メリーに首ったけ [DVD]
青春時代、特に高校生時代に男子はこのような夢を見るのではなかろうか。特にうだつの上がらない男が、美女のハートを射止める。美女を演じるキャメロン・ディアスがかわいらしく、また誠実だ。周りを囲む男たちがとても滑稽。下ネタバリバリで下品ではあるが、青春ラブコメとしては秀逸。抱腹絶倒しながら、ラストはさわやかに感動。
Something Wicked This Way Comes [VHS] [Import]
10月にやってくるカーニバルには気をつけろ・・・!
黒い列車に乗って、〈Mr.ダークの誘惑の宮殿〉は、少し早めのハロウィーンをお供に、秋の夜半、ウィルとジムが住む町にやってきた。
SFの叙情詩人、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる』('83)の映画の開幕だ。
イリノイ州のとある町に住む12歳の少年、ウィル・ハロウェイ(ヴィダル・ピーターソン)とジム・ナイトシェイド(ショーン・カーソン)は、隣り同士に住む親友。ウィルの年老いた父、チャールズ(ジェイソン・ロバーズ)は、人生に疲れかけた図書館の司書。ウィルとジムの担任のフォーリー先生は、若かった頃は美人だったらしいが、今はかつての面影もないオールドミス。たばこ屋のテトリーさんは一攫千金を夢見て、今日も宝くじを買い、床屋のクロゼッティさんは、女の人の話ばかり。片腕と片足を事故でなくしたバーテンダーのエドは、かつてアメフトのヒーローだった。
昼は短く、地に伸びる影が長くなるこの季節に、避雷針の行商人、トム・フューリー(ロイヤル・ダノ)が町を訪れる。いかずちの呼び手、災いの預言者。彼が遠くに垂れ込める暗雲に気づいた時、その「黒いカーニバル」は町にやってきた。
座長のMr.ダーク(ジョナサン・プライス)に、占い師のダスト・ウィッチ(パム・グリアー!)らは、次々と町の人々の心の隙間に入り込んでゆく。エドは、鏡の迷宮の中で自分の五体を取り戻す。テトリーさんは宝くじが大当たり。クロゼッティさんは、アラビアの妖艶な踊り子たちの虜に・・・しかし、みな心を奪われ、虚ろになり、若い姿を取り戻したフォーリー先生も、視力を失ってしまう。さらにMr.ダークは避雷針売りのフューリーを捕らえて尋問する。「いかずちは、いつ来るのだ!?」
逆回転する木馬に乗せられ、町の大人が子供にされてしまう様子をみたウィルとジムは、邪悪な座長に狙われ、逃げ惑う。それを知ったウィルの父・チャールズは、憂鬱をはらいのけ、悪夢の迷宮に立ち向かう決心をするのだった・・・!
原作者のブラッドベリ自身が脚本を書き、監督は『回転』『華麗なるギャッツビー』の名匠、ジャック・クレイトン。製作は、この手の映画を撮らせたら、当時右に出るものなしだったディズニー・プロ。
とにかく、全編ノスタルジックで渋みがかった色合いの映像がたまらない。原作では、はっきりした時代の言及は避けている(ある年、と表現している)が、明らかにブラッドベリ自身が少年時代を過ごした大恐慌時代の1930年代頃だと、観ているだけで判る。何よりも、ブラッドベリ大得意のテーマの集大成なのだ。「少年」「カーニバル」「10月(または秋)」そして「奇妙な人々」・・・屋根裏部屋にしまい込まれていたおもちゃ箱を再び開いたような甘酸っぱい想いが、この映画には詰まっている。
黄金と焔の色に染まった森。秋風に吹かれて、街路を滑ってゆく落ち葉のさざなみ。芝生の上を駆けてゆく、少年たちの靴。異形の人々のパレード。氷柱の中の美女。刺青の男。逆回転する木馬。タランチュラの群れ。図書館での鬼ごっこ。垂れ込める暗雲。いかずちの音と閃光!
