ロシアより愛をこめて(デジタルリマスター・バージョン) [DVD]
この画質は驚きです。
東宝特撮映画のブルーレイに比べれば、「月とスッポン」かな。
音も腹に響きます。
それでこの価格!ただただ脱帽です。
必見ですね。
東宝特撮映画のブルーレイに比べれば、「月とスッポン」かな。
音も腹に響きます。
それでこの価格!ただただ脱帽です。
必見ですね。
ロシアケーキどっさり36個
ロシアケーキというものを知らなかったので楽しみに購入しましたが,
画像から想像したよりも固くてザクザクした歯ざわりです。
トッピングも固めでクッキーとのとろけ合いとかはないです。
歯や歯茎が弱い人にはつらいかな…。
お味の方は,フルーティーさがないのが残念です。(そういうお菓子なのかな)
期待したキウィ,不味くはないのですが味にも香りにもキウィ感はありませんです。
チーズはチーズ感ありますしチョコレート系も普通に美味しいです。
特別なお菓子というスペシャルな感じではなく,
スーパーで量産菓子を買うのとあまり変わらない味かもしれません。
柔らかめの濃厚なクッキーな好む人には合わないかと思います。
少し辛口のレビューになってしまいましたが,贈答品には向かないという意味もあり,
普段買いのお菓子として,スペシャルを求めない目的であればおすすめです。
36個もあるので惜しみなく食べて日頃のストレスを発散しましょう。
1日に各種類を1個ずつ,つまり1日5個で一週間もつ計算です。(笑)
画像から想像したよりも固くてザクザクした歯ざわりです。
トッピングも固めでクッキーとのとろけ合いとかはないです。
歯や歯茎が弱い人にはつらいかな…。
お味の方は,フルーティーさがないのが残念です。(そういうお菓子なのかな)
期待したキウィ,不味くはないのですが味にも香りにもキウィ感はありませんです。
チーズはチーズ感ありますしチョコレート系も普通に美味しいです。
特別なお菓子というスペシャルな感じではなく,
スーパーで量産菓子を買うのとあまり変わらない味かもしれません。
柔らかめの濃厚なクッキーな好む人には合わないかと思います。
少し辛口のレビューになってしまいましたが,贈答品には向かないという意味もあり,
普段買いのお菓子として,スペシャルを求めない目的であればおすすめです。
36個もあるので惜しみなく食べて日頃のストレスを発散しましょう。
1日に各種類を1個ずつ,つまり1日5個で一週間もつ計算です。(笑)
ヴォルガの舟歌~ロシア愛唱歌集/赤星赤軍合唱団
デジタル初期の頃の録音の為か、ホールの関係か、なんとなく張り詰めた感じのする音響です。
この男女混声合唱は声量声域ともに豊かで、気位の高さも伝わってきますが、その一方、なにか体温を奪うものが有ります。
収録曲ではカチューシャ(ちなみに同名のロケットランチャーも在るが、殺戮兵器に女性の名前を冠した当時のソビエト人の国民性は凄かった、というよりも、すばらしいセンスだと、今更のように思う)が入っていません。
なお、以下に掲げた曲目は、《ソヴィエト的愛国心》を理解する上では重要だと思いますが、選外となりました。
おお広き野よ “Ах ты, степь широкая”
Музыка и Слова: Ρусские Народные
(歌声が大瀧詠一に似ているものがYouTubeにある)
黒い瞳の “Чернобровый, черноокий” (1803)
Музыка: Даниил Кашин (1770/71-1841); Слова: Алексей Мерзляков (1778-1830)
ぼるが河を下って “Вниз по волге-реке” (1832)
Музыка: Александр Варламов (1801-1848); Слова: Александр Шаховской (1777-1846)
あむーる河の波 “Амурские волны” (Примерно 1903-го г., Примерно 1944-го г.)
Музыка: Макс Кюсс (1874-1942); Слова: Серафим Попов (1913-2003), Константин Васильев
すらびゃんかの別れ “Прощание славянки” (1912, 1984)
Музыка: Василий Агапкин (1884-1964); Слова: Владимир Лазарев (1936-)
(наступает や прощай といった単語から連想するのはこの曲)
谷を渡り丘を越え “По долинам и по взгорьям” (1929)
Музыка: Илья Артуров; Слова: Пётр Парфенов (1894-1937)
仔鷲 “Орлёнок” (1936)
Музыка: Виктор Белый (1904-1983); Слова: Яков Шведов (1905-1984)
カチューシャ “Катюша” (1938)
Музыка: Mатвей Блантер (1903-1990); Слова: Mихаил Исаковский (1900-1973)
(Тамара Синявская の歌唱によるものが随一であろう)
小麦色の娘 “Смуглянка” (1940)
Музыка: Aнатолий Новиков (1896-1984); Слова: Яков Шведов
聖なる戦い “Священная война” (1941)
Музыка: Aлександр Aлександров (1883-1946); Слова: Василий Лебедев-Кумач (1898-1949)
(YouTube の Елена Ваенга の歌唱は和田アキ子もびっくりしそうな迫力がある。小節(こぶし)の効かせ方がどこかシャンソンふう。あるいは宝塚ふう。標語「清く正しく美しく」)
砲兵隊の行進 “Марш артиллеристов” (1943)
Музыка: Tихон Хренников (1913-2007); Слова: Виктор Гусев (1909-1944)
我らの親衛隊 “Наша гвардия” (1944)
Музыка: Александр Александров; Слова: Абрам Арго (1897-1968)
灯火(ともしび)“Огонёк” (1944)
Музыка: неизвестен; Слова: Mихаил Исаковский
道よ “Эх, дороги” (1945)
Музыка: Aнатолий Новиков; Слова: Лев Oшанин (1912-1996)
兵士の歌 “Песнь о солдате” (1967)
Музыка: Владимир Mигуля (1945-1996); Слова: Mаргарита Aгашина (1924-1999)
勝利の日 “День победы” (1975)
Музыка: Давид Тухманов (1940-); Слова: Владимир Харитонов (1920-1981)
〔2014年11月8日追記。邦訳タイトルについて、変化をつける趣向のつもりで、元々「カタカナ」表記の部分を「ひらがな」に変えていましたが、8月下旬から10月にかけて日本国内でデング熱感染が相次いだ事情などを考慮し、"Катюша" はカタカナに戻します。〕
以下から本CDの曲です。
陽は山かげに隠れ “Солнце скрылось за горою” (1948)
Музыка: Матвей Блантер; Слова: Александр Koваленков (1911-1971)
Солнце скрылось за горою,
Затуманились речные перекаты,
А дорогою степною
Шли с войны домой советские солдаты.
