隠密・奥の細道 DVD-BOX
高校生の頃、いまみたいなきれいなテレビ画面表示ではない時、12インチのブラウン管で見ていた。今改めて見ると、俳優さんの若いこと。今活躍されている方も、引退されている方もでていて、別な意味で懐かしさも感じます。
芭蕉 おくのほそ道―付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄 (岩波文庫)
「奥の細道」は、大抵の人が高等学校で、古文の教科書中の一節として読まされる物の一つです。しかも全篇ではなく、ほんの一節でしかない。投稿者も同様でした。
書いてある内容は分かるのですが、字面だけ分かったとしても、それは鑑賞したとは到底言える物ではない。「奥の細道」の様な、一見、分かり易く見える紀行文でも、果たして16歳の子供に鑑賞など出来る物でしょうか?
投稿者が16の高校二年の時、それを授業の中で習った訳ですが、50歳を過ぎて読む感動はそこには有りませんでした。当時の高校生としては、16歳の生意気盛りで、ボードレールやランボー、などの無頼の詩や、ヘッセとかホフマンスタールの様な、放浪と孤独の甘味的詩には感激しても、日本の古典としての「奥の細道」は、日常の感性からは異質なものでした。何とも日本人としては、情けない事なのですが。
「奥の細道」の出だしの漂泊をを詠った、「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也…古人も多く旅に死せるあり…予も片雲の風にさそわれて漂泊の思いやまず」、等の、何か思いつめた、心持は不思議だったのです。芭蕉の心には何があったのでしょうか?そこには、芭蕉の第一に尊敬する西行法師の漂白の人生への共感のイメージもあった事でしょう。若い私は、年老いた芭蕉の心境は理解すべくも無かった。有り体に言えば、涙もろくて、えらく、感傷的な男だな!位にしか感じなかったのです。
若い高校生は、「人生という不思議の時と死を知らなかった」のです。芭蕉は死を覚悟して旅に出かけました。もしかして、もう江戸に帰ることは有るまい、と感じていたのかも知れません。彼は本当の意味で一期一会に生きて居たのです。移ろい易い、この、いのちある時の、稀有の価値を悟るのが俳諧の精神であろうか? そんな事をも思いも付かぬ高校生に、芭蕉の心持が理解出来る筈がありません。どの様な偉大な古典作品も、それは読める為の条件が存在するのです。特に、この紀行文では著者の精神の在り所となった古典的教養や心の背景が大切です。
増して現代の様な、全般的に日本人の精神の幼稚さが顕著になり、心のユッタリとした広さや、自然に対する真の畏れや、それに伴う深い情緒が衰退した時期には、芭蕉の享年に近い年齢に成らないと、その心持は共感が困難かも知れません。芭蕉の時代の方が人間は遥かに精神的成熟が早かった様に思います。人生の短さは、人の生きる時間の密度を高め、且つ、生きて行く為の厳しさに溢れていた時代であった。多くの芭蕉論が出ていますが、若い高校生は、江戸時代を始め、現代に至る日本文化の様々な源泉となった、日本の古典に是非挑戦して欲しい。日本古典文学大系という全集が御座います。芭蕉に絡んでは、西行や宗祇の時代背景と著作を学んで下さい。そして日本人の精神的文化の土台と成った「室町時代の精神」の本質が何であったか?に付いて、考えて欲しいと思います。
書いてある内容は分かるのですが、字面だけ分かったとしても、それは鑑賞したとは到底言える物ではない。「奥の細道」の様な、一見、分かり易く見える紀行文でも、果たして16歳の子供に鑑賞など出来る物でしょうか?
投稿者が16の高校二年の時、それを授業の中で習った訳ですが、50歳を過ぎて読む感動はそこには有りませんでした。当時の高校生としては、16歳の生意気盛りで、ボードレールやランボー、などの無頼の詩や、ヘッセとかホフマンスタールの様な、放浪と孤独の甘味的詩には感激しても、日本の古典としての「奥の細道」は、日常の感性からは異質なものでした。何とも日本人としては、情けない事なのですが。
「奥の細道」の出だしの漂泊をを詠った、「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也…古人も多く旅に死せるあり…予も片雲の風にさそわれて漂泊の思いやまず」、等の、何か思いつめた、心持は不思議だったのです。芭蕉の心には何があったのでしょうか?そこには、芭蕉の第一に尊敬する西行法師の漂白の人生への共感のイメージもあった事でしょう。若い私は、年老いた芭蕉の心境は理解すべくも無かった。有り体に言えば、涙もろくて、えらく、感傷的な男だな!位にしか感じなかったのです。
若い高校生は、「人生という不思議の時と死を知らなかった」のです。芭蕉は死を覚悟して旅に出かけました。もしかして、もう江戸に帰ることは有るまい、と感じていたのかも知れません。彼は本当の意味で一期一会に生きて居たのです。移ろい易い、この、いのちある時の、稀有の価値を悟るのが俳諧の精神であろうか? そんな事をも思いも付かぬ高校生に、芭蕉の心持が理解出来る筈がありません。どの様な偉大な古典作品も、それは読める為の条件が存在するのです。特に、この紀行文では著者の精神の在り所となった古典的教養や心の背景が大切です。
増して現代の様な、全般的に日本人の精神の幼稚さが顕著になり、心のユッタリとした広さや、自然に対する真の畏れや、それに伴う深い情緒が衰退した時期には、芭蕉の享年に近い年齢に成らないと、その心持は共感が困難かも知れません。芭蕉の時代の方が人間は遥かに精神的成熟が早かった様に思います。人生の短さは、人の生きる時間の密度を高め、且つ、生きて行く為の厳しさに溢れていた時代であった。多くの芭蕉論が出ていますが、若い高校生は、江戸時代を始め、現代に至る日本文化の様々な源泉となった、日本の古典に是非挑戦して欲しい。日本古典文学大系という全集が御座います。芭蕉に絡んでは、西行や宗祇の時代背景と著作を学んで下さい。そして日本人の精神的文化の土台と成った「室町時代の精神」の本質が何であったか?に付いて、考えて欲しいと思います。
芭蕉全句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
第4週にレポート課題があり、自分の分と、ほかの5人の方々の相互評価を行った。
他の方々がそれぞれ別の句をとりあげており、あまり時間をおかず評価する必要にせまられた。
ハンディでかつ解釈も的確で十分役立った。
他の方々がそれぞれ別の句をとりあげており、あまり時間をおかず評価する必要にせまられた。
ハンディでかつ解釈も的確で十分役立った。