少年の頃の心のときめき、暗闇や得体の知れないものへの慄き、憧れや悪夢が渾然一体となって、ブラッドベリならではのファンタジー世界が展開する。ジャック・クレイトンの味わい深い演出もさることながら、'80年代に青春時代を送った世代の人にはたまらない、いかにもあの時代がかった特撮センスなど、愛しくてたまらなくなってしまう映画なのだ。
ブラッドベリ自身にとっても、カーニバルはまさに創作活動のルーツだったらしく、12歳の時に、「ミスター・エレクトリコ」という電気人間と出逢ったことが大きな影響を与えたらしい。
「お前と俺は、かつて親友だったじゃないか。1918年のフランス、アルゴンヌの森の戦闘でお前は傷つき、俺の腕の中で死んでいった。また生き返ってくれたのか。顔と名前は違っていても、その輝く魂は昔とちっとも変わらない・・・」
それから数日のうちに、ブラッドベリ少年は物語を書き始めたという。
「あれで人生が変わったな。がらりと変わった」(『ブラッドベリ、自作を語る』より)
小説のような、不思議なエピソードだ。
『何かが道をやってくる』は、実はブラッドベリがジーン・ケリーのために短篇「黒い観覧車」を長編映画の脚本としてリライトしたのだが、結局出資者が現れず映画化できなくなったため、長編小説に書き直したのだという。
原題の「Something Wicked This Way Comes(何か忌まわしいものがこちらにやって来る)」は、シェイクスピアの「マクベス」第四幕・第一場の洞窟のシーンで、魔女が言うセリフからの引用。
「親指がぴくぴく動く、何か悪いものがこっちに近づいて来る。抜けろ、かんぬき、誰でもいいぞ!」
この「Something Wicked」とはマクベスのこと。
ブラッドベリ少年は、カーニバル=町から町へ渡り歩く異形の者たちに、マクベスのような、呪われた運命に囚われたさすらい人の姿を見出していたのだろうか。
少年の感性をいつも心に書き続け、SF、怪奇幻想、ファンタジー小説の分野に大きな足跡を遺したレイモンド・ダグラス・ブラッドベリは、2012年6月5日、永眠。享年91歳。
ブラッドベリ独特の幻想的な感性は、映画の世界でも多くの名作を生んだ。
ジョン・ヒューストンに請われて脚本を執筆、エイハブが手招きするラストシーンが伝説となった『白鯨』。トリュフォーによって映画化された『華氏451』。テレビシリーズでは、『火星年代記』や『レイ・ブラッドベリ劇場』に根強いファンがいることと思う。中でも、自分が追悼レビューとして書きたいと思った映画が、本作『何かが道をやってくる』だった。
「できることなら火星に埋葬されたい。遺灰はトマトスープの缶に入れてもらいたいな。墓石のてっぺんに小穴を掘って、その下に注意書きがあるんだ。“献花はたんぽぽに限る”」
と、生前言っていたブラッドベリ。残念・・・、たんぽぽの季節は過ぎてしまったばかりだ。
とはいえ、まもなく書店には追悼コーナーが設けられ、SF誌は追悼特集を大々的に組むだろう。ソフト業界も、ぜひ追悼特集をしてほしい。
本作をはじめ、数々のブラッドベリ関連の映画やテレビドラマのDVD化という形で!
赤ずきんと迷いの森 ドラマCD ~Something else~
きつねさんが必死に狼さんに弟子入りを頼んでは玉砕。
そんなきつねさんを優しく包み接するウサギさん。
かわいくてぼけぼけなきつねさんがいじらしい。
Happy Cakeでは、三人それぞれの後日談が描かれています。
ちょっとH・・・本当にちょっとでしたか?
内容は短いですけど、最後までしちゃってます。
狼さんはあることで落ち込む。
きつねさんはやっぱりきつねさんだと思ったし・・・
ウサギさんは本編で攻略できなかったぶん、よかったです。
また、本編プレイしたくなりました。
Something for Joey [VHS] [Import]
とにかく泣きます。何度見ても5回もワンワン泣いてしまうんです。特に最後なんて、何を言うか解っているのに泣いてしまいます。実話をもとにしてつくられたこの映画で、心を鷲づかみされたような感動を覚えなければ、決して人間とはいえないのではないでしょうか?是非是非感動の涙を体験してください。
Something for You
前作「around the city」では、ついにブラジリアン・ポップ・ヴォーカリストになってしまってジャズ・ピアニストのイリアーヌはどうなったの?と少し寂しい思いでした。
しかし、1年半ぶりの今作は彼女のジャズ・ピアノとジャズ・ヴォーカル、しかもなんとビルエヴァンスへのトリビュート・アルバムです。
彼女のピアノが聴きたいファンには、盆と正月が一緒にやってきたような嬉しいアルバムです。
彼女は以前「Plays Jobim」で第2期エヴァンス・トリオの黄金期を支えたエディ・ゴメス、ジャック・ディジョネッ トと組んだこともありビル・エヴァンスの思いは強い感じでしたがそれ以上に現在のパートナーでもあり最後のビル・エヴァンス・トリオのベーシストだったマーク・ジョンソンの存在が今回のアルバム制作に大きな影響を与えているようです。(実際、マークはあのスコット・ラファロのベースをこの録音で弾いています。)
どの曲もビル・エヴァンスのピアノ・タッチを感じながらイリアーヌのジャズ・ピアノをたっぷり聴けますが、中でも「ワルツ・フォー・デビー」では、まるでビル・エヴァンスがイリアーヌのヴォーカルの伴奏をしているかのような錯覚に陥ります。