書の原本が後世に受け継がれるまでの波瀾万丈の物語にもまた、私は涙を禁じえなかった。われわれ日本人は、このような方を先達にもつことが叶い本当に幸福である。日本人に生まれ落ちたことを感謝せねばなるまい。蛇足ではあるが、私は医学領域の末席に携わるものである。さる医師が、末期にあるさる患者様に本書を、さらにいうなれば第八章の御文を与えたところ、死に臨んでの覚悟が定まり、ある種の喜びをともなった諦観をその方にもたらした、という逸話にもまた、多くの人々は感動と感涙に誘われるであろう。我々は、先人たちが血と汗と涙でつづってきた日本の歴史と、この素晴らしい祖国日本を守っていくべき責務があるのだと、読後つくづく感じ入った次第である。
感服した。おすすめ度
★★★★★
齢満29歳にしてこの意志ありとは、感服の一語に尽きる。
人としてどう生きるべきか、またどうあるべきか。
何某か感じるものがあるかと思います。
「人生」に於いて必読の一冊です。
今だからこそ、読んで欲しい。
おすすめ度 ★★★★★
吉田松陰が処刑前に親族、弟子達に書き残した魂の叫びの遺書。限られた時間の中で、極限状態のなかでまとめられただけに、吉田松陰の苦悩や弟子達への愛情がほとばしっている。時代背景、思想が大きく異なる21世紀の日本に生きている我々には理解を超えているのは事実ですが、吉田松陰という偉人を偲ぶことができる良書です。