[Soln-tse-skry:la:s' za-ga-ro-o-yu:]
[Za-tu_ma-ni-lis'-r'ech_ny:e-p'e-r'e_ka-a-ty:]
[A-da-ro:ga: yu-st'ep-no-o-yu:]
[Shlis-vay_ny-da-moi-sa_v'e-tski-ye-sol_da:ty:]
От жары, от злого зноя
Гимнастёрки на плечах повыгорали;
Своё знамя боевое
От врагов солдаты сердцем заслоняли.
[Ad-zha-ry:a:d zlo:va-zno-o-ya:]
[Gim-nas_t'or-ki-na-pl'e_chakh-pa-vy-ga_ra-a-li:]
[Sva-yo-zna:mya: ba-'e-vo-o-ye:]
[At-vra_gof-sol-da-ty_s'er-ts'em-za-sla_nya:li:]
Они жизни не щадили,
Защищая отчий край ― страну родную;
Одолели победили,
Всех врагов в боях за Родину святую;
[A-ni-zhi:z-ni: n'e-shsha-d'i-i-li:]
[Za-shshi_shsha:ya-o-tchiy_kray-stra-nu-rad_nu-u-yu:]
[A-da-l'e:li: pa-b'e-d'i-i-li:]
[Fs'ekh-vra_gof-fba-yakh-za_ro-d'i-nu-svya_tu:yu:]
Хороша дорога к дому,
Но солдат пойдёт на край земли, коль надо:
Верность свалены [or долгу] родному [or боевому]
Сквозь огонь ведёт [or вела] на подвиги солдата.
[Kha-ra-sha:da: ro:ga-gdo-o-mu:]
[No-sol_dat-pay-d'ot-na_kray-z'em-li-kol'_na-a-da:]
[V'er-nast'-sva:l'e: ny-ra-dno-o-mu: (V'er-nast'-do:lgu: ba-'e-vo-o-mu:)]
[Skvoz'-a_gon'-v'e-d'ot(v'e-la)-na_pod-vi-gi-sol_da:ta:]
──これは独ソ戦終結記念の凱旋歌です。
快活さと崇高さの中にサヴィェートふうまたはラッスィーヤふうのペーソス(露:タスカー /тоска)が流れています。
素朴な趣があり、聴きようによってはララバイのようにもきこえるので、あるいは戦地で斃(たお)れた者への鎮魂の意──敵も味方も、卑しき者も尊き者も、老若男女なべてひとしなみに──も有るのでしょうか・・・・・・
茜色の空と黒い大地と相まって、帰還の途に在る部隊が影絵となってうかびそうです。
短いフレーズのくり返しながらも、何とはなしにひきこまれます。
ちなみに、この歌の作曲者はカチューシャの作曲者と同じ人物です。ハラショー!
もしかしたら旧ソ連圏だけでなく、中東のイスラエル辺りでも歌い継がれているのかもしれません。
ぽおりゅしか・ぽおりぇ(原題:原っぱ) “Полюшко-Поле” (1934)
Музыка: Лев Книппер (1898-1974); Слова: Виктор Гусев
も、上述の曲に似て親しみやすい曲ですが、しかしながら歌のテーマは出征です。
歌詞は国内戦を回顧したものと読み取れます。
故郷と最愛の人にしばしの別れを告げ、敢然と前線へ赴く青年たちのけなげな姿がうかびそうです・・・・・・
兵士の旅路(原題:旅路、道中) “В Путь” (1954)
Музыка: Василий Соловьёв-Седой (1907-1979); Слова: Михаил Дудин (1916-1993)
この歌はタイトルのとおり、いかにも行進曲らしい歌ですが、作られたのは第二次大戦後です。
同時期のソ連映画の挿入歌にもなっていたようです。
この歌もやはり、多くの歌と同様、ある種のペーソスを含んでいます。
なお、上述した3曲はいずれも、(1)長いフェードインで始まり、(2)中盤で凄まじいほど盛り上がって、(3)長いフェードアウトで曲が終る、と云う共通点が有りますが、この独特の趣は音の遠近法とでも云いましょうか、茫洋と広がるロシアの大地を表しているかの如くです
ストリチナヤもしくはズブロッカ(無ければジンまたは日本酒、焼酎などでも一応代用可)などをショットグラスに注ぎ、ストレートのまま一気に飲みほして、聴くとさらに感興が深まります・・・・・・
旧体制が完全に転覆し、配役がそっくり入れ替わった(ただし役人天国のシステムは温存された)あとの残存エネルギーが、こちらまで伝わってきます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ワルシャワ労働歌 “Варшавянка" (1897)
Музыка: неизвестен; Слова: Глеб Кржижановский (1872-1959)
仕事の歌(原題:丸太、棍棒)“Дубинушка” (Конец 1870-х годов)
Музыка: неизвестен; Слова: Aлександр Oльхин (1839-1897)
は、ロシア革命が起きる前の歌です。当時ワルシャワはロシア領でした。ワルシャワ労働歌はポーランド語がオリジナルですが、翻訳されて欧州部を中心に全国規模で歌われていた模様です。
《非常に刺戟的》な歌詞であると同時に、《名状し難い悲壮感》と《或る種の高揚感》とが入り交じっています。
《苛政》に喘ぐ声無き民、名も無き民。
短い夏が終り、黄金の秋が駆け抜けるようにして過ぎ、そして、白い、長い冬の到来。
何もかも凍りついた極夜の街並み。北天を被う赤いオーロラ。
1905年1月の或る日。その日は日曜日で、多くの労働者は休日だった。
戦争終結・憲法制定・議会開設と、食糧と燃料の安定供給と、西欧諸国やアメリカ並みの人権と、8時間労働制の確立と、《神の国の実現》を要求に掲げた、ペテルブルク市民 (Питерцы) の決死覚悟の請願デモ。
銃声が散発的に鳴り響く中、市民の一人一人が《贖罪の十字架》を胸に懐(いだ)きつつ、我らが主の在処を求めて・・・・・・(結局、主でも父でもないことが判明)
"где Бог, Творец мой, Который даёт песни в ночи, Который научает нас более, нежели скотов земных, и вразумляет нас более, нежели птиц небесных?"
