悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾
この書にたいして二つの疑問があった。
一つは、なぜ、大下英治が書いたのか。
その内容は 厳密に故人となった藤圭子の家族もふくめて、彼女のスタートを輝くためにたたかった男、さらにその娘の歴史。
こんなにも丁寧かつ具体的になぜ書くことが可能なのか。
著者の姿が知りたかった。
藤圭子にたいして、若いときから挑戦しきちんと調べ上げスッキリとさせてきたのだ。
「何回も何回も藤圭子に挑戦してきた。」
これだけ精密に描くことができて当然と言うべきか。
二つは「宿痾」という言葉を あえて 副題として えらんだのか。
宿痾は 一般的辞書では 次のように語られている。
大辞泉:長い間治らない病気。持病。痼疾(こしつ)。宿疾。宿病。「―に悩む」
著者の 過去に取り組んできた世界はひろすぎる。
今回 藤圭子なる歌姫のことを書いた。
一つのことへのこだわり。
異常と言えば異常。
決して異常で無いと著者は語っている。
藤圭子になる前までの話しは とくに 驚くべきことでは無い。
しかし、藤圭子が 引退したその後の人生、ならびに娘 宇多田ヒカルの物語は この著者しか描けない圧巻の内容である。
みごとである。
これほどの 藤圭子伝は今のところみあたらない。
いやそれをとりまく周囲の人間たちを具体的に紹介しているからである。
そして それを みとめていた当時の日本社会の状況が描かれている。
この書を読むことによって、大勢の諸氏は 藤圭子を必要とした日本の大状況を想像するであろう。
貴重なる 資料となった。
そして、かほど、著者に熱情をかけさせた 藤圭子という女神が存在したという事実に 感動する。
まとめる。
きちんとした 内容である。
藤圭子とそれをとりまく小状況、ならびに大状況を一挙にしかも詳細に描ききってくれた。
読者は 己の人生を 相対化せざるをえなくなる。
藤圭子は 魔法の女性といいたくなる。
しかしこの書は 「魔法を 魔法で無い」と美事に分析した。
著者に感謝する。
東宝映画「あなたへ」オリジナル・サウンドトラック
「あたなたへ」を見たときに、田中裕子が謳う「星めぐりの歌」に心が引かれて、CDを買いましたが、CDの歌だけ聴いても映画を見たときの感動は甦ってきません。やはり、映画の中で田中裕子が歌ったから良かったのだと思います。とは言え、DVDのレンタルが出たときには借りて、また見たいと思います。
Utada Hikaru Unplugged [VHS]
何も言う事はありません、必ず彼女はアメリカの音楽市場でも大成するでしょう、Mrs.ヒカル応援してます