日暮れまでに
「めぐりあう時間たち」は映画で圧倒されて、結局、原作は読めなかった。
そういう意味で期待したのだが、文体がいい意味でテンポ良く読みやすいのに
内容がイマイチ。
キャラクターにも共感できず、ニューヨーカーの生活ぶりも妙にデカダンスっぽい雰囲気で
一昔前のヨーロッパ映画を思わせる。
なんの感慨も持てないまま、読み終わってしまった。自分には合わない感性だね。
そういう意味で期待したのだが、文体がいい意味でテンポ良く読みやすいのに
内容がイマイチ。
キャラクターにも共感できず、ニューヨーカーの生活ぶりも妙にデカダンスっぽい雰囲気で
一昔前のヨーロッパ映画を思わせる。
なんの感慨も持てないまま、読み終わってしまった。自分には合わない感性だね。
極上のクラシック10 テレビ&シネマBEST
癒しを求めているひとにはもってこいのCDです。だれもが知っている曲がけっこうあります。あっ、このメロディは・・・とだれもが思うでしょう。そして知らなくてもあっいい曲だなと思う曲もかならずあると思います。値段もお手ごろでやっぱりオススメです。
The Hours
人にとって時間は一直線上に進んでいるのではなく、まるで流れのように思い出が押し寄せる。
ヴァージニア・ウルフの無意識の時間の流れをそのまま、でも作者独自の世界観をあわせて現代のNYによみがえらせた。
時間の流れに加えて、命、ということに執着しているようだ。声高に命の尊さを叫ぶのではないけど、あまりにも生を真正面から受け止めた故、生のもつ残酷さに耐えられなくなって行く人々と、時に傲慢なまでに生を選ぶ人々の対比させている。それは『ダロウェイ夫人』の構造を踏襲したものだと思うが、原作より、それはビビッドにうつる。
ふと頭に浮かんだのが、複数の人間で共有するひとつの命の流れだった。傲慢な命がか弱く消え入りそうな命を自分の中に取り込む。
リチャードはクラリッサの為に生き、彼女の目の前でで自殺した。
その後クラリッサは自分の中にはいってきたリチャードの人生も歩むのだろう。
冒頭、ヴァージニア・ウルフが川で入水自殺を図る場面は、時間、命、水の流れがリンクする。死を目前に想い出があふれ出し、死を目前に命の思い出が瞬間的に押し寄せるその時、体は逆らいのようのない水の流れと一体になる。
今ここに生きていることが不思議に思えた。
作者のマイケル・カニンガムはアメリカ小説界の実力派という。人の無意識に入りこんだ縦横無尽な想像力で、複数人の一生をたった1日で描ききっている。すごいな、と思った。
ヴァージニア・ウルフの無意識の時間の流れをそのまま、でも作者独自の世界観をあわせて現代のNYによみがえらせた。
時間の流れに加えて、命、ということに執着しているようだ。声高に命の尊さを叫ぶのではないけど、あまりにも生を真正面から受け止めた故、生のもつ残酷さに耐えられなくなって行く人々と、時に傲慢なまでに生を選ぶ人々の対比させている。それは『ダロウェイ夫人』の構造を踏襲したものだと思うが、原作より、それはビビッドにうつる。
ふと頭に浮かんだのが、複数の人間で共有するひとつの命の流れだった。傲慢な命がか弱く消え入りそうな命を自分の中に取り込む。
リチャードはクラリッサの為に生き、彼女の目の前でで自殺した。
その後クラリッサは自分の中にはいってきたリチャードの人生も歩むのだろう。
冒頭、ヴァージニア・ウルフが川で入水自殺を図る場面は、時間、命、水の流れがリンクする。死を目前に想い出があふれ出し、死を目前に命の思い出が瞬間的に押し寄せるその時、体は逆らいのようのない水の流れと一体になる。
今ここに生きていることが不思議に思えた。
作者のマイケル・カニンガムはアメリカ小説界の実力派という。人の無意識に入りこんだ縦横無尽な想像力で、複数人の一生をたった1日で描ききっている。すごいな、と思った。
めぐりあう時間たち オリジナルサウンドトラック
1923年、1951年、そして2001年。3つの時代が何の違和感もなしに
めぐりあうこの映画は、音楽を書く上で時代ごとに書き分けるべきか、
それともひとつで繋ぐべきか。監督も作曲家も相当思案したことだろう。
ピアノの和音の連続が緊張感をかきたて、愛・友情・死といった
作品のテーマを見事に描いている。普通のスコアとは違って、
はっきりとした心に留まるメロディーのようなものはないが、
それだからこそ余計にこの映画のためにだけある音楽なのだ
という気がする。
めぐりあうこの映画は、音楽を書く上で時代ごとに書き分けるべきか、
それともひとつで繋ぐべきか。監督も作曲家も相当思案したことだろう。
ピアノの和音の連続が緊張感をかきたて、愛・友情・死といった
作品のテーマを見事に描いている。普通のスコアとは違って、
はっきりとした心に留まるメロディーのようなものはないが、
それだからこそ余計にこの映画のためにだけある音楽なのだ
という気がする。