『我を造れる神は何處(いづく)にいますや、彼は人をして夜(よ)の中(うち)に歌を歌ふに至らしめ、地の獸畜(けもの)よりも善くわれらを教へ、空の鳥よりも我らを智(かしこ)からしめたまふ者なり』
宮殿広場に到達したデモ隊に対する憲兵隊の無慈悲な一斉銃撃の嵐(このデモを先導した或る僧侶は直前に退避し難を逃れた)。
以後、《忍苦の沈黙》が約13年続きますが、その間、サライェヴォ事件が発生し、これが引き金となって第一次大戦への火蓋が切って落とされます。
《自己犠牲》が求められている同胞に対する悲嘆、御上への《畏怖と反発》は、次第に《制御し難い怨嗟》へ、最後は《憎悪の爆発》へ・・・・・・
"Отче наш, сущий на небесах! да святится имя Твоё;
Да приидёт Царствие Твоё; да будет воля Твоя и на земле, как на небе;
Хлеб наш насущный дай нам на сей день;
И прости нам долги наши, как и мы прощаем должникам нашим;
И не введи нас в искушение, но избавь нас от лукавого.
Ибо Твоё есть Царство и сила и слава во веки. Аминь"
『天に在(いま)す我等の父や、願はくは爾(なんぢ)の名は聖(せい)とせられ、
爾の國は來り、爾の旨は天に行はるゝが如く、地にも行はれん、
我が日用(にちよう)の糧を今日(こんにち)我等に與へ給へ、
我等に債(おひめ)ある者を我等免(ゆる)すが如く、我等の債を免し給へ、
我等を誘(いざなひ)に導かず、猶我等を凶惡(きようあく)より救ひ給へ、
蓋し國と權能(けんのう)と光榮(くわうえい)は爾に世々に歸す。アミン』
"Истинно говорю вам: кто не примет Царствия Божия, как дитя, тот не войдёт в него."
『我誠に爾等に語(つ)ぐ、 幼兒(をさなご)の如くに神の國を承けざる者は、之に入(い)るを得ず。』
"если бы вы были слепы, то не имели бы на себе греха; но как вы говорите, что видите, то грех остаёться на вас."
『爾等若し瞽(めしひ)ならば、罪なからん、然れども今爾等は我等見ると言ふに因りて、爾等の罪尚存(そん)す。』
大義名分と現実との不一致から、露軍兵士の士気は当初から低く、戦地にもたらしたものも、《空前規模の破壊と殺戮》のみでした。
国内でも次第に厭戦気分が蔓延し、都市部から世論は左傾化を示し(ゼネストも起きていた)、次いで УКРАИНА (UKRAINE) が戦線離脱します。
《全知全能の神に続く地上界における絶対者》として、与えられたその役割をば完璧に演じきることが求められていた皇帝、時の為政者への畏敬の念もとうに失せ、双頭の鷲の帝政ロシヤは終焉を迎えます。
"Вот, Я сделал тебя малым между народами, и ты в большом презрении."
『我汝をして國々の中(うち)において小(ちひさ)き者たらしむ 汝は大(おほい)に藐視(いやしめ)らるゝなり』
″Ваш отец дьявол, и вы хотите исполнять похоти отца вашего: он был человекоубийца от начала и не устоял в истине, ибо нет в нем истины: когда говорит он ложь, говорит он своё, ибо он лжец и отец лжи.″
『爾等は爾等の父惡魔に屬し爾等の父の慾を行はんと欲す。彼は始より殺人者(ひとごろし)にして、眞實に立たざりき、眞實其(その)衷(うち)に在らざればなり。彼は誑(いつはり)を言ふ時、己に屬する者を言ふ、蓋彼は誑者且誑の父なり。』
〈〔・・・〕アパルトマンの四階の貸間の窓から見渡せる薄明の西の空は、いつにも増して赤く染まっていた。辺りには雷雲が立ちこめ、大砲のような雷鳴が空を劈き、稲妻が閃いた刹那、朧げに映っていた佇まいは白昼の時をも上回る明るさで照らしだされた。閃光は日の入り後の空ばかりでなく自室の壁、床、扉、家財、窓外の家々、街路、さらには自分の手や着ている服をも照射した。──さながら鮮血のような色彩をなして。
「・・・これは神の怒りか? どんでん返しみたいなことが起きて、カタストローフに到る予兆なのか? ふん、まさか。罪と罰じゃあるまいし・・・。Le Fin de Siecle だってとっくに過ぎているというのに・・・。あらゆる事象は科学的に説明が付くというじゃないか・・・神や悪魔や霊魂や霊障の存在を信じるよりも、科学的に考えたほうがよっぽど身のためだ! ・・・いまや、神様は、人間の被造物だということが証明されつつあるな。実際問題、ツァーリが意のままにナロートを操るための道具に成り果てている。・・・それで、ボゴローヂッツァは・・・マリーヤ・マグダリーナは・・・マリーヤ・イェギーピェツカヤは・・・いま、どこで生き、どんなことを思っているのか・・・。」
と、かれは、窓辺に広がる異様な佇まいを眺めながら、物思いに沈んだ面持ちで呟いた。
「・・・今夜の空模様はある意味で象徴的だ。──例えば、革命が・・・始まりつつあるという、天からの警告・・・。ダー。もはや時間の問題だろう。ついにロシヤでも・・・。ああ、そうなったら・・・テロルは・・・リンチは・・・もっと増えるに違いない。ダー。確かに・・・ツァーリ、ツァリーツァ、共々大罪を犯した・・・おまけに、恥まで曝して・・・。潔く責任を取るか・・・はたまた、駄々っ児のように、死に物狂いになって玉座にしがみつくのか・・・でも、黒だろうと赤だろうと、Pallas だろうと as だろうと、行き着く所は結局同じだ・・・。ンだ。せめては、国難に殉ずる覚悟があることを・・・静かに祈ろう・・・。」
