覆いをとること・つくること―「わたし」の治療報告と「その後」
カウンセリング場面で話をきくことがメインになるが、どこまで聞いてよいのか、聞きすぎることの危険はあるんじゃないという疑問からこの本を購入しました。
たとえという言葉を生で話させることからの包んで話すということの視点はとても大事にしています。
戦争を知らない子供たち-北山修 作詩集(紙ジャケット仕様)
CD帯には1975年作となっているが1971年の間違いでしょう。オリジナルはダブルジャケだったが今回は再発時のシングルジャケ。多分一時休業前の集大成として出されたアルバムだと思います。名曲揃いです。ちなみに「白色は〜」、「花のように」、「さらば恋人」は朗読です。他のレコード会社ですから当時は当然のことだったのでしょう。でも今聞いてみるとサムのナレーションは味があってとても良い。最後のアマチュアの「戦争を知らない子供たち」。これも時代を感じるが前説のサムの言葉が今でも通じることがとても悲しい。団塊世代にはたまらない内容だが40歳の私でも十分楽しめる。25年以上前にこのレコードを新星堂本店で購入した時友達に「音楽の教科書みたいなアルバムだ」と言われたことを思い出した。
帰れないヨッパライたちへ―生きるための深層心理学 (NHK出版新書 384)
きたやまさんの本は、初期のエッセイから、かれこれ15冊くらい読んできましたが中抜けも多いので、今回の本がどんな位置づけになるのかは正確には分かりません。ただ、全体をまとめる上で「嫉妬」というキーワードに比重が、以前よりくっきりとかかっているのかと思いました。
私の他者への嫉妬、その裏返しとしての羞恥、恐怖。それをうまく腹におさめつつ、人は成長していく。そのバランスがうまく取れずに、困難に直面したときに、私という秘密を受けとめて、他者にばらさずに抱えてくれる母的な存在である第二者を、実際の母親が引き受けられない場合に浮かび上がる、精神分析医などの職業的第二者の必要性。
また、今まで、嫉妬に弱くこもりがちであった日本人の、若い世代に見られる嫉妬への強さへの着目。
もう若くはありませんが、自分の心を整理して見つめるきっかけにもなる本でした。
最後の授業――心をみる人たちへ
『帰ってきたヨッパライ』『戦争を知らない子供たち』『あの素晴しい愛をもう一度』等で歌のヒットを飛ばし、医学博士として精神分析医の道を進んだ著者が、九州大学退官時に行った講義をまとめたもの。
精神分析という分野での言葉の重要性。セルフモニタリングの時代。二者間内交流。人のはけ口になるには私たちのはけ口も必要。常識的な葛藤や不安は他人に共感するときの材料にもなる。
この人の創った歌を口ずさんだことのある人にとっては、「マスコミやテレビは見えない人々との交流」であるため自分のフィールドではなかったということを説明している点も印象に残るだろう。昔話を用いた心理の説明では、無意識やタブー、日本人の心理のはかなさの美学、西洋における愛の奇跡のあらすじを支えるキリスト教の思想について自説を展開する。最後は、フロイトについて、芸術家であり科学者であったという解説で締めている。