イル・ベント・エ・レ・ローゼ 愛するということ オリジナル・サウンドトラック
映画本編は「女性向けAV」みたいな作品でしたが、このサントラは映画本編を観ていない人でも楽しめるほど完成度が高いです。書上奈朋子が書いたクラシックを基調とした音楽は、教会音楽風、ラテン調、アコースティック、ピアノ、エリック・サティ『グノシェンヌ NO.1』『ジムノペディ NO.2』、ポップス、ラヴェル『亡き王女のためのパヴァーヌ』、プッチーニ『ある晴れた日に』を日本語詞で歌った曲、トランス、バラードと多彩で、一曲一曲の完成度が高い。書上奈朋子の歌が、歌唱力なのか声量なのか歌い込み不足なのかは分からないが、迫力が無いように感じた。5曲目『la rosa』は恥ずかしいし。
愛するということ (幻冬舎文庫)
主人公マヤは、野呂との関係が永遠に続くかのように思っていた。
しかし現実は、愛する男が他の女を愛してしまい、そこから生まれた苦しみに立ち直りゆく姿を描いている。
現実をわかっていながらも受け止められず、毎日苦悩する日々。回想する日々。。。
なんだか、わたしも同じような思いをしたことがあり、とても切ない気持ちが伝わってきました。
そして、決して自分の過ごした日々を否定しなかったマヤに、とても感銘を受けました。文中の表現を使うならば、鉛筆で描いたものを、無理矢理にでも消しゴムで消そうとしないこと。
事実は事実と認め、後悔などせず、別れてもなお、彼のことを思いやり過ごそうとする様子に、感銘を受けずにはいられませんでした。
この本は、少し恋愛観を変えてくれたような気がしました。
彼に優しくなりたい、彼を大切にしたい。彼に会いたい。。。そんな思いを感じさせてくれる1冊です。
愛するということ
新訳よりも、1959年翻訳のこちらのほうがよい
…たとえばタルムードの中には、もし「ひとつの生命を救うならば、それは全世界を救ったようなものである。またひとつの生命を亡ぼすものは、全世界を亡ぼすようなものである」と表現されている。
偉大なイスラムの詩人にして神秘家であったルーミーによって美しく描かれた。
「愛するものが愛されるものを求めるのは、
まことに、
愛されるものによって求められている時のみである。
手がひとつだけでもうひとつの手がないとしたら、その手は鳴らない。
世界のすべての部分がその対偶をなすものと組むようになることは、
あらかじめ定められた掟なのだ」
この緊張感、言葉の節制ぐあい、そうゆうのがワシのもとめてるもんなんやろなあ
しかしまあ新訳があれだけレビューを集めているということは、あれで充分ということなんやろう。
むしろあっちのほうが良い、とかね。
日本人の国語力は下がってゆく一方だ
国語力って何かしらんけど
人が人を愛することのどうしようもなさ [DVD]
石井隆の映画に土屋名美が出ると空気が変わる。そして独特の風が「ヒューっ」と吹く。
ずっと封印され続けていた“名美”とスクリーンで再会して、改めてそう感じた。
石井隆の劇画に登場した土屋名美は、ひとりの女優として石井隆のイマジネーションを具現化するために渾身の演技を繰り返した。
そしてそれらが原作として映画化されると、生身の女優たちが土屋名美という女優を凌駕しようと渾身の演技を披露する…そんな入れ子現象が起きる。
そこに、独特の風を産み出す作用があるのではないかと思うのだがどうだろうか。
「人が人を愛することのどうしようもなさ」という言葉は、石井隆が自作を語るたびに口にしていた作品世界の普遍的テーマだ。
『天使のはらわた』も、『死んでもいい』も、『ヌードの夜』も、『夜がまた来る』も、『GONIN』も、『花と蛇』も、
裏タイトルを付けるとすれば、全部「人が人を愛することのどうしようもなさ」だ。
今作は自らの普遍的テーマを映画のタイトルにしてしまったのである。
映画を観る前にこのタイトルを聴いた時、作家としての名美名美(?)ならない決意と覚悟を感じた。そしてその予感は、当たっていた。
封印を解かれて解放されたのは、土屋名美ではなく、実は石井隆だったのかも知れない。
そして、その試みが実現したのは土屋名美という女優の魂と覚悟を一身に受け止めることのできる生身の女優、
喜多嶋舞との再会、存在なくてはあり得なかったであろう。
どうしてここまで演れるのか…目を疑うような演技も迷いなく突き進むその迫力は歴代名美女優の中でも突出していた。
彼女もまた「土屋名美を演じることのどうしようもなさ」に憑き動かされ、その運命を受け入れていたに違いない。
でなければ、あの素晴らしいミューズぶりの理由を説明することは不可能だ。
今作『人が人を愛することのどうしようもなさ』は、石井隆の世界とは何ぞや、というエッセンスを凝縮した一本だ。
名美の告白という進行形式を通して吐露された言葉の数々によって、石井隆の繊細なメッセージがフィルムの中に刻まれている。
どうして石井隆が土屋名美を描くのか、どうして石井隆が映画を撮り続けるのか…そうすることのどうしようもなさが名美によって代弁されている。
後年、石井隆とはなんぞやと語られるとき、この作品にスポットが当てられることは間違いない!
愛するということ
2回読んだ。また読みたくなると思う。
『ふつう恋心を抱けるような相手は、自分自身と交換することが可能な範囲の「商品」に限られる。私は「お買い得品」を探す。・・・このように二人の人間は、自分の交換価値の限界を考慮した上で、市場で手に入る最良の商品を見つけたと思ったときに、恋に落ちる。』
この一節、耳が痛かったっす。
自分の周りの人に不満とか感じたときにはこの本を読んで「愛とは、相手ではなく、自分自身の問題だ。」と、反省するとしよう。