かなたを見遣るような、遠い、険しい目付きで、そして時折睨み付けるように、あるいは狼狽したように眼を見開いて、雷を伴いながらいつまでも暮れ残っている外の景色を、どこを見るともなく眺めていたかれの表情は、心做しか虚ろだった。やがて、ふっと我に返ったように窓から背を向け、机のスタンドランプを灯した。それから戸棚へ行き、やにわにショットグラスとガラスコップを取り出した。ヴォトカを半分ほどついで一気に飲み干すと、立て続けに水差しの檸檬水をつぎ、焼けつく喉に流し込んだ。〔・・・〕〉
ニコラーイ・フタローイの後を襲ったキェーリェンスキー首領の臨時政府も正式政府に移行できないまま一年足らずで倒されます。
そして、ヴェー・イー・リェーニンが起草した《テーゼ》と《火を吐くような演説》が多くの民心を掌握し、民族自決主義・反帝国主義・反資本主義を旗印とする「ロシヤ=ソヴェート=聯邦=社會主義=共和國」が建国されます。
一方、プロイセン=ドイツ帝国やハプスブルク帝国やオスマン帝国との戦争はまだ継続中で、ウクライーナ割譲(のちにウクライナ人民共和国として独立)という高い代償を払って、漸く単独講和にこぎ着けますが、今度は別の勢力と対峙する事になります。
即ち、工場労働者、鉱山労働者、保線工夫、雇われ職人、靴磨き職人、掃除夫、土工、荷役夫、皿洗い、屠者、小作農、零細自作農及び漁民ら(一括りにプロレタリアと呼称されていたこれらの人々の多くは、資本家が台頭するまでは篤い信仰心を持っていたと思われる)の承認要求を飽くまで拒絶する反動勢力と革命思想の波及を警戒した諸外国の双方から干渉(乃至は攻撃)を受け、対する большевики が頑強に抵抗して、本格的な《内戦》に突入します。
帝国主義と民族主義と共産主義の、三つ巴の苛烈極まる争いにおいて、内外の干渉勢力や国内の混乱につけ込んだ《侵略者》や《拝金主義者》らを最終的には撃退し、《革命》は成就します。
しかし戦いは5年以上に及び、第一次大戦と合わせて10,000,000人を超える死者を出して、国力は著しく疲弊しました(1920年の鉱工業生産高は1913年の約13%)。
内戦終結後は国策で工業化が急ピッチで進められ、女性労働者も大いに活躍し、その後の国を支える土台となりましたが、更に過酷な運命が、徐々に迫りつつ在るのでした。
それでもナチ占領下のポーランドと同じ運命を辿る事は、どうにか免れました。
なお、宗教関連では、多くの聖堂 (церковь [ж]) や修道院 (монастырь [м]) 、無数の聖像画 (икона) が破壊されました。
運よく残った建物も、内部の経机 (аналой [м]) 、聖障 (иконостас) 、絨毯 (ковёр) 、シャンデリア (люстра) 、奉献台 (жертвенник) 、宝座 (престол) 、鐘 (колокол) が取り払われたり、壁画が塗り潰されるなどして、がらんどうとなり、規模の大きな建物は、その後、政治犯収容施設に用途変更されました。
・・・・・・上記の曲目の背景を包んでいた色調は、1980年代の中頃から急速に色褪せ始め、数年間の不完全燃焼の間に灰となり、国家としてのソ連の権威と求心力は地に落ちました。
ソ連の経済は同盟国とのバーター取引のウェイトが大きかったと思われますが、十数次に亘る五カ年計画に依り、鉱工業、造船、航空機産業は米国に一時比肩し、オリンピック競技と宇宙開発は米国を凌駕するまでに発展していた模様です。
また、東側のリーダーとしてのプレゼンスと矜持を保つ為、如何にして США (USA) の軍事的優位性を削ぐ事を可能ならしめるかが、冷戦時代を通じてのソ連指導部の最重要課題の一つだった様にも目測されます。
しかしながら、外側からだとはっきりしない部分はありますが(加えて妙な好奇心を寄せるのは禁物ですが)、財政規模を度外視して前のめりになりながら進められた軍備拡張が経済活動を停滞させ、最新機器の輸入や様々な福祉関連費用の国庫負担増大に伴う財政逼迫化、アフガン戦争の泥沼化にポーランドの戒厳令、そして日本や朝鮮半島、西欧諸国およびアフリカ諸国(主に旧ポルトガル領)への投資や思想善導(ただしあくまでソ連側から見て)の失敗、代理戦争の激化など、数々の過ちを積み重ね、その挙げ句にリトゥアニア人、ラトヴィア人、エストニア人、ユークレイン人、ジョージャ人らを民族主義化させ、それ以外の同盟国も見捨て(債権放棄もしているが)、ロシア人自身も民族主義化して、連邦国家の解体・崩壊に到らしめたのも紛れもない事実でしょう。
チルノーブィリ原発事故以後は北欧諸国の要請を反映して、グラースナスチ(情報公開、可視化)やピリストローイカ(再構築)と云った、建国以来の民主化改革が実施されますが、情報公開は行き着く所パンドラの箱を開ける事を意味していた為、再構築は挫折しました。
体制維持が前提だった諸改革は、ガルバチョーフの腐心の甲斐もむなしく、次第にリストラや協議離婚の様相を呈するようになり、東欧諸国の離脱が促進され、バルト3国も独立宣言し、後は残務整理だけとなり、ソ連邦自体も解体されて地図上から名前を消しました。
嘗て東側に屬し實踐して來た國々はソ聯 (СССР) が齎した現實と教訓の狹間で今尚ディレンマ (дилемма) を抱えてゐるとみられますが現在のをろしや (Россия) も餘り好きではありません。とは云ふものゝ一見行き詰まつた觀のある昨今の對中對韓對朝及び對露關係の再構築、樺太 (Сахалин) 再開拓、海外進出企業の撤退及び移轉の適否延いては歐亞大陸 (Евразия) と云ふ地理的文化的概念更には國家權力と云ふものをば考へる上で何等かの示唆を與へます。若干の事實誤認や論理矛盾は避け得なくとも思想的原點は洋の東西南北で命脈を保ち續けてをり理論自體も決して破綻してはをらず(頭から否定する人は視野が多少混濁してゐる可能性が有ると思ふ)寧ろ世界の四聖に竝ぶ普遍的なものなるゆゑ假令地獄の谷を夜通し歩かうとも前途には軈て曙光が射し少しづゝ視界が開けて來る筈であると曲を聽いてゐる間はそんな氣持にさせて呉れます。
