ショーソン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲
ショーソンという作曲家の名前は何となく知っていたが、
曲をきいたことがなかった。
新国立美術館の「チューリッヒ美術館展」の音声ガイドに
「コンセール作品21」の第二楽章と第三楽章が
その絵画の時代を彩った音楽として使用されていた。
なんという官能的な音楽・・・!
今までこんな素敵な作品を知らなかったなんて・・・。
展覧会から帰ってすぐにアマゾンでCDを探した。
音声ガイドで使用されていたものとは音源が違うが、
このアルバムの演奏も素晴らしいと思う。
「コンセール作品21」第一楽章から、ガツン、と来る。
ショーソンの他の作品もきいてみたくなったので
交響曲のCD(デュトワ/モントリオール交響楽団)も買ってみた。
フランクの弟子というのも納得。
曲のあちこちにフランクの作風に少し似ているところがある。
曲をきいたことがなかった。
新国立美術館の「チューリッヒ美術館展」の音声ガイドに
「コンセール作品21」の第二楽章と第三楽章が
その絵画の時代を彩った音楽として使用されていた。
なんという官能的な音楽・・・!
今までこんな素敵な作品を知らなかったなんて・・・。
展覧会から帰ってすぐにアマゾンでCDを探した。
音声ガイドで使用されていたものとは音源が違うが、
このアルバムの演奏も素晴らしいと思う。
「コンセール作品21」第一楽章から、ガツン、と来る。
ショーソンの他の作品もきいてみたくなったので
交響曲のCD(デュトワ/モントリオール交響楽団)も買ってみた。
フランクの弟子というのも納得。
曲のあちこちにフランクの作風に少し似ているところがある。
モーツァルト:歌劇《フィガロの結婚》チューリヒ歌劇場1996年 [DVD]
02年夏に来日公演された、エクサンプロヴァンス音楽祭の「フィガロ」は、俳優のような演技が注目を浴びたが、99年のベルリン歌劇場(バレンボイム)や、今回発売された96年のチューリヒ歌劇場(アーノンクール)公演も、オペラの演劇的要素が強調されている。フリムの演出は、夏帽子をかぶった近代的衣装など斬新な工夫が楽しめる。第三幕の幕を下ろさずそのまま続く第四幕は、人物たちの動きや隠れる位置が微妙なので、回転舞台の使用が効果を発揮した。スザンナ扮する伯爵夫人の誘惑場面は、抱かれようとする彼女が滑り台のような板からするりと抜け落ちる。もともと「フィガロ」は、ボーマルシェ原作の演劇が稀にみる傑作で、オペラもストレーレルやフェルゼンシュタイン等ヨーロッパ最高の演出家により名舞台が残されている。演劇的要素の比重が大きい作品なのだ。
今回のアーノンクール版は、音楽のテンポが遅いことにかすかな違和感を感じた。一部古楽器を用いているせいだろうか、歌手の歌に絶妙なタイミングで寄り添うべきオーケストラが、ほんの一瞬出だしが遅いところがある。「フィガロ」の音楽はモーツァルト中随一のもので、アリアや重唱が美しいだけでなく、いつ、どこで、どのように音楽が「始まる」のか、そのタイミングの絶妙さは、ほとんど奇蹟を思わせる。だから一瞬の空白も許されないところがあり、全体に遅めのテンポでは、歌手とオケとの緊密な一体感が僅かに損なわれるように感じた。歌手では、スザンナより若い(?)マルチェリーナが見事で、第四幕のアリアなど、「女の友は女」というフェミニズムを体現する彼女の重要性を再認識した。
今回のアーノンクール版は、音楽のテンポが遅いことにかすかな違和感を感じた。一部古楽器を用いているせいだろうか、歌手の歌に絶妙なタイミングで寄り添うべきオーケストラが、ほんの一瞬出だしが遅いところがある。「フィガロ」の音楽はモーツァルト中随一のもので、アリアや重唱が美しいだけでなく、いつ、どこで、どのように音楽が「始まる」のか、そのタイミングの絶妙さは、ほとんど奇蹟を思わせる。だから一瞬の空白も許されないところがあり、全体に遅めのテンポでは、歌手とオケとの緊密な一体感が僅かに損なわれるように感じた。歌手では、スザンナより若い(?)マルチェリーナが見事で、第四幕のアリアなど、「女の友は女」というフェミニズムを体現する彼女の重要性を再認識した。
ショーソン:交響曲
エルネスト・ショーソンは熱狂的なワグネリアンだった。音楽理論やスコアに疎い評者には、作品を聴いている限り、双方の類縁性はまるでないように思われる(間違っていたらご指摘ください)。同じくワグネリアンだったブルックナーの作品が、細部の楽器の扱いなどはともかくも、ワーグナーの作品とは異質であったように。
交響曲は、大傑作とは言えないが、ブルックナーの雰囲気と似ているような気もする。特に第2楽章がそうだ。作品の性質は微妙に違うように思うが、やはり師匠フランクの作品との縁が深いように思える。フランクの作風・作品構造はブルックナーに近いものがあるだけに、あながち間違いでもないかもしれない。音楽学的にはどうなのだろう?
『詩曲』がやはり名作だ。ソロ・ヴァイオリンのシャンタル・ジュイエが自らの主張は一歩控え、献身的な演奏をしている。デュトワ&モントリオール響はさすがだ。パリッとした音彩とセンス抜群のリズム感が相変わらず。N響にいる間に聴きにいけばよかったと悔やまれる。
ショーソンは、ごく普通の市民的な暮らしを好む、作曲家にしては珍しいタイプの人だったそうだ。しかし、その死には不可解というか、どこかおかしな点が残る。
妻を迎えに自転車に乗って家を出たあと、民家の門柱に激突して事切れたというのだ。まだ40数歳の生涯だった。父の前を同じく自転車で走っていた娘の衝撃は、いかばかりだったろうか。これはこれで作曲家の「伝説」となっているのだろうが・・・。
交響曲は、大傑作とは言えないが、ブルックナーの雰囲気と似ているような気もする。特に第2楽章がそうだ。作品の性質は微妙に違うように思うが、やはり師匠フランクの作品との縁が深いように思える。フランクの作風・作品構造はブルックナーに近いものがあるだけに、あながち間違いでもないかもしれない。音楽学的にはどうなのだろう?
『詩曲』がやはり名作だ。ソロ・ヴァイオリンのシャンタル・ジュイエが自らの主張は一歩控え、献身的な演奏をしている。デュトワ&モントリオール響はさすがだ。パリッとした音彩とセンス抜群のリズム感が相変わらず。N響にいる間に聴きにいけばよかったと悔やまれる。
ショーソンは、ごく普通の市民的な暮らしを好む、作曲家にしては珍しいタイプの人だったそうだ。しかし、その死には不可解というか、どこかおかしな点が残る。
妻を迎えに自転車に乗って家を出たあと、民家の門柱に激突して事切れたというのだ。まだ40数歳の生涯だった。父の前を同じく自転車で走っていた娘の衝撃は、いかばかりだったろうか。これはこれで作曲家の「伝説」となっているのだろうが・・・。