ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争
本書を読んでもっとも示唆的だったのは、国家が遂行する「戦争」の広報を請け負うPR会社が存在することを、倫理的に断罪するのではなく冷厳な現実であり、かつ必然であるとしている点である。
取材対象となったPR会社は、確かにきわどいこともやってはいるが、情報操作とまで断言できるようなことはしていない。後々マスコミに暴露されるようなスキャンダルを抱え込んでいては、会社として存続していくことは不可能なのだ。
反対陣営のミロシェビッチ側に雇われたとしても、このPR会社は同様の緻密性と徹底性をもって確実に成果を上げていっただろうと思わせるに足るほど、「プロフェッショナル」という言葉がピタリと当てはまるような仕事ぶりなのである。だからこそ全米PR協会は賞を与えるにふさわしいと判断したのだろう。
国際報道機関が巧みに誘導され、その報道機関が国際世論を誘導していく。そして戦争の勝者となるか敗者となるかの鍵の一端を国際世論が握ることになった意味と重さを考えされられた。
そういえば、当時千葉大学の岩田昌征教授が孤軍奮闘、「ミロシェビッチ=悪人」説の底の浅さを痛烈に批判していたのを懐かしく思い出した。
取材対象となったPR会社は、確かにきわどいこともやってはいるが、情報操作とまで断言できるようなことはしていない。後々マスコミに暴露されるようなスキャンダルを抱え込んでいては、会社として存続していくことは不可能なのだ。
反対陣営のミロシェビッチ側に雇われたとしても、このPR会社は同様の緻密性と徹底性をもって確実に成果を上げていっただろうと思わせるに足るほど、「プロフェッショナル」という言葉がピタリと当てはまるような仕事ぶりなのである。だからこそ全米PR協会は賞を与えるにふさわしいと判断したのだろう。
国際報道機関が巧みに誘導され、その報道機関が国際世論を誘導していく。そして戦争の勝者となるか敗者となるかの鍵の一端を国際世論が握ることになった意味と重さを考えされられた。
そういえば、当時千葉大学の岩田昌征教授が孤軍奮闘、「ミロシェビッチ=悪人」説の底の浅さを痛烈に批判していたのを懐かしく思い出した。
ボスニア内戦 [国際社会と現代史] (国際社会と現代史)
あの凄惨な内戦を歴史的経緯から丹念に掘り起こしていった本
外部勢力からの干渉によって民族紛争の種が作られたWW2前
そして民族紛争を「なかった」ことにして安定を作り出したチトー
各都市で労働者が経営に関わる企業体を作って自主運営にまかせた
そして東西両陣営の間を上手に行き交い、そこそこの産業力と豊かさを手に入れた
その中で民族云々は別にして強固な利益配分の仕組みが作られた
まさにホモのかっちゃんがいうところの利権談合共産主義というやつだなw
しかし金を借りる企業と金を貸す企業のトップが同じで
とんでもない不良債権がふくれあがって、それが隠される、なんてことも発生し始めた
そしてIMFの介入によって生活レベルは下がり、利益配分の仕組みが崩壊する
しかも連邦内でも豊かな地域とお荷物の地域が存在し、再配分の仕組みが働いていたが
その中で東西冷戦が終結し、野心的な政治家が出現してくる中で
勝ち逃げのための独立をしようとし民族主義色を帯びてきた
社会の安定を支えていた仕組みが崩壊し、ヒャッハーなカオスが発生した
そして民族主義者の政治家は同族のDQNやマフィアを集め民兵組織に仕立て上げ
民族の違う隣人を迫害し虐殺を始めるようになってしまった
しかも仕切ってる人間は連邦軍あがりだし、みな同じ国民として教育を受けてきた
なので行動パターンがまったく同じで、迫害をすることで自分の民族性を確認したのだという
DQN民兵は同じ民族の穏健派や良識派にまで牙をむくようになった。もう止まらない
セルビアが加害者で、みたいなイメージがあるけど、実際にはどっちもどっちである
また同じ地域での利権争いが民族紛争へと転化していった地域も多かった
調停の中で民族ごとに地域を分割するようになっていたが
結局さ、社会の中には無法状態になったら悪逆非道をしたいDQNが少しはいて
そんなDQNにすごまれたら思わず従ってしまう人間が大多数なのである
過激で偏狭な民族主義はは民族が違うらしい隣人にヒャッハーする大義を与える
という意味で極めて手に負えない代物なのである
しかも民族の対立自体は過激化する言論が煽った虚像であった
民兵組織の大増殖と政府との連携のとれた悪逆非道について著者は、
日本政府が忠誠を誓った893を警察や自衛隊として認めるようなもんだという
終戦直後の三国人vs893というのを思い出してしまった
グローバリズムというのが副題についているんだけど
パウル・カレルのドイツ兵の捕虜の本で紹介した悪の組織のせいにする方式なんだが
どうも著者もグローバリズムというものをその悪の組織として描いて納得していないか?
