影武者徳川家康(上)
関ヶ原の戦い以降の家康が実は影武者だったという、奇抜なストーリー。その発想に読者はあっと驚くに違いない。さまざまな記録書の引用があるが、それを読むとなるほどそういう解釈もあるのかと、感心させられる。
家康思いの親孝行な息子として伝えられている秀忠。その秀忠もここでは腹黒い男として描かれている。影武者家康と秀忠のその攻防は、まさに手に汗握る激しさだ。
真実を知るすべはない。しかしこの本を通し、過去の歴史にさまざまな思いをめぐらせるのも、楽しいかもしれない。
家康思いの親孝行な息子として伝えられている秀忠。その秀忠もここでは腹黒い男として描かれている。影武者家康と秀忠のその攻防は、まさに手に汗握る激しさだ。
真実を知るすべはない。しかしこの本を通し、過去の歴史にさまざまな思いをめぐらせるのも、楽しいかもしれない。
隆慶一郎短編全集1 柳生 美醜の剣 (日経文芸文庫)
隆慶一郎の短編集が装いを新たに日経文芸文庫から刊行されました。本書に再録されているのは、「柳生刺客状」、「慶安御前試合」、「柳枝の剣」、「ぼうふらの剣」、「柳生の鬼」、「跛行の剣」、「逆風の太刀」、「心の一方」の8短篇。「心の一方」は未見だったので、さっそく買い求めました。
柳生宗矩といえば、将軍指南役として秀忠、家光に仕え、幕府惣目付として諸大名に睨みをきかせた徳川家の功臣というイメージがありますが、隆慶一郎の世界では、一貫して柳生暗殺集団の総帥として秀忠の裏方をつとめます。「柳生刺客状」は、徳川家の秘事を目撃した宗矩が秀忠に取り入り、その腹心として秀忠の敵を次々に暗殺する姿が活写されています。いっぽう、石舟斎から柳生新陰流の道統を継いだ兵介(のちの兵庫助利厳)は、仕官先で一揆をおこした百姓を斬りまくり、その後遺症に苦しみますが、やがて無刀取りの境地に到達、宗矩の暗殺現場に行き合わせ、宗矩と対決します。
「慶安御前試合」は、家光の命令で江戸柳生の総帥宗冬と尾張柳生の平助(のちの連也斎)が御前試合をすることになる。江戸柳生は何としても勝たねばならない理由があった。裏柳生の総帥義仙は平助の謀殺をはかります。暗殺集団と平助の戦闘シーンが実に興味深い。そして柳生連也斎の遺言状の異様な項目の理由が明らかになります。「柳枝の剣」と「ぼうふらの剣」は宗矩の子らの相克を描いたものですが、十兵衛三厳が最強というわけではなく、友矩、宗冬にも秘めたる特技がありました。「跛行の剣」は、銃撃により不具の身となった柳生新次郎が、父石舟斎の酷い仕打ちに耐えながら、恐るべき技をあみだす、鬼気迫る物語です。
柳生宗矩といえば、将軍指南役として秀忠、家光に仕え、幕府惣目付として諸大名に睨みをきかせた徳川家の功臣というイメージがありますが、隆慶一郎の世界では、一貫して柳生暗殺集団の総帥として秀忠の裏方をつとめます。「柳生刺客状」は、徳川家の秘事を目撃した宗矩が秀忠に取り入り、その腹心として秀忠の敵を次々に暗殺する姿が活写されています。いっぽう、石舟斎から柳生新陰流の道統を継いだ兵介(のちの兵庫助利厳)は、仕官先で一揆をおこした百姓を斬りまくり、その後遺症に苦しみますが、やがて無刀取りの境地に到達、宗矩の暗殺現場に行き合わせ、宗矩と対決します。
「慶安御前試合」は、家光の命令で江戸柳生の総帥宗冬と尾張柳生の平助(のちの連也斎)が御前試合をすることになる。江戸柳生は何としても勝たねばならない理由があった。裏柳生の総帥義仙は平助の謀殺をはかります。暗殺集団と平助の戦闘シーンが実に興味深い。そして柳生連也斎の遺言状の異様な項目の理由が明らかになります。「柳枝の剣」と「ぼうふらの剣」は宗矩の子らの相克を描いたものですが、十兵衛三厳が最強というわけではなく、友矩、宗冬にも秘めたる特技がありました。「跛行の剣」は、銃撃により不具の身となった柳生新次郎が、父石舟斎の酷い仕打ちに耐えながら、恐るべき技をあみだす、鬼気迫る物語です。