この男女混声合唱は声量声域ともに豊かで、気位の高さも伝わってきますが、その一方、なにか体温を奪うものが有ります。
収録曲ではカチューシャ(ちなみに同名のロケットランチャーも在るが、殺戮兵器に女性の名前を冠した当時のソビエト人の国民性は凄かった、というよりも、すばらしいセンスだと、今更のように思う)が入っていません。
なお、以下に掲げた曲目は、《ソヴィエト的愛国心》を理解する上では重要だと思いますが、選外となりました。
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Музыка и Слова: Ρусские Народные
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黒い瞳の “Чернобровый, черноокий” (1803)
Музыка: Даниил Кашин (1770/71-1841); Слова: Алексей Мерзляков (1778-1830)
ぼるが河を下って “Вниз по волге-реке” (1832)
Музыка: Александр Варламов (1801-1848); Слова: Александр Шаховской (1777-1846)
あむーる河の波 “Амурские волны” (Примерно 1903-го г., Примерно 1944-го г.)
Музыка: Макс Кюсс (1874-1942); Слова: Серафим Попов (1913-2003), Константин Васильев
すらびゃんかの別れ “Прощание славянки” (1912, 1984)
Музыка: Василий Агапкин (1884-1964); Слова: Владимир Лазарев (1936-)
(наступает や прощай といった単語から連想するのはこの曲)
谷を渡り丘を越え “По долинам и по взгорьям” (1929)
Музыка: Илья Артуров; Слова: Пётр Парфенов (1894-1937)
仔鷲 “Орлёнок” (1936)
Музыка: Виктор Белый (1904-1983); Слова: Яков Шведов (1905-1984)
カチューシャ “Катюша” (1938)
Музыка: Mатвей Блантер (1903-1990); Слова: Mихаил Исаковский (1900-1973)
(Тамара Синявская の歌唱によるものが随一であろう)
小麦色の娘 “Смуглянка” (1940)
Музыка: Aнатолий Новиков (1896-1984); Слова: Яков Шведов
聖なる戦い “Священная война” (1941)
Музыка: Aлександр Aлександров (1883-1946); Слова: Василий Лебедев-Кумач (1898-1949)
(YouTube の Елена Ваенга の歌唱は和田アキ子もびっくりしそうな迫力がある。小節(こぶし)の効かせ方がどこかシャンソンふう。あるいは宝塚ふう。標語「清く正しく美しく」)
砲兵隊の行進 “Марш артиллеристов” (1943)
Музыка: Tихон Хренников (1913-2007); Слова: Виктор Гусев (1909-1944)
我らの親衛隊 “Наша гвардия” (1944)
Музыка: Александр Александров; Слова: Абрам Арго (1897-1968)
灯火(ともしび)“Огонёк” (1944)
Музыка: неизвестен; Слова: Mихаил Исаковский
道よ “Эх, дороги” (1945)
Музыка: Aнатолий Новиков; Слова: Лев Oшанин (1912-1996)
兵士の歌 “Песнь о солдате” (1967)
Музыка: Владимир Mигуля (1945-1996); Слова: Mаргарита Aгашина (1924-1999)
勝利の日 “День победы” (1975)
Музыка: Давид Тухманов (1940-); Слова: Владимир Харитонов (1920-1981)
〔2014年11月8日追記。邦訳タイトルについて、変化をつける趣向のつもりで、元々「カタカナ」表記の部分を「ひらがな」に変えていましたが、8月下旬から10月にかけて日本国内でデング熱感染が相次いだ事情などを考慮し、"Катюша" はカタカナに戻します。〕
以下から本CDの曲です。
陽は山かげに隠れ “Солнце скрылось за горою” (1948)
Музыка: Матвей Блантер; Слова: Александр Koваленков (1911-1971)
Солнце скрылось за горою,
Затуманились речные перекаты,
А дорогою степною
Шли с войны домой советские солдаты.
[Soln-tse-skry:la:s' za-ga-ro-o-yu:]
[Za-tu_ma-ni-lis'-r'ech_ny:e-p'e-r'e_ka-a-ty:]
[A-da-ro:ga: yu-st'ep-no-o-yu:]
[Shlis-vay_ny-da-moi-sa_v'e-tski-ye-sol_da:ty:]
От жары, от злого зноя
Гимнастёрки на плечах повыгорали;
Своё знамя боевое
От врагов солдаты сердцем заслоняли.
