◆EASTWEST HOLLYWOOD BRASS Gold Edition Win/Mac対応 ブラス音源 『並行輸入品』 EW-203
並行輸入品と言う元値よりもちょっと高いですが、日本の定価で買うより安く買えて満足です。
本家での購入の英語でのやり取りの手間や質の悪い対応を考えると、1ヶ月の保障等は直接取引をして問題があった人には安く買える上に頼もしい事だと思います。
商品は問題なく動いておりますが、付属品は注意書きの紙一枚と言う・・簡易でもマニュアルもついてないのかと驚かされました。
他のEW製品を買ったときはちゃんとついたのですけどね・・・
商品的レビューとしては音には当然満足ですが、キースイッチ等の対応が無い為使いにくく、音色を選ぶと言う意味で直感的にちょっと使いにくいと言う印象です。
音色の操作自体はモジュレーションでの音の強弱、特にスタッカートの具合を操作できたりとこの辺りは、おおっとなりました。
音色も迫力のあるsoundtrackな音色も勿論いいのですが、QLSOにはみられない歌うトランペット、甘い音色のトロンボーンなど静かな音色なども非常に良いと思いました。
本家での購入の英語でのやり取りの手間や質の悪い対応を考えると、1ヶ月の保障等は直接取引をして問題があった人には安く買える上に頼もしい事だと思います。
商品は問題なく動いておりますが、付属品は注意書きの紙一枚と言う・・簡易でもマニュアルもついてないのかと驚かされました。
他のEW製品を買ったときはちゃんとついたのですけどね・・・
商品的レビューとしては音には当然満足ですが、キースイッチ等の対応が無い為使いにくく、音色を選ぶと言う意味で直感的にちょっと使いにくいと言う印象です。
音色の操作自体はモジュレーションでの音の強弱、特にスタッカートの具合を操作できたりとこの辺りは、おおっとなりました。
音色も迫力のあるsoundtrackな音色も勿論いいのですが、QLSOにはみられない歌うトランペット、甘い音色のトロンボーンなど静かな音色なども非常に良いと思いました。
ピアニシモ (集英社文庫)
ロック・ミュージシャンの辻仁成が、すばる文学賞を受賞したと知り、最初はほんの興味本位で読み始めた。
半分は冷やかしだ。こういうものは片手間に出来ることじゃないのだと、批判めいた気持ちも持っていたかもしれない。ミュージシャンと作家を両立してやっていくつもりなのかと動向を見守っていたのだが、最近の辻仁成を見ると、どうやら作家一本に的を絞ったようだ。
『ピアニシモ』は、2013年の現在再読してみると、1990年に初めて読んだ時とは全く違う感想を持つ、私にとっては珍しい作品だ。
当時はまだケータイもパソコンも今ほど普及していないから、秘密の交信の場として花形だったのは、伝言ダイヤルというシステムだ。これはもうほとんどが売春などに関するメッセージばかりで、小さな社会問題となっていた。
『ピアニシモ』では、十代の主人公トオルが、伝言ダイヤルで知り合ったサキとの電話のやりとりにすっかりハマってしまうというものだ。
匿名性の強い分、単なる電話だけのやりとりだと割り切ってしまえば、あるいはゲーム感覚でそのバーチャルな世界を堪能することが出来たであろう。だが主人公のトオルは、そうではなかった。
裕福な家庭に生まれ育ち、小遣いには事欠かないが、氷のように冷え切った親子関係に心の休まることはなく、学校でも凍るような視線を向けられ、友だちが誰一人としていない教室に針のむしろ状態だった。
そんな中、トオルの孤独を癒すのはヒカルだけ。
だがヒカルという存在は、トオルが自分の中で作り上げた、いわば幻でしかなく、実在しないものなのだ。
以前読んだ時は、なんという孤独な小説なのだろう、行き場のない若者をさらに荒廃の闇へと追い討ちをかけるものなのだろうかと、ずいぶん暗い気持ちになった。
青春とは、決してバラ色でないことぐらい知っていたはずだが、それでもこれほどまで狂信的な孤独を強要させる小説というものは、耐え難かった。
ところがどういうことか、今読むと、全く違う感想だ。
これはあくまで少年期における、度の過ぎた反抗期を描いたものなのでは?と思うわけだ。
