松竹ヌーヴェルヴァーグの一人とされる吉田喜重が、13年ぶりに復活した問題作品だ。それまでの吉田喜重は、ビジュアルアートの世界を追求していたのだが、この作品は正反対の現実的な世界となっている。老いをテーマとしたサスペンスなのだが、家族全員が皆違う方向を見ていて、結局犯罪にならないと、真実を見つけられない、淋しい作品だ。
老いの問題は今も全く変わらずおすすめ度
★★★★★
認知症におちいり、「死なせてくれ」と懇願する母。その認知症の母に「手をかけるならわしがやる。お前らには手をふれさせねえ」と首を絞めようとするも結局果たせない父。「もう動物と同じなんだから、動物園みたいなものを作って社会で管理しなければいけないんだ」と言い捨てる孫。その孫を「人間には言っていいことと悪いことがあるんだ」と殴る息子。しかしその息子は認知症二人の重荷を背負う自分の妻への申し訳ないという思いや、認知症にて変わり果てた母の姿に耐えられず、結局母に手をかける。その息子は正義として振舞わなければならないと自負しながらも、逆に裏腹の行為に及んでしまう、まさに欺瞞そのものを体現しているような存在で、実は最も人間くさい役柄となっている。老いというなかなかまともに直視できない現実が重くのしかかってくる。20年前に製作されたにもかかわらず、今現在も変わらぬ現実がある。
人は何を「約束」できるのか
おすすめ度 ★★★★★
老いによって重度の認知症に罹ったタツは、時折、心が青春時代に返る。性に目覚め始めた少女のように振る舞う姑に、激しい嫌悪を覚える嫁。一方、タツの息子・依志男は、介護の際に老いた母の裸を目にしたせいで、若い女の肌に感じていた情欲を呼び起こせなくなる。老人の性=生への執着が、息子夫婦のそれを腐蝕し、枯らせていく恐怖。
大学生の孫は、あれでは動物と同じだ、施設に隔離するべき、と冷たく言い放つ。その言葉に驚く彼の両親は、そこまで割り切れない事で却って、葛藤と愛憎を募らせていく。老親に向かう、抑圧された嫌悪。それは、自らの義務感と偽善の重みが生む感情なのかも知れない。
‘老い’は、自分自身の現実として身に迫ってこない間は、優しく見守る事も出来る。だが、何かのきっかけでそれが、自身の未来の内へと侵入して来た途端、人はそれに対して、より具体的な感情としての、憎悪を抱いてしまうのか。そうした心の微妙な綾が、殆ど恐怖映画と言えるほど、鬼気迫る演出で描かれている。
劇中で交わされる‘約束’とは、最後まで‘動物’ではなく‘人’として生きる事を願っての約束。しかし人であるが故に、果たす事の出来ない約束でもある。果たせなかった全ての約束は、社会からも現実からも隔絶した、幸福な回想と夢の中でだけ実を結ぶ。
この映画は、水の象徴性に注目して観て頂きたい。揺らめく水鏡に映る、崩れて歪んだ顔や、タツの夫・亮作の失禁、風呂場での或る出来事、依志男が水を吐く場面、等々。老い。死。救済。この全ての意味を、水が担っているように感じる。
一見すると地味な社会派ドラマだが、芯に置かれた主題は、抗い得ない死を前にした人間の、愛や赦し。人の生が最後に行き着く姿を描いた、深遠な物語。