宮本大希vs佐藤友哉(岐阜国体成年男子中量級組手2回戦)
第67回国民体育大会 ぎふ清流国体 2012年10月6日(土) 岐阜県多治見市 多治見市総合体育館 成年男子中量級組手2回戦 宮本大...
水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪 (講談社文庫)
『灰色のダイエットコカコーラ』が好きなので、こちらを購入しました。
人間の感情の、どちらかというと嫌な部分を書くのが非常に上手な作家さんだと思います。引き込まれますし、とにかく面白い。
ただ、鏡家サーガ?のシリーズは読んだことがないので、そのあたりは多少引っかかります。それはまあ、そう問題ではないのですが、
何より、最後のあたりで、わけが分からなくなります(笑)。関係のない3つの話が、最後でつながるのですが、複雑で、よく分かりません。
いや、分かるのはわかるんですけど、ところどころしっくりこないので、モヤモヤします。だからもう、読後は「え? つまりあの人は…。ん? でもそうなると、あれはどういう意味なんだ?」と考え込むことになります。ネタバレなので詳しくはいいませんが、「小学生にそこまでの殺人が可能なのか」「圭介は結局死んだのか否か」「広明=他のストーリーの主人公、だとしたら、なんだか、彼らの知能レベルが違い過ぎないか」「そもそも、脳手術ってそんな気軽にできるの?」「小学生二人のところに現れたヤクルトの人が鏡だとしたら、時間軸どうなってんの?」とか…。どうも納得いきません。そして、読み返そうという気にはなりません(笑)。本はよく読みますが、この本は、読み終わるとわりと疲れました(笑)。
だから、純文学としてとらえればとてもいい作品なのですが、ミステリーとしてはイマイチかなあと思います(めちゃくちゃ考えながら、紙に整理しながら読むのだったら、くっきり理解できるかもしれないですけど)。
初めて佐藤さんの作品を読まれる方には、『灰色の~』の方をおすすめします。
人間の感情の、どちらかというと嫌な部分を書くのが非常に上手な作家さんだと思います。引き込まれますし、とにかく面白い。
ただ、鏡家サーガ?のシリーズは読んだことがないので、そのあたりは多少引っかかります。それはまあ、そう問題ではないのですが、
何より、最後のあたりで、わけが分からなくなります(笑)。関係のない3つの話が、最後でつながるのですが、複雑で、よく分かりません。
いや、分かるのはわかるんですけど、ところどころしっくりこないので、モヤモヤします。だからもう、読後は「え? つまりあの人は…。ん? でもそうなると、あれはどういう意味なんだ?」と考え込むことになります。ネタバレなので詳しくはいいませんが、「小学生にそこまでの殺人が可能なのか」「圭介は結局死んだのか否か」「広明=他のストーリーの主人公、だとしたら、なんだか、彼らの知能レベルが違い過ぎないか」「そもそも、脳手術ってそんな気軽にできるの?」「小学生二人のところに現れたヤクルトの人が鏡だとしたら、時間軸どうなってんの?」とか…。どうも納得いきません。そして、読み返そうという気にはなりません(笑)。本はよく読みますが、この本は、読み終わるとわりと疲れました(笑)。
だから、純文学としてとらえればとてもいい作品なのですが、ミステリーとしてはイマイチかなあと思います(めちゃくちゃ考えながら、紙に整理しながら読むのだったら、くっきり理解できるかもしれないですけど)。
初めて佐藤さんの作品を読まれる方には、『灰色の~』の方をおすすめします。
ナイン・ストーリーズ
思い返せばサリンジャーは子どもを――失礼、非常に若い人々のことを実に魅力的に描いていたもので。
『バナナフィッシュにうってつけの日』のシビルにしてもそうだし、『エズミに捧ぐ』にしてもそう。彼ら・彼女ら特有の背伸びしてしまう愛らしさ、純粋さ、そして飽きっぽいともとれる興味の移り変わり――そうした様を周囲の人々がどう受け取るか。言い換えると「大人」になった人々はどう受け取り、「子どもでもないれけど、大人にもなりきれない」そんな人々がどう受け取ることになるか。そうした子どものイノセントさをさながらある種のフィルターのように機能させ、物語に登場する人々の価値観を立体的に描き出す(暴き出してしまう)ところにサリンジャーの魅力を感じていた所でした。
さてここで本題、この21世紀の『ナインストーリーズ』に話は移ります。
もちろんこの佐藤友哉描く鏡家の人々も魅力的でないわけではないのですが、いかんせん20世紀の『ナインストーリーズ』に慣れた身としては、話の展開・シュチュエーション・登場人物の発想・言動、諸々含めて「こりゃオマージュが過ぎるな」と感じる所です。
また、この本は故サリンジャーとその日本訳翻訳者、故野崎孝氏に捧げられています。
氏は従前『バナナ魚日和』であった表題作のタイトルを『バナナフィッシュにうってつけの日』に生まれ変わらせただけでなく、他の英米文学の翻訳においても知られた人物でありました。
感謝の意を持ち、故人に作品を捧げること自体は良いとは思いますが、読み手としては「他人のふんどし使われてもねえ……」と思わなくもない所です。
ただ読了した後、ついつい比較対象の思いでサリンジャーの方を読み直してしまったことを念頭に置けば、あるいは作者・佐藤友哉の思惑通りの作品となったのかもしれません。
『バナナフィッシュにうってつけの日』のシビルにしてもそうだし、『エズミに捧ぐ』にしてもそう。彼ら・彼女ら特有の背伸びしてしまう愛らしさ、純粋さ、そして飽きっぽいともとれる興味の移り変わり――そうした様を周囲の人々がどう受け取るか。言い換えると「大人」になった人々はどう受け取り、「子どもでもないれけど、大人にもなりきれない」そんな人々がどう受け取ることになるか。そうした子どものイノセントさをさながらある種のフィルターのように機能させ、物語に登場する人々の価値観を立体的に描き出す(暴き出してしまう)ところにサリンジャーの魅力を感じていた所でした。
さてここで本題、この21世紀の『ナインストーリーズ』に話は移ります。
もちろんこの佐藤友哉描く鏡家の人々も魅力的でないわけではないのですが、いかんせん20世紀の『ナインストーリーズ』に慣れた身としては、話の展開・シュチュエーション・登場人物の発想・言動、諸々含めて「こりゃオマージュが過ぎるな」と感じる所です。
また、この本は故サリンジャーとその日本訳翻訳者、故野崎孝氏に捧げられています。
氏は従前『バナナ魚日和』であった表題作のタイトルを『バナナフィッシュにうってつけの日』に生まれ変わらせただけでなく、他の英米文学の翻訳においても知られた人物でありました。
感謝の意を持ち、故人に作品を捧げること自体は良いとは思いますが、読み手としては「他人のふんどし使われてもねえ……」と思わなくもない所です。
ただ読了した後、ついつい比較対象の思いでサリンジャーの方を読み直してしまったことを念頭に置けば、あるいは作者・佐藤友哉の思惑通りの作品となったのかもしれません。
1000の小説とバックベアード (新潮文庫)
読みながら、テレビの世界を舞台にした似たような小説が書けるなあと夢想していたら、
あ、この小説自体『フリッカー、あるいは映画の魔』と、構造がそっくりだ、と、
気付いた次第。
あ、この小説自体『フリッカー、あるいは映画の魔』と、構造がそっくりだ、と、
気付いた次第。
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