岡林信康読本(CDジャーナル・ムック)
表紙の写真を見て即購入しました。それでビックリ、何と浅井槇平さんの写真だったのです!写真はもとより、エッセイ、記事、CD紹介、楽譜など、中身は盛りだくさんでギッシリと凝縮された感じです。同社の読本シリーズの中では最高レベルの仕上がりだと思います。
岡林、信康を語る
今の岡林信康は何を考えているのか。(2011年現在65歳)
"フォークの神様””日本のボブ・ディラン”と称された岡林信康が30時間にわたって語った半生記。
ファンにはたまらない。日本の音楽史の一断面。
「加山雄三に影響を受けて、ギター始めたっていうのはちょっとカッコ悪いから、高石友也を聴いて始めたって
いう方が、何となくいいと思わんか」
「ビクターが森進一の次の演歌歌手として育てたいから、岡林のことはビクターに任せてくれって言ってきたらしい」
「労音のコンサートが終わると”合評会”とか行って旅館まで押しかけて、軟弱なラブソングみたいのはどうでもいい
『”友よ”みたいな歌作ってくれ』とか言って、ずっと夜中まで寝かしてくれない。そして、ようやく、
『体に気をつけてください』なんて言って帰ってゆく、俺はまたコンサートだよ。
ほんとうに体に気をつけて欲しいなら、来るなーっ、寝かしてくれーっ。」
「俺は思ったんだ『こういう人達の団体が政権獲ったらやばい』言論統制されて『こういう歌しか歌っちゃいけない』って。
北朝鮮と同じじゃないか」
「『それで自由になったのかい』は組合運動をおちょくってやろうと思って書いた歌なんだけど、もうちょっと深いな」
「美空ひばりさんが歌ってくれると聞いいたときは、背中にスーッとするものが走った」
「自分で気に入っているのは『くそくらえ節』『ガイコツの歌』」
『それで自由になったのかい』
いくらブタ箱の臭いマズイ飯がうまくなったところで うまくなったところで
それで自由になったのかい それで自由になったのかよ
そりゃよかったね 給料が上がったのかい 組合のおかげだね
上がった給料で一体何を買う テレビでいつも云ってる車を買うのかい
それで自由になったのかい それで自由になれたのかよ ブタ箱の中の自由さ
俺達が欲しいのはブタ箱の中でのより良い生活なんかじゃないのさ
新しい世界さ 新しい世界さ
シミだらけの汚ねぇカベをきれいに塗り替えて モナリザの微笑を飾ったところで
それで自由になったのかい それで自由になったのかよ
そりゃよかったね 給料が上がったのかい 組合のおかげだね
やっとあんたの息子も大学にやれるね どんどん出世してもらわなくちゃナ
それで自由になったのかい それで自由になれたのかよ ブタ箱の中の自由さ
俺達が欲しいのはブタ箱の中でのより良い生活なんかじゃないのさ
新しい世界さ 新しい世界さ
ジュータンでも敷くかい ソファも入れるかい 冷たい鉄格子にカーテンでもかけりゃ
こぎれいになったね ブタ箱じゃないみたい
それで自由になったのかい それで自由になったのかよ
今にきっとあんたは言い出すだろう 住めば都さ ブタ箱も悪かない
じっと黙ってりゃ そのうち出してくれるさ
それで自由になったのかい それで自由になれたのかよ ブタ箱の中の自由さ
俺達が欲しいのはブタ箱の中でのより良い生活なんかじゃないのさ
新しい世界さ 新しい世界さ
ベストコレクション「歌祭り」1
「山谷ブルース」ボサノバ演歌のようなアレンジが
最高。尺八の音色が、せつなくも御洒落。
「流れ者」ディラン2を思わせるような、
追い詰められた闇夜の路地か、はたまた断崖の
小路でむせぶように響くギターがベースがたまらんです。
生涯の悟りを一曲で表現したような「モンゴル草原」
理由もなく泣けてきます。
前半のピークは「君に捧げるラブソング」
買いました、読みました「岡林、信康を語る」
そのうえで聞くと悲しくなる、大切な人を亡
くしたすべての人の琴線に触れる。
そして岡林さんの集大成と感じるのがラストの「風詩」
人生の旅も2/3にさしかかったかなと思うこのごろ、自分が
先に行ったら、妻に式で是非流して欲しいと思う曲です。
エンヤトットはライブで聞いたら、もう盛り上がるんでしょうね。
皆で踊りたいっす。でも欲を言うなら、このリズムで
世直しの歌を作って欲しい。私利私欲を捨て
社会の為に立ちあがろうよって歌で踊りたい。
だからここに来た!-全日本フォーク・ジャンボリーの記録- [DVD]
