珈琲挽き (講談社文芸文庫)
小さくも安定した日常がとても心地よく描かれた随筆集です。
この「珈琲挽き」の世界は、身近な友人や庭に来る小鳥、池の金魚など、どれも小さく地味でつつましやかです。そのありふれた小世界に棲む生き物のありようが、穏やかな、しかし確かな眼差しでそっとすくいとられています。
「二、三年前の秋だつたと思ふが、一度、何となくヒマラヤ杉に梯子を掛けて、'箱をはずしてみたことがある。中で、ことん、と音がするから、何だらうと横にして振つたら、穴から團栗が一つ轉がり落ちたから驚いた。誰が入れたのかしらん?四十雀には團栗は大き過ぎて咥へられないから、案外悪戯者の鵯でも咥へて来て入れたのではないかと思ふ。何だか、思ひ掛けない秋の贈り物を貰つたやうな気がして、愉快だつたのを思ひ出す。」(「巣箱」)
静かで、地味で、つつましい暮らしから、作者は、さりげなくも確かなつながりを見いだします。さらさらと陽がさし、時間がゆっくりと移ろううちに何ページも読み進んで、満ち足りた心地になる1冊です。
この「珈琲挽き」の世界は、身近な友人や庭に来る小鳥、池の金魚など、どれも小さく地味でつつましやかです。そのありふれた小世界に棲む生き物のありようが、穏やかな、しかし確かな眼差しでそっとすくいとられています。
「二、三年前の秋だつたと思ふが、一度、何となくヒマラヤ杉に梯子を掛けて、'箱をはずしてみたことがある。中で、ことん、と音がするから、何だらうと横にして振つたら、穴から團栗が一つ轉がり落ちたから驚いた。誰が入れたのかしらん?四十雀には團栗は大き過ぎて咥へられないから、案外悪戯者の鵯でも咥へて来て入れたのではないかと思ふ。何だか、思ひ掛けない秋の贈り物を貰つたやうな気がして、愉快だつたのを思ひ出す。」(「巣箱」)
静かで、地味で、つつましい暮らしから、作者は、さりげなくも確かなつながりを見いだします。さらさらと陽がさし、時間がゆっくりと移ろううちに何ページも読み進んで、満ち足りた心地になる1冊です。
黒いハンカチ (創元推理文庫)
『村のエトランジェ』等の小品で、
何回か芥川賞候補となった作者による
小粋な推理連作短編集。
この作品を発掘した北村薫自身が
その類似性を認めているように
50年以上の前の作品でありながら、
「日常の謎」をやっているのは興味深い。
当然、当時としては渋すぎて
大きな話題にはならなかったのだろう。
推理過程や犯罪そのものについての
掘り下げは決して褒められたものでは無いだろう。
しかし最近のニセモノの「お嬢様の通う女子校」
の安いイメージに比べ、この作品が
あの時代のブルジョア家庭の雰囲気を上品に
極めてうまく伝えている点は高く評価していいだろう。
また表紙絵もマンガチックではなく素晴らしい。
何回か芥川賞候補となった作者による
小粋な推理連作短編集。
この作品を発掘した北村薫自身が
その類似性を認めているように
50年以上の前の作品でありながら、
「日常の謎」をやっているのは興味深い。
当然、当時としては渋すぎて
大きな話題にはならなかったのだろう。
推理過程や犯罪そのものについての
掘り下げは決して褒められたものでは無いだろう。
しかし最近のニセモノの「お嬢様の通う女子校」
の安いイメージに比べ、この作品が
あの時代のブルジョア家庭の雰囲気を上品に
極めてうまく伝えている点は高く評価していいだろう。
また表紙絵もマンガチックではなく素晴らしい。
懐中時計 (講談社文芸文庫)
巻末に著者自身が「著者から読者へ」として解説文を載せているが、昔は面白い話を作ることに興味があったが、話を作ることに興味を失って、作らないことに興味を持つようになったという。11篇の短編が入っているがそのうち「エヂプトの涙壺」「断崖」「砂丘」の3篇は昭和30〜31年に書いたもので、話を作る興味がまだ強かったことが窺われるとあるが、これらが一番面白かった。実は著者のファンになった「黒いハンカチ」は昭和32〜33年に書かれていて、前の3篇はニシ・アヅマ嬢こそ出てこないがミステリータッチで書かれてある。