火の鳥 (4) (角川文庫)
茜丸が死ぬ場面を、手塚が茜丸に対し厳しすぎると思ったことはないだろうか。しかしそう思っても、それを口に出すのは難しい。言いたくても、口にするのをためらってしまうのである。それは手塚が、そのように描いているのである。
「鳳凰編」は、手塚の「ブッダ」と同じく、輪廻の宗教観が背景にある。生きるものが死ねば転生する。人間が死んでも、同じ人間に生まれ変わるとは限らない。 虫に生まれ変わることもある。この宗教観は全ての生き物は平等であるという思想を導き出す。だから「ブッダ」では、飢えた動物に人間が自分の身を差し出し、食べさせる場面がある。生き残る権利は人間以外の生物にもあるからだ。
しかし「鳳凰編」は、輪廻の宗教観を前提にしながらも、その前提から「ブッダ」とは逆のベクトルに向かうのである。そのベクトルは、虫でも鳥でもない、「人間とは何か」というテーマに向かっている。 そして茜丸は、最後に「人間ではない」として断罪されるのである。
なぜ茜丸が人間でないのか?
その理由は、我王と茜丸を対置させればわかる。茜丸は悪人ではない。我王は人殺しであり、悪人である。しかし茜丸が人間でないなら、我王は人間だということになる。この作品の奥深さは、人間の価値が単純な善行や悪事によって決まらないことである。人間とそうでないものを分けるのは、不条理に対し怒りを持ち続けることである。茜丸の権力に対する不平は自分が基準だが、我王は罪を犯した時でさえ、不条理を見つめ続けている。我王と茜丸の姿勢は、芸術にも表れている。茜丸は美を求めたが、人間の苦悩を作品に表すことはなかった。我王の芸術は、あるいは醜いかもしれないが、作品に魂を彫り込むことができた。
「鳳凰編」は、手塚の「ブッダ」と同じく、輪廻の宗教観が背景にある。生きるものが死ねば転生する。人間が死んでも、同じ人間に生まれ変わるとは限らない。 虫に生まれ変わることもある。この宗教観は全ての生き物は平等であるという思想を導き出す。だから「ブッダ」では、飢えた動物に人間が自分の身を差し出し、食べさせる場面がある。生き残る権利は人間以外の生物にもあるからだ。
しかし「鳳凰編」は、輪廻の宗教観を前提にしながらも、その前提から「ブッダ」とは逆のベクトルに向かうのである。そのベクトルは、虫でも鳥でもない、「人間とは何か」というテーマに向かっている。 そして茜丸は、最後に「人間ではない」として断罪されるのである。
なぜ茜丸が人間でないのか?
その理由は、我王と茜丸を対置させればわかる。茜丸は悪人ではない。我王は人殺しであり、悪人である。しかし茜丸が人間でないなら、我王は人間だということになる。この作品の奥深さは、人間の価値が単純な善行や悪事によって決まらないことである。人間とそうでないものを分けるのは、不条理に対し怒りを持ち続けることである。茜丸の権力に対する不平は自分が基準だが、我王は罪を犯した時でさえ、不条理を見つめ続けている。我王と茜丸の姿勢は、芸術にも表れている。茜丸は美を求めたが、人間の苦悩を作品に表すことはなかった。我王の芸術は、あるいは醜いかもしれないが、作品に魂を彫り込むことができた。
ミュージカル 火の鳥-鳳凰編-生と死と輝きの物語
2008年3月に多摩、4-5月に新宿・秋田で公演されたわらび座ミュージカル『火の鳥』の中から抜粋してレコーディングされたCD。作曲は、ミュージカル『エリザベート』の音楽監督などで知られる甲斐正人。手塚治虫の原作の世界やキャラクターの心情を音の世界に反映させようとしてか、素朴でありながら、アレンジに細やかな工夫が見られる。技術的には決して難しかったり派手だったりするメロディではなくBW系ミュージカルに慣れた耳には物足りなく感じられるかもしれないが、実際の舞台を観れば、これらの曲がそれぞれのシチュエーションに置いて的確に言葉を伝えてくることや、作品の和の魅力も感じられるだろうと思う。