[Ad-zha-ry:a:d zlo:va-zno-o-ya:]
[Gim-nas_t'or-ki-na-pl'e_chakh-pa-vy-ga_ra-a-li:]
[Sva-yo-zna:mya: ba-'e-vo-o-ye:]
[At-vra_gof-sol-da-ty_s'er-ts'em-za-sla_nya:li:]
Они жизни не щадили,
Защищая отчий край ― страну родную;
Одолели победили,
Всех врагов в боях за Родину святую;
[A-ni-zhi:z-ni: n'e-shsha-d'i-i-li:]
[Za-shshi_shsha:ya-o-tchiy_kray-stra-nu-rad_nu-u-yu:]
[A-da-l'e:li: pa-b'e-d'i-i-li:]
[Fs'ekh-vra_gof-fba-yakh-za_ro-d'i-nu-svya_tu:yu:]
Хороша дорога к дому,
Но солдат пойдёт на край земли, коль надо:
Верность свалены [or долгу] родному [or боевому]
Сквозь огонь ведёт [or вела] на подвиги солдата.
[Kha-ra-sha:da: ro:ga-gdo-o-mu:]
[No-sol_dat-pay-d'ot-na_kray-z'em-li-kol'_na-a-da:]
[V'er-nast'-sva:l'e: ny-ra-dno-o-mu: (V'er-nast'-do:lgu: ba-'e-vo-o-mu:)]
[Skvoz'-a_gon'-v'e-d'ot(v'e-la)-na_pod-vi-gi-sol_da:ta:]
──これは独ソ戦終結記念の凱旋歌です。
快活さと崇高さの中にサヴィェートふうまたはラッスィーヤふうのペーソス(露:タスカー /тоска)が流れています。
素朴な趣があり、聴きようによってはララバイのようにもきこえるので、あるいは戦地で斃(たお)れた者への鎮魂の意──敵も味方も、卑しき者も尊き者も、老若男女なべてひとしなみに──も有るのでしょうか・・・・・・
茜色の空と黒い大地と相まって、帰還の途に在る部隊が影絵となってうかびそうです。
短いフレーズのくり返しながらも、何とはなしにひきこまれます。
ちなみに、この歌の作曲者はカチューシャの作曲者と同じ人物です。ハラショー!
もしかしたら旧ソ連圏だけでなく、中東のイスラエル辺りでも歌い継がれているのかもしれません。
ぽおりゅしか・ぽおりぇ(原題:原っぱ) “Полюшко-Поле” (1934)
Музыка: Лев Книппер (1898-1974); Слова: Виктор Гусев
も、上述の曲に似て親しみやすい曲ですが、しかしながら歌のテーマは出征です。
歌詞は国内戦を回顧したものと読み取れます。
故郷と最愛の人にしばしの別れを告げ、敢然と前線へ赴く青年たちのけなげな姿がうかびそうです・・・・・・
兵士の旅路(原題:旅路、道中) “В Путь” (1954)
Музыка: Василий Соловьёв-Седой (1907-1979); Слова: Михаил Дудин (1916-1993)
この歌はタイトルのとおり、いかにも行進曲らしい歌ですが、作られたのは第二次大戦後です。
同時期のソ連映画の挿入歌にもなっていたようです。
この歌もやはり、多くの歌と同様、ある種のペーソスを含んでいます。
なお、上述した3曲はいずれも、(1)長いフェードインで始まり、(2)中盤で凄まじいほど盛り上がって、(3)長いフェードアウトで曲が終る、と云う共通点が有りますが、この独特の趣は音の遠近法とでも云いましょうか、茫洋と広がるロシアの大地を表しているかの如くです
ストリチナヤもしくはズブロッカ(無ければジンまたは日本酒、焼酎などでも一応代用可)などをショットグラスに注ぎ、ストレートのまま一気に飲みほして、聴くとさらに感興が深まります・・・・・・
旧体制が完全に転覆し、配役がそっくり入れ替わった(ただし役人天国のシステムは温存された)あとの残存エネルギーが、こちらまで伝わってきます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ワルシャワ労働歌 “Варшавянка" (1897)
Музыка: неизвестен; Слова: Глеб Кржижановский (1872-1959)
仕事の歌(原題:丸太、棍棒)“Дубинушка” (Конец 1870-х годов)
Музыка: неизвестен; Слова: Aлександр Oльхин (1839-1897)
は、ロシア革命が起きる前の歌です。当時ワルシャワはロシア領でした。ワルシャワ労働歌はポーランド語がオリジナルですが、翻訳されて欧州部を中心に全国規模で歌われていた模様です。
《非常に刺戟的》な歌詞であると同時に、《名状し難い悲壮感》と《或る種の高揚感》とが入り交じっています。
《苛政》に喘ぐ声無き民、名も無き民。
短い夏が終り、黄金の秋が駆け抜けるようにして過ぎ、そして、白い、長い冬の到来。
何もかも凍りついた極夜の街並み。北天を被う赤いオーロラ。
1905年1月の或る日。その日は日曜日で、多くの労働者は休日だった。
戦争終結・憲法制定・議会開設と、食糧と燃料の安定供給と、西欧諸国やアメリカ並みの人権と、8時間労働制の確立と、《神の国の実現》を要求に掲げた、ペテルブルク市民 (Питерцы) の決死覚悟の請願デモ。
銃声が散発的に鳴り響く中、市民の一人一人が《贖罪の十字架》を胸に懐(いだ)きつつ、我らが主の在処を求めて・・・・・・(結局、主でも父でもないことが判明)
"где Бог, Творец мой, Который даёт песни в ночи, Который научает нас более, нежели скотов земных, и вразумляет нас более, нежели птиц небесных?"
『我を造れる神は何處(いづく)にいますや、彼は人をして夜(よ)の中(うち)に歌を歌ふに至らしめ、地の獸畜(けもの)よりも善くわれらを教へ、空の鳥よりも我らを智(かしこ)からしめたまふ者なり』
宮殿広場に到達したデモ隊に対する憲兵隊の無慈悲な一斉銃撃の嵐(このデモを先導した或る僧侶は直前に退避し難を逃れた)。
以後、《忍苦の沈黙》が約13年続きますが、その間、サライェヴォ事件が発生し、これが引き金となって第一次大戦への火蓋が切って落とされます。
《自己犠牲》が求められている同胞に対する悲嘆、御上への《畏怖と反発》は、次第に《制御し難い怨嗟》へ、最後は《憎悪の爆発》へ・・・・・・
"Отче наш, сущий на небесах! да святится имя Твоё;
Да приидёт Царствие Твоё; да будет воля Твоя и на земле, как на небе;
Хлеб наш насущный дай нам на сей день;
И прости нам долги наши, как и мы прощаем должникам нашим;
И не введи нас в искушение, но избавь нас от лукавого.
Ибо Твоё есть Царство и сила и слава во веки. Аминь"
『天に在(いま)す我等の父や、願はくは爾(なんぢ)の名は聖(せい)とせられ、
爾の國は來り、爾の旨は天に行はるゝが如く、地にも行はれん、
我が日用(にちよう)の糧を今日(こんにち)我等に與へ給へ、
我等に債(おひめ)ある者を我等免(ゆる)すが如く、我等の債を免し給へ、
我等を誘(いざなひ)に導かず、猶我等を凶惡(きようあく)より救ひ給へ、
蓋し國と權能(けんのう)と光榮(くわうえい)は爾に世々に歸す。アミン』
"Истинно говорю вам: кто не примет Царствия Божия, как дитя, тот не войдёт в него."
『我誠に爾等に語(つ)ぐ、 幼兒(をさなご)の如くに神の國を承けざる者は、之に入(い)るを得ず。』
"если бы вы были слепы, то не имели бы на себе греха; но как вы говорите, что видите, то грех остаёться на вас."
『爾等若し瞽(めしひ)ならば、罪なからん、然れども今爾等は我等見ると言ふに因りて、爾等の罪尚存(そん)す。』
大義名分と現実との不一致から、露軍兵士の士気は当初から低く、戦地にもたらしたものも、《空前規模の破壊と殺戮》のみでした。
国内でも次第に厭戦気分が蔓延し、都市部から世論は左傾化を示し(ゼネストも起きていた)、次いで УКРАИНА (UKRAINE) が戦線離脱します。
《全知全能の神に続く地上界における絶対者》として、与えられたその役割をば完璧に演じきることが求められていた皇帝、時の為政者への畏敬の念もとうに失せ、双頭の鷲の帝政ロシヤは終焉を迎えます。
"Вот, Я сделал тебя малым между народами, и ты в большом презрении."
『我汝をして國々の中(うち)において小(ちひさ)き者たらしむ 汝は大(おほい)に藐視(いやしめ)らるゝなり』
″Ваш отец дьявол, и вы хотите исполнять похоти отца вашего: он был человекоубийца от начала и не устоял в истине, ибо нет в нем истины: когда говорит он ложь, говорит он своё, ибо он лжец и отец лжи.″
『爾等は爾等の父惡魔に屬し爾等の父の慾を行はんと欲す。彼は始より殺人者(ひとごろし)にして、眞實に立たざりき、眞實其(その)衷(うち)に在らざればなり。彼は誑(いつはり)を言ふ時、己に屬する者を言ふ、蓋彼は誑者且誑の父なり。』
〈〔・・・〕アパルトマンの四階の貸間の窓から見渡せる薄明の西の空は、いつにも増して赤く染まっていた。辺りには雷雲が立ちこめ、大砲のような雷鳴が空を劈き、稲妻が閃いた刹那、朧げに映っていた佇まいは白昼の時をも上回る明るさで照らしだされた。閃光は日の入り後の空ばかりでなく自室の壁、床、扉、家財、窓外の家々、街路、さらには自分の手や着ている服をも照射した。──さながら鮮血のような色彩をなして。
「・・・これは神の怒りか? どんでん返しみたいなことが起きて、カタストローフに到る予兆なのか? ふん、まさか。罪と罰じゃあるまいし・・・。Le Fin de Siecle だってとっくに過ぎているというのに・・・。あらゆる事象は科学的に説明が付くというじゃないか・・・神や悪魔や霊魂や霊障の存在を信じるよりも、科学的に考えたほうがよっぽど身のためだ! ・・・いまや、神様は、人間の被造物だということが証明されつつあるな。実際問題、ツァーリが意のままにナロートを操るための道具に成り果てている。・・・それで、ボゴローヂッツァは・・・マリーヤ・マグダリーナは・・・マリーヤ・イェギーピェツカヤは・・・いま、どこで生き、どんなことを思っているのか・・・。」
と、かれは、窓辺に広がる異様な佇まいを眺めながら、物思いに沈んだ面持ちで呟いた。
「・・・今夜の空模様はある意味で象徴的だ。──例えば、革命が・・・始まりつつあるという、天からの警告・・・。ダー。もはや時間の問題だろう。ついにロシヤでも・・・。ああ、そうなったら・・・テロルは・・・リンチは・・・もっと増えるに違いない。ダー。確かに・・・ツァーリ、ツァリーツァ、共々大罪を犯した・・・おまけに、恥まで曝して・・・。潔く責任を取るか・・・はたまた、駄々っ児のように、死に物狂いになって玉座にしがみつくのか・・・でも、黒だろうと赤だろうと、Pallas だろうと as だろうと、行き着く所は結局同じだ・・・。ンだ。せめては、国難に殉ずる覚悟があることを・・・静かに祈ろう・・・。」