1970年のフォークジャンボリーの記録映画は当時から音楽映画というだけでなく、あの時代の象徴としても評価されたもの。フォークからニューミュージック、Jポップと、ポピュラー度が高くなり、歌としてよりは音楽として迎えられる時代になっていくにつれて話題にされることもなくなり、たまにBSやスカパーの特集で放送される程度の取り扱いだった。しかし、今こうしてDVD化されたことは驚きであり、ポニーキャニオンの姿勢に拍手を送りたい。この時代に青春を過ごした者としては、この時代のライブ音源等が関係者のところに沢山眠っているという話に、いつか会えるのではないかと期待している。
フォークジャンボリーは都合3回開催されたが、これはその中間の年。翌年にはメインステージが占拠され演奏ができなくなるという出来事があった一方で、よしだたくろうがサブステージで「人間なんて」を永遠と歌い続けたことは有名だ。そのライブの迫力はCDで復刻されているので耳にすることができる。もちろんこの70年(第2回)もCD化されているし、数社から発売されたものを集めると相当の曲に出会えるので、それも楽しめる。
しかし、このDVDで楽しめるのは、ほかの人も書いているように、岡林信康の歌であり、少しだけ映っているはっぴいえんどの姿だ。つまらなそうに演奏している姿がとても楽しい。数年前に小田和正の「クリスマスの約束」で久しぶりにTV登場した斉藤哲夫の若き哲学者と呼ばれた当時の映像もいい。遠藤賢司もいいし、風船もいい。亡くなった高田渡の若々しい姿、そのバッキングを務める岩井宏も亡くなった。「夜があけたら」の浅川マキも亡くなってしまった。この時「教訓1」でスターになった加川良は残念ながら音源だけ。でも、どれもこれも、あの時代を思い出させてくれるに十分だ。
すべてが懐かしく、うれしいのだが、私がきわめて個人的にうれしいのは、オープニングの映像でフィルム傷がそのまま出ていることと、時々音飛びしていること。さらには、小室等と六文銭の映像だ。そののちにベルウッドから六文銭のアルバムが出されているが、この日のステージの六文銭は別。たしか、記憶に間違いがなければ、ここの女性は小室のり子さん、そう小室さんのファーストアルバム「私は月には行かないだろう」のジャケットに写っている、小室さんの奥さんのはず。小室のり子さんの歌声はこのステージのものしか残っていないのではないかな。六文銭のメンバーがしょっちゅう変わっていた頃であり、まさにフォークの時代だ。
このジャンボリーは、当時のフォークシーンそのものであり、時代を映している。翌年の第3回頃から、フォークは重いものを背負わされ、自ら変貌していくこととなる。このころの流れは今も確実に続いているのだが、ふれあう機会はめっきり少ないままだ。
このDVDが、この時代を知らない若い人たちにどのように映るのかはわからないが、この時代にギターを弾いたことのあるひとには、青春を思い起こさせるに違いない。
見るまえに跳べ (紙ジャケット仕様)
1970年6月に岡林信康アルバム第二集『見るまえに跳べ』は世に登場している。この時代、歌は若者の生き方を考える教材であり、歌い手は教師であった。歌を聴き、自分に問いかけ、生きることの意味を探し求めた。時にあこがれ、時に批判し、そうして自分の生き様のモデルを必死に探した。今の否定的意味合いを強めた個人主義ではない、一昔前の時代の、連帯にあきらめていない、あるいは幻想かもしれないと気づいても気づかない振りをしながら。だから、決して「私の望むもの」ではなく、「私たちの望むもの」だったのだろう。そしてあの時代の、この歌の生徒たちは今気づいている。私たちの望むものは、いくら一生懸命探しても、どこにも転がっていなくて、どんなに小さなものでもいいから、自分で作って築いていかなければ、つかめなかったことを。私たちの望むものは、自らを否定し、自らを築き、自らを肯定し、自らを壊し、新たな自らを描いていくなかに見出せた。
このアルバムは、私たちの望むものそのものだったのである。
なお、このアルバムでははっぴいえんどがバックを務めている。はっぴいえんどはこのアルバムやフォークジャンボリーなどでのバッキングを自分達の活動から見て全く評価していないが、ボブディランがザ・バンドと組んだ例をとって、当時は話題にされた。
永らく入手困難だった。再発で、やっと出会える。