惜しむらくは、碓井涼子(速魚)の『太陽という名の』が入っていないことと、入っていないにも関わらずパッケージ裏面に誤植されていること。実際には『太陽という名の』は入っておらず、『瀕死の速魚』が入っている。
惜しむらくは、碓井涼子(速魚)の『太陽という名の』が入っていないことと、入っていないにも関わらずパッケージ裏面に誤植されていること。実際には『太陽という名の』は入っておらず、『瀕死の速魚』が入っている。
火の鳥 鳳凰編 [DVD]
当時原作本をたくさん出していた角川のメディアミックス戦略で制作されたアニメ映画だったと思う。絵が違うなど云々以前に、「鳳凰篇」のダイナミズムあふれるシナリオを十分に生かしきれてない尺の短さ。2時間以上の大作として作るべきだったと思う。劇場では見なかったが、当時のCMだとアニメ映画「時空の旅人」と同時上映という形になっていてこちらは2時間位だったと思うが上映時間を逆にしたほうがよかった気がする。
この後、OVAで「ヤマト篇」「宇宙篇」が同じ製作会社のスタッフで製作されたが、これらも原作を読み直せば物足りなさを覚えるかもしれない。
けれども、後年NHKで製作されたTVアニメ版「火の鳥」よりはこれらの作品のほうが
だいぶ面白い。
この後、OVAで「ヤマト篇」「宇宙篇」が同じ製作会社のスタッフで製作されたが、これらも原作を読み直せば物足りなさを覚えるかもしれない。
けれども、後年NHKで製作されたTVアニメ版「火の鳥」よりはこれらの作品のほうが
だいぶ面白い。
火の鳥 鳳凰編 [DVD]
原作と比べると、ストーリーを大幅に端折っている。
原作が輪廻転生を説く話とすれば、アニメ版は我王と茜丸、2人の彫物師の対決の話といったところか。…が、あの奥深く長い話を無理やりアニメで説明するより、バッサリ切り取って我王と茜丸だけにスポットを当てたのは成功と云えよう。
最初から最後までテンポよく進み、かつ絵は(キャラクターに時代を感じるものの)実に丁寧で、80年代に製作されたアニメの中では郡を抜いている。
原作の理屈っぽさが好きな人には物足らないだろうが、頭を空っぽにして2人の彫物師の生き様を見ていると最後に涙が溢れてくる味わい深い名作。
原作が輪廻転生を説く話とすれば、アニメ版は我王と茜丸、2人の彫物師の対決の話といったところか。…が、あの奥深く長い話を無理やりアニメで説明するより、バッサリ切り取って我王と茜丸だけにスポットを当てたのは成功と云えよう。
最初から最後までテンポよく進み、かつ絵は(キャラクターに時代を感じるものの)実に丁寧で、80年代に製作されたアニメの中では郡を抜いている。
原作の理屈っぽさが好きな人には物足らないだろうが、頭を空っぽにして2人の彫物師の生き様を見ていると最後に涙が溢れてくる味わい深い名作。
Voice Festival 火の鳥〜鳳凰編〜
作曲者の和田薫氏は純音楽の作曲家であり、映画・アニメ・舞台の劇伴音楽でも知られる人物です。中でも『犬夜叉』『SAMURAI-7』など和風物・伝奇物の音楽は特筆すべきものがあります。ヴォイスドラマは見たことがありませんがサントラだけでも良い作品だったことが伺えます。手塚治虫氏の『火の鳥-鳳凰編』の原作を知って入れば大体の情景は浮かびます。挿入歌も見事な出来で、人物・作風を良く表しています。圀布田マリ子さん演じるブチの「旅は続く」は単曲でも聴きごたえがあります。感想としては、おそらく声優の演技で情感の動きを見せるためでしょうが、他の和田氏のサントラと比べると抒情性・躍動性は控えめで、大人な曲作りに感じます。注目したいのが「苦しみの茜丸」です。茜丸は某アニメ版では「善人だったのに権力に溺れて堕落した愚かな人物」という短絡的な解釈で描かれおり、その認識が『火の鳥 鳳凰編』全般のレビューなどでも浸透しているようで、残念に思っていました。その点「苦しみの茜丸」は本意ではない権力のしがらみにもがき苦悩している悲哀が伝わる良曲です。『火の鳥-鳳凰編』の空気が好きな方、和田薫氏の作風が好きな方は聴いて損はない曲目だと思います。