インドで考えたこと (岩波新書)
一見したら旅行記に見えるかもしれません。
しかしながらはずれです。
旅行記はあることはあるのですが、
ほんのわずかの記述しか見られません。
よって、旅の記録をメインに読みたい人は
手にとってはいけません。
がっかりします。
唯一よかったのは
日本が何で他のアジアの国と毛色が違うのかが
わかったことや
インドの人は話し好きと言うことかな。
そのほかはクドクドとしていて読みづらかったです。
ゴヤ 2 マドリード・砂漠と緑 (集英社文庫)
スペインの偉大な画家の若き日について、生まれた村や近くの街、建築物、戦争とその歴史がよくわかる。彼がいかに成長していったか。どうしてあのように人間を見つめた現代的な絵を描くに至ったかのはじまりである。文章も知的だ。スペインはけっして日本人が夢見る麗しい単純な国ではなかった。
時代の風音 (朝日文芸文庫)
専門分野の異なる3名による対談のため、各人の得意ジャンルにおける深い作品性や重さを期待すると喰い足りない感じがするのは否めない。特に宮崎氏は畑の違いからか年輪の差か進行役的立場からかやや影が薄い。ただ、逆に分野の違いから導かれる切り口の面白さや溜飲の下がる部分も多く、広範な話題や発言の端々にそれぞれの社会観・歴史観のようなものも見え隠れする。3名の肯定的(共感的?)・かつ思い入れの強すぎない読者・視聴者向け。他の著作の間に一冊この本もあると番外編的に楽しめる。サクサク読めてしまうテンポは単純に歴史文化系放談風読み物として見てもいいような気もするが、やはりヨソとはサイズがひとつちがうスケールがどことなくにじむ。個人的には、司馬氏のエッセイ作品の読者層あたりがなじみやすい内容な気が。文庫で読む分には充分なコストパフォーマンスかと。
方丈記私記 (ちくま文庫)
古典をどう読むか?著者も言われる様に、日本の古典とは、例えば高校で古典文学の授業で読まされる物には、その真の読み方を知らず、唯だ、試験の為に相も変らぬ、文法や古語の記憶に終始し、古典の持つ真の迫力を知る事無く終わってしまう。こんな無味乾燥な授業しか体験の無い生徒は、方丈記と言っても、やれ、「行く川の流れは絶えずしてもとの水にあらず、淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて・・」伝々で、現在とは関係の無い記録として通過してしまうのが常であろう。
だが、しかし本気で読んで見たまえ、何と緊迫感にあふれた文章であろうか!彼の描く様々の災害・飢饉・大風・大水・などは、彼の若い頃に見た記憶であるが、何十年も前の情景を、実にリアルに、リアリステックに描き出す文章は、只者ではない。京の町が炎で灰燼に帰す、合流火災の凄まじさは、東京下町を焼き払ったアメリカ軍の無差別爆撃の恐怖と、重なるものを思い起こさせるだろう。鴨長明は音楽、特に琵琶の名手であったという。文章の素晴しさは、彼の美的感受性の反映であろうし、この大いなる過酷な事態は、トテモ、はるか遠い時代の事とは思えぬのである。いつか我々に襲い掛かる災害が、この長明の描く世界とそっくりの地獄を作り出す事は、大いに有ると思ったほうがいい。人間は、そこで果たして、如何なる振る舞いを為すのであろうか?
堀田善衛氏のこの本「方丈記私記」は、古典である「方丈記」を「同時代」の事として読むことを教えている!「同時代」として読んだ時にこそ、この本の本当に恐るべき真価が理解される。堀田氏は、方丈記を敗戦間近の東京大空襲の記憶と重ね合わせた、同時代ドキュメントとして読み、当時の鴨長明氏の心境まで髣髴とさせる程の、素晴しいものとされている。おそらく、このような事態は、仮に、東京大震災、東海大地震、などが、起こった際には、当時と同じ地獄絵図として、繰り返されるに相違ない。
有名で有りながら、真髄が多くの人々に知られる事の無かったこの古典を、画期的に解釈する「方丈記私記」は「方丈記」と共に、高校生に是非読んでほしい本なのです!それは、惹いては堀田善衛という、極めて個性的で、類稀な、良質な作家を知る機会にも成ると思うからです。