皆少なからず若い時には苛められたり、親子喧嘩したり、友人に騙されたり、それこそありとあらゆる苦い体験をするのだ。そういうものを文学という名を借りた青春小説にまとめると、このような作品に生まれ変わるのだろう。
少年から大人に成長する時、誰もが自己否定と自己消失と自己憐憫に戸惑う。
どんな形であっても、人は大人になってゆく。気づかなかったことも、気づき始め、やがては孤独にも慣れてゆく。
人は一人で生まれ、一人で去ってゆくのだから。
『ピアニシモ』は、大人になってから読んでも、さして衝撃は受けない。できれば25歳ぐらいまでのうちに読んでおく方が、“青春とは何ぞや”をリアルに実感できる作品と成り得るものだ。
半分は冷やかしだ。こういうものは片手間に出来ることじゃないのだと、批判めいた気持ちも持っていたかもしれない。ミュージシャンと作家を両立してやっていくつもりなのかと動向を見守っていたのだが、最近の辻仁成を見ると、どうやら作家一本に的を絞ったようだ。
『ピアニシモ』は、2013年の現在再読してみると、1990年に初めて読んだ時とは全く違う感想を持つ、私にとっては珍しい作品だ。
当時はまだケータイもパソコンも今ほど普及していないから、秘密の交信の場として花形だったのは、伝言ダイヤルというシステムだ。これはもうほとんどが売春などに関するメッセージばかりで、小さな社会問題となっていた。
『ピアニシモ』では、十代の主人公トオルが、伝言ダイヤルで知り合ったサキとの電話のやりとりにすっかりハマってしまうというものだ。
匿名性の強い分、単なる電話だけのやりとりだと割り切ってしまえば、あるいはゲーム感覚でそのバーチャルな世界を堪能することが出来たであろう。だが主人公のトオルは、そうではなかった。
裕福な家庭に生まれ育ち、小遣いには事欠かないが、氷のように冷え切った親子関係に心の休まることはなく、学校でも凍るような視線を向けられ、友だちが誰一人としていない教室に針のむしろ状態だった。
そんな中、トオルの孤独を癒すのはヒカルだけ。
だがヒカルという存在は、トオルが自分の中で作り上げた、いわば幻でしかなく、実在しないものなのだ。
以前読んだ時は、なんという孤独な小説なのだろう、行き場のない若者をさらに荒廃の闇へと追い討ちをかけるものなのだろうかと、ずいぶん暗い気持ちになった。
青春とは、決してバラ色でないことぐらい知っていたはずだが、それでもこれほどまで狂信的な孤独を強要させる小説というものは、耐え難かった。
ところがどういうことか、今読むと、全く違う感想だ。
これはあくまで少年期における、度の過ぎた反抗期を描いたものなのでは?と思うわけだ。
皆少なからず若い時には苛められたり、親子喧嘩したり、友人に騙されたり、それこそありとあらゆる苦い体験をするのだ。そういうものを文学という名を借りた青春小説にまとめると、このような作品に生まれ変わるのだろう。
少年から大人に成長する時、誰もが自己否定と自己消失と自己憐憫に戸惑う。
どんな形であっても、人は大人になってゆく。気づかなかったことも、気づき始め、やがては孤独にも慣れてゆく。
人は一人で生まれ、一人で去ってゆくのだから。
『ピアニシモ』は、大人になってから読んでも、さして衝撃は受けない。できれば25歳ぐらいまでのうちに読んでおく方が、“青春とは何ぞや”をリアルに実感できる作品と成り得るものだ。
ピアニシモでささやいて(3) (フラワーコミックス)
様々な妨害に遭いながらも、実力で人気を勝ち取っていく朱。その才能を見いだし、あらゆるサポートをする渡会、そして日下部。朱を不器用に愛しているからこそ、突き放して渡会に預けた朱の母親。朱の友人で、アイドルとして人気を博しながらも、そこに至るまでに身体も使った香菜子。その所属事務所の社長であり、渡会に昔から敵意を抱き、徹底的に朱をつぶしにかかる鷹木。婚約者である渡会を愛しながらも、立場故に彼を裏切り続ける貴子。
友人という人間関係、恋愛という人間関係、肉親であるが故の「憎しみと愛」という人間関係。そして芸能界という厳しい世界。この作品は、それらを丁寧に、容赦なく描き出している。名作だ、と思う。
友人という人間関係、恋愛という人間関係、肉親であるが故の「憎しみと愛」という人間関係。そして芸能界という厳しい世界。この作品は、それらを丁寧に、容赦なく描き出している。名作だ、と思う。