グローバリズムは地域社会の安定の仕組みを破壊する外部からの干渉としか書いていないが
利権談合チトー主義はある程度の所までいけば経済的に破綻をせざるを得なくなったわけで
IMFの介入はどちらかといえば数年は民族紛争を先送りにしたように思える
欧州の戦後経済史の観点からの利権談合チトー主義の評価はあってもよかったのかも
ある程度進んだ国での民族紛争の発生に関してはその視点は重要だと思う
まあ日本で起きることはないんだろうけど、似たような構造の対立が発生したらどうするのか
熱くなってる人間や野心的な人間を徹底的に嘲笑することじゃないかな、わかんないけど
外部勢力からの干渉によって民族紛争の種が作られたWW2前
そして民族紛争を「なかった」ことにして安定を作り出したチトー
各都市で労働者が経営に関わる企業体を作って自主運営にまかせた
そして東西両陣営の間を上手に行き交い、そこそこの産業力と豊かさを手に入れた
その中で民族云々は別にして強固な利益配分の仕組みが作られた
まさにホモのかっちゃんがいうところの利権談合共産主義というやつだなw
しかし金を借りる企業と金を貸す企業のトップが同じで
とんでもない不良債権がふくれあがって、それが隠される、なんてことも発生し始めた
そしてIMFの介入によって生活レベルは下がり、利益配分の仕組みが崩壊する
しかも連邦内でも豊かな地域とお荷物の地域が存在し、再配分の仕組みが働いていたが
その中で東西冷戦が終結し、野心的な政治家が出現してくる中で
勝ち逃げのための独立をしようとし民族主義色を帯びてきた
社会の安定を支えていた仕組みが崩壊し、ヒャッハーなカオスが発生した
そして民族主義者の政治家は同族のDQNやマフィアを集め民兵組織に仕立て上げ
民族の違う隣人を迫害し虐殺を始めるようになってしまった
しかも仕切ってる人間は連邦軍あがりだし、みな同じ国民として教育を受けてきた
なので行動パターンがまったく同じで、迫害をすることで自分の民族性を確認したのだという
DQN民兵は同じ民族の穏健派や良識派にまで牙をむくようになった。もう止まらない
セルビアが加害者で、みたいなイメージがあるけど、実際にはどっちもどっちである
また同じ地域での利権争いが民族紛争へと転化していった地域も多かった
調停の中で民族ごとに地域を分割するようになっていたが
結局さ、社会の中には無法状態になったら悪逆非道をしたいDQNが少しはいて
そんなDQNにすごまれたら思わず従ってしまう人間が大多数なのである
過激で偏狭な民族主義はは民族が違うらしい隣人にヒャッハーする大義を与える
という意味で極めて手に負えない代物なのである
しかも民族の対立自体は過激化する言論が煽った虚像であった
民兵組織の大増殖と政府との連携のとれた悪逆非道について著者は、
日本政府が忠誠を誓った893を警察や自衛隊として認めるようなもんだという
終戦直後の三国人vs893というのを思い出してしまった
グローバリズムというのが副題についているんだけど
パウル・カレルのドイツ兵の捕虜の本で紹介した悪の組織のせいにする方式なんだが
どうも著者もグローバリズムというものをその悪の組織として描いて納得していないか?
グローバリズムは地域社会の安定の仕組みを破壊する外部からの干渉としか書いていないが
利権談合チトー主義はある程度の所までいけば経済的に破綻をせざるを得なくなったわけで
IMFの介入はどちらかといえば数年は民族紛争を先送りにしたように思える
欧州の戦後経済史の観点からの利権談合チトー主義の評価はあってもよかったのかも
ある程度進んだ国での民族紛争の発生に関してはその視点は重要だと思う
まあ日本で起きることはないんだろうけど、似たような構造の対立が発生したらどうするのか
熱くなってる人間や野心的な人間を徹底的に嘲笑することじゃないかな、わかんないけど
ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争 (講談社文庫)
とにかく、読むと、米国がどう動くのかが見えてきて、怖かった。
例えば、今イラクを攻撃したいのは、イラクが危険かどうかではないということだ。
欧州が反対しようが、イスラム圏の人々が怒ろうが、イラクが査察に応じようが、
国連が止めに入っても、何百万の非戦闘員が死のうが、
米国世論が「やっちまえ」に染まれば、やる。やるでしょう。ほぼ確実に。
それを操っているのが、広告代理店っていうのは、ブラックジョークでしかない。
今まで、映画や小説ではこういう素材はあったのだが、
ボスニア情勢という現実の事象で、その策謀をここまでつまびらかにされると、薄ら寒くなる。
米国の信奉する、自由主義社会って、こういうものなのかと。
それを勲章として堂々と公開してしまう”戦争広告代理店”もすごいと思ったが、
2002年いちばんの業績と賞を与えて評価する全米PR協会もすごい。
読後、米国という国の非情さと、凄さに感嘆しつつ、
米国発の報道を疑うようになりました。
情報という奴は、多かれ少なかれ操作されるわけで、
バイアスがかかっているかどうかは、オルタネイティブなものを
比較してくしかないんでしょう。アルジャジーラみたいにね。
取材の行き届き方といい、2002年、いちばんスリリングな1冊。未読の方は、ぜひ。
例えば、今イラクを攻撃したいのは、イラクが危険かどうかではないということだ。
欧州が反対しようが、イスラム圏の人々が怒ろうが、イラクが査察に応じようが、
国連が止めに入っても、何百万の非戦闘員が死のうが、
米国世論が「やっちまえ」に染まれば、やる。やるでしょう。ほぼ確実に。
それを操っているのが、広告代理店っていうのは、ブラックジョークでしかない。
今まで、映画や小説ではこういう素材はあったのだが、
ボスニア情勢という現実の事象で、その策謀をここまでつまびらかにされると、薄ら寒くなる。
米国の信奉する、自由主義社会って、こういうものなのかと。
それを勲章として堂々と公開してしまう”戦争広告代理店”もすごいと思ったが、
2002年いちばんの業績と賞を与えて評価する全米PR協会もすごい。
読後、米国という国の非情さと、凄さに感嘆しつつ、
米国発の報道を疑うようになりました。
情報という奴は、多かれ少なかれ操作されるわけで、
バイアスがかかっているかどうかは、オルタネイティブなものを
比較してくしかないんでしょう。アルジャジーラみたいにね。
取材の行き届き方といい、2002年、いちばんスリリングな1冊。未読の方は、ぜひ。