アメリカの小さな町 (双書・20世紀紀行)
なんて書いたら異議を唱えられると思うのですが、
ふとそんな事を思いついたので書き記しておきます。
アメリカは私には縁のない所ですが、
いろいろな人の横顔に触れる事ができるこの本には
写真集のような味わいがあります。
ふとそんな事を思いついたので書き記しておきます。
アメリカは私には縁のない所ですが、
いろいろな人の横顔に触れる事ができるこの本には
写真集のような味わいがあります。
サンアントニオ・スパーズ 2004-2005 NBA CHAMPIONS 特別版 [DVD]
ファイナル2005 デトロイトピストンズとの死闘が見れます。
ピストンズファンとしては、2連覇が見たかったのですが、しょうがないです。
だって、Spurs強いんですもの、、、(-_-;)
その強さがきっと見れると思いますよ(^O^)
2006年Spursの2連覇はピストンズが阻止します。
ピストンズファンとしては、2連覇が見たかったのですが、しょうがないです。
だって、Spurs強いんですもの、、、(-_-;)
その強さがきっと見れると思いますよ(^O^)
2006年Spursの2連覇はピストンズが阻止します。
殺人者たちの午後
ある日突然、殺人者になるのではなく、生まれてからどの様に育ったのか・育てられたのかが理由の中を多分に占めるいると思えた、一見語り口は普通の人と変わりがないし、将来に夢や希望を持っていたり、彼らの悩みが私たちのそれとあまり変わりないことに驚く、とても不思議な気がした。殺人者のあまりにも自然体の語り口に、その人生までも納得してしまいそうになるが怖い。著者の意図を見事に訳した沢木さんにも脱帽。
サンライト
最近買ったシンセに付いているけど、どー使うの?。
ついつい、報道番組の「以前、犯罪をしていた人の声」wで使われる
使い方になっちゃいますネ!。
しかし、音楽的(何が音楽的は各々違いますが)に具体的に、
ヴォコーダーをどう使っているかの好例として、私はこの作品を押したい!。
美しいハーモニーの中で「歌う」ヴォコーダーメロディー!。
ともかく、クラフトワークのアウトバーンを聴く前に、まず、これでしょう。
ただ、いわゆる、ジャズの名プレイヤーの演奏ですので、ヴォコーダー無しの
アドリブで構成される作品(後半は特に)は、(アドリブは聴き方を要求してくるのでポピュラー
に成り辛いのかもしれませんね)、合う人、合わない人がいるでしょう。
しかし、所謂、LPのA面にあたる部分は、万人にお勧めしたいと思います。
ついつい、報道番組の「以前、犯罪をしていた人の声」wで使われる
使い方になっちゃいますネ!。
しかし、音楽的(何が音楽的は各々違いますが)に具体的に、
ヴォコーダーをどう使っているかの好例として、私はこの作品を押したい!。
美しいハーモニーの中で「歌う」ヴォコーダーメロディー!。
ともかく、クラフトワークのアウトバーンを聴く前に、まず、これでしょう。
ただ、いわゆる、ジャズの名プレイヤーの演奏ですので、ヴォコーダー無しの
アドリブで構成される作品(後半は特に)は、(アドリブは聴き方を要求してくるのでポピュラー
に成り辛いのかもしれませんね)、合う人、合わない人がいるでしょう。
しかし、所謂、LPのA面にあたる部分は、万人にお勧めしたいと思います。
g2 ( ジーツー ) 創刊号 vol.1
立ち読みしながら、矢野絢也さんによる『池田大作と私』の次の文章にひかれて購入をきめました。
”ともすれば、これまで池田氏については、批判的か妄信的かという両極端な視点からしか書かれて来なかったように思う。正確な歴史の記述のためにも、一九五五年に初めて会って以来、約五○年にわたって私が見てきた池田氏の「生(なま)」の人物像を記そう。”
30年近く公明党の中枢にいたかたの真摯な言葉です。また、創価学会から執拗な嫌がらせを受けた著述のあとで、こうも語っています。
”しかし、自分をこのような目に遭わせたのが間違いなく池田氏の意思、命令だと確信していても、彼を心底から恨む気になれない。恨みよりも「あの人らしいな」という気持ちが先に立ってしまうのが本当のところだ”
つづきを読めば、池田大作氏の、清濁併せのむという言葉の範囲にすらおさまらない、実像が浮かび上がってきます。”巨人”という言葉をあてはめても、まだ