前方後円墳と弥生墳丘墓
近藤氏は前方後円墳では考古学会では第一人者で、基本的にこの本は学術書なのですが、この本では珍しく学問のあり方についての考察から始めているところが特徴です。つまり、考古学で歴史を明らかにすることは社会とのかかわりでどういう意味を持つのか、という大きなテーマを扱っているのです。近藤氏は、先ず「便利というものは進歩でありましょうか」と問題提起して、伐採用の斧と鋸が多様化したあとやがて効率の良いチェンソーとして画一化していく例をとりながら、武器もやはり核兵器というひとつの効率良く人を殺す兵器に収斂していったといっています。現代は「人を豊かにしない物質的進歩」の時代であり、「(資本が世界諸民族に)画一化を押し付けようとしている」という問題意識があるのです。!そ!のとき必要なのは『人を豊かにする物質的な進歩と民主主義の結びつき』であり『多様性と独自性』を取り戻すことなのではないだろうか。考古学者は歴史を3000年以上前まで視野にいれて語ろうとします。近藤氏の指摘は大切にしたい。
そしてこの本はやがて本論に入ります。
以後は弥生時代が前方後円墳秩序(この名称は近藤氏独自)に移る際の考察が述べられています。
基本的にはこういう認識です。「前方後円墳を造るために、近畿地方の首長たちを中心に、吉備、讃岐、山陰、北陸、その他の首長たちが集まって新しい埋葬祭祀秩序を作ったと思われます」(93年の講演記録)吉備や山陰、越の弥生墳丘墓の詳しい分析がそのあと続くのですが、とても紹介する力量がありません。ただ2002年に発行された『前方後円墳!と!吉備・大和』で、「吉備東遷説」(吉備の政治中枢がすっかり移って大和政権が出来あがった)を唱える下地は既に出来あがっていることを指摘しておこう。
そしてこの本はやがて本論に入ります。
以後は弥生時代が前方後円墳秩序(この名称は近藤氏独自)に移る際の考察が述べられています。
基本的にはこういう認識です。「前方後円墳を造るために、近畿地方の首長たちを中心に、吉備、讃岐、山陰、北陸、その他の首長たちが集まって新しい埋葬祭祀秩序を作ったと思われます」(93年の講演記録)吉備や山陰、越の弥生墳丘墓の詳しい分析がそのあと続くのですが、とても紹介する力量がありません。ただ2002年に発行された『前方後円墳!と!吉備・大和』で、「吉備東遷説」(吉備の政治中枢がすっかり移って大和政権が出来あがった)を唱える下地は既に出来あがっていることを指摘しておこう。