たまごかけごはんのうた
岡山のRSKラジオの昼ワイド「にっちもさっちもラジオヤジ」の、「殿!たまごでござる!」コーナーから生まれた、今ブームのたまごかけご飯を題材にした歌です(^-^)
安井優子さんは岡山の歌姫として、岡山のお祭り「うらじゃ踊り」の新曲も歌うことが決まっており、岡山のみならず、全国での活躍が期待されますo(^o^)o
安井優子さんは岡山の歌姫として、岡山のお祭り「うらじゃ踊り」の新曲も歌うことが決まっており、岡山のみならず、全国での活躍が期待されますo(^o^)o
シュナイト ブラームス:ドイツ・レクイエムOP.45
ブラームスの「ドイツ・レクイエム」は、この作曲家の最高の作品であり、モーツアルトやフォーレを含めてもベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」とともに同類作品の最高峰にある。にもかかわらず、名演がないといえるのではないだろうか。シュナイトのこのディスクは、合唱にわずかな瑕疵があるとはいえ、あえて同曲のベストワンに選びたい(バレンボイム盤やチェリビダッケ盤よりも、指揮者の解釈自体は優れていると思われるからだ)。
シュナイトの悠揚迫らぬ音楽作り、決め所の荘重な威厳は流石に一流のアルチザンを思わせる。ソロの歌手陣もバリトンの河野を筆頭に十分なメンバーだ。第6曲のみいま少し思い切った踏み込みを期待したいが、ここはオケの弱さが出ている。合唱は熱演ではあるが、ピアニッシモなどに安定を欠く。
シュナイトとこのディスクのメンバーでは「メサイア」、モーツアルトの「レクイエム」、バッハ「ヨハネ」などのライヴを耳にしたが、近年はやりの古楽器系のタッタカタッタカとテンポが速くて、軽くて、うす〜い演奏とは全く異なり、胃の府にズシリと重い「ドイツ風」の演奏を聴かせてくれる。少々の合唱の弱みも我慢しよう。とにかく貴重な指揮者だ。ラトルなんぞより指揮者としての力量は明らかに上である。
シュナイトの悠揚迫らぬ音楽作り、決め所の荘重な威厳は流石に一流のアルチザンを思わせる。ソロの歌手陣もバリトンの河野を筆頭に十分なメンバーだ。第6曲のみいま少し思い切った踏み込みを期待したいが、ここはオケの弱さが出ている。合唱は熱演ではあるが、ピアニッシモなどに安定を欠く。
シュナイトとこのディスクのメンバーでは「メサイア」、モーツアルトの「レクイエム」、バッハ「ヨハネ」などのライヴを耳にしたが、近年はやりの古楽器系のタッタカタッタカとテンポが速くて、軽くて、うす〜い演奏とは全く異なり、胃の府にズシリと重い「ドイツ風」の演奏を聴かせてくれる。少々の合唱の弱みも我慢しよう。とにかく貴重な指揮者だ。ラトルなんぞより指揮者としての力量は明らかに上である。
フィドラーのアクティビティ論―現実とシンボル
ゲイル・フィドラーは日本の作業療法士第一号である鈴木明子氏の恩師(メンター)にあたる人物。
対象者について、その人の人生を輝かせる(病者・障碍をもった人の意欲低下やうつ気分など病気によって失われたものを吹き飛ばし生き生きとさせる、本来の自分を取り戻す)核となるもの=アクティビティを見抜き、作業療法士は自分自身を介して治療に生かす。
その根本となる核心部分を、広く鳥瞰し、それぞれの要素を分解し、分析し、深く掘り下げて論述している。
普段、患者様・利用者様と関わるときに、この人は何が好きなのだろう?どこで育ったのだろう?どんな趣味なのだろう?
どんな仕事をしてこられたのだろう?どんな勉強をしてこられたのだろう?どんな人生を送ってこられたのだろう?親兄弟の関係は?
無意識に対象者の人生を輝かせる要素について、核心部分を探り、そして、みつけ
治療に生かすことをやっている「作業療法士の核となる原則」について深く学習するための必読書と言っていい。
フィドラーは作業療法士について最低、修士の教育をうけさせたいと望んだ。
深く掘り下げられた様々な要素から抽出されたその人独自のアクティビティを知り、真に生かすためには
「土台となる社会や文化への深い見識・教養」が必要だからだと私は考えます。
だからこの書は、それをクリアできるだけの教養がある優れたセラピストの素養のある人物の心にしか響かないかも
しれません。専門性の中に埋没するのではなく、日々さまざまな分野の「学び」を欠かさない目先のテクニックではなく「原則」で仕事をする本物の作業療法士向けの書でしょう。
対象者について、その人の人生を輝かせる(病者・障碍をもった人の意欲低下やうつ気分など病気によって失われたものを吹き飛ばし生き生きとさせる、本来の自分を取り戻す)核となるもの=アクティビティを見抜き、作業療法士は自分自身を介して治療に生かす。
その根本となる核心部分を、広く鳥瞰し、それぞれの要素を分解し、分析し、深く掘り下げて論述している。
普段、患者様・利用者様と関わるときに、この人は何が好きなのだろう?どこで育ったのだろう?どんな趣味なのだろう?
どんな仕事をしてこられたのだろう?どんな勉強をしてこられたのだろう?どんな人生を送ってこられたのだろう?親兄弟の関係は?
無意識に対象者の人生を輝かせる要素について、核心部分を探り、そして、みつけ
治療に生かすことをやっている「作業療法士の核となる原則」について深く学習するための必読書と言っていい。
フィドラーは作業療法士について最低、修士の教育をうけさせたいと望んだ。
深く掘り下げられた様々な要素から抽出されたその人独自のアクティビティを知り、真に生かすためには
「土台となる社会や文化への深い見識・教養」が必要だからだと私は考えます。
だからこの書は、それをクリアできるだけの教養がある優れたセラピストの素養のある人物の心にしか響かないかも
しれません。専門性の中に埋没するのではなく、日々さまざまな分野の「学び」を欠かさない目先のテクニックではなく「原則」で仕事をする本物の作業療法士向けの書でしょう。