かなたを見遣るような、遠い、険しい目付きで、そして時折睨み付けるように、あるいは狼狽したように眼を見開いて、雷を伴いながらいつまでも暮れ残っている外の景色を、どこを見るともなく眺めていたかれの表情は、心做しか虚ろだった。やがて、ふっと我に返ったように窓から背を向け、机のスタンドランプを灯した。それから戸棚へ行き、やにわにショットグラスとガラスコップを取り出した。ヴォトカを半分ほどついで一気に飲み干すと、立て続けに水差しの檸檬水をつぎ、焼けつく喉に流し込んだ。〔・・・〕〉
ニコラーイ・フタローイの後を襲ったキェーリェンスキー首領の臨時政府も正式政府に移行できないまま一年足らずで倒されます。
そして、ヴェー・イー・リェーニンが起草した《テーゼ》と《火を吐くような演説》が多くの民心を掌握し、民族自決主義・反帝国主義・反資本主義を旗印とする「ロシヤ=ソヴェート=聯邦=社會主義=共和國」が建国されます。
一方、プロイセン=ドイツ帝国やハプスブルク帝国やオスマン帝国との戦争はまだ継続中で、ウクライーナ割譲(のちにウクライナ人民共和国として独立)という高い代償を払って、漸く単独講和にこぎ着けますが、今度は別の勢力と対峙する事になります。
即ち、工場労働者、鉱山労働者、保線工夫、雇われ職人、靴磨き職人、掃除夫、土工、荷役夫、皿洗い、屠者、小作農、零細自作農及び漁民ら(一括りにプロレタリアと呼称されていたこれらの人々の多くは、資本家が台頭するまでは篤い信仰心を持っていたと思われる)の承認要求を飽くまで拒絶する反動勢力と革命思想の波及を警戒した諸外国の双方から干渉(乃至は攻撃)を受け、対する большевики が頑強に抵抗して、本格的な《内戦》に突入します。
帝国主義と民族主義と共産主義の、三つ巴の苛烈極まる争いにおいて、内外の干渉勢力や国内の混乱につけ込んだ《侵略者》や《拝金主義者》らを最終的には撃退し、《革命》は成就します。
しかし戦いは5年以上に及び、第一次大戦と合わせて10,000,000人を超える死者を出して、国力は著しく疲弊しました(1920年の鉱工業生産高は1913年の約13%)。
内戦終結後は国策で工業化が急ピッチで進められ、女性労働者も大いに活躍し、その後の国を支える土台となりましたが、更に過酷な運命が、徐々に迫りつつ在るのでした。
それでもナチ占領下のポーランドと同じ運命を辿る事は、どうにか免れました。
なお、宗教関連では、多くの聖堂 (церковь [ж]) や修道院 (монастырь [м]) 、無数の聖像画 (икона) が破壊されました。
運よく残った建物も、内部の経机 (аналой [м]) 、聖障 (иконостас) 、絨毯 (ковёр) 、シャンデリア (люстра) 、奉献台 (жертвенник) 、宝座 (престол) 、鐘 (колокол) が取り払われたり、壁画が塗り潰されるなどして、がらんどうとなり、規模の大きな建物は、その後、政治犯収容施設に用途変更されました。
・・・・・・上記の曲目の背景を包んでいた色調は、1980年代の中頃から急速に色褪せ始め、数年間の不完全燃焼の間に灰となり、国家としてのソ連の権威と求心力は地に落ちました。
ソ連の経済は同盟国とのバーター取引のウェイトが大きかったと思われますが、十数次に亘る五カ年計画に依り、鉱工業、造船、航空機産業は米国に一時比肩し、オリンピック競技と宇宙開発は米国を凌駕するまでに発展していた模様です。
また、東側のリーダーとしてのプレゼンスと矜持を保つ為、如何にして США (USA) の軍事的優位性を削ぐ事を可能ならしめるかが、冷戦時代を通じてのソ連指導部の最重要課題の一つだった様にも目測されます。
しかしながら、外側からだとはっきりしない部分はありますが(加えて妙な好奇心を寄せるのは禁物ですが)、財政規模を度外視して前のめりになりながら進められた軍備拡張が経済活動を停滞させ、最新機器の輸入や様々な福祉関連費用の国庫負担増大に伴う財政逼迫化、アフガン戦争の泥沼化にポーランドの戒厳令、そして日本や朝鮮半島、西欧諸国およびアフリカ諸国(主に旧ポルトガル領)への投資や思想善導(ただしあくまでソ連側から見て)の失敗、代理戦争の激化など、数々の過ちを積み重ね、その挙げ句にリトゥアニア人、ラトヴィア人、エストニア人、ユークレイン人、ジョージャ人らを民族主義化させ、それ以外の同盟国も見捨て(債権放棄もしているが)、ロシア人自身も民族主義化して、連邦国家の解体・崩壊に到らしめたのも紛れもない事実でしょう。
チルノーブィリ原発事故以後は北欧諸国の要請を反映して、グラースナスチ(情報公開、可視化)やピリストローイカ(再構築)と云った、建国以来の民主化改革が実施されますが、情報公開は行き着く所パンドラの箱を開ける事を意味していた為、再構築は挫折しました。
体制維持が前提だった諸改革は、ガルバチョーフの腐心の甲斐もむなしく、次第にリストラや協議離婚の様相を呈するようになり、東欧諸国の離脱が促進され、バルト3国も独立宣言し、後は残務整理だけとなり、ソ連邦自体も解体されて地図上から名前を消しました。
嘗て東側に屬し實踐して來た國々はソ聯 (СССР) が齎した現實と教訓の狹間で今尚ディレンマ (дилемма) を抱えてゐるとみられますが現在のをろしや (Россия) も餘り好きではありません。とは云ふものゝ一見行き詰まつた觀のある昨今の對中對韓對朝及び對露關係の再構築、樺太 (Сахалин) 再開拓、海外進出企業の撤退及び移轉の適否延いては歐亞大陸 (Евразия) と云ふ地理的文化的概念更には國家權力と云ふものをば考へる上で何等かの示唆を與へます。若干の事實誤認や論理矛盾は避け得なくとも思想的原點は洋の東西南北で命脈を保ち續けてをり理論自體も決して破綻してはをらず(頭から否定する人は視野が多少混濁してゐる可能性が有ると思ふ)寧ろ世界の四聖に竝ぶ普遍的なものなるゆゑ假令地獄の谷を夜通し歩かうとも前途には軈て曙光が射し少しづゝ視界が開けて來る筈であると曲を聽いてゐる間はそんな氣持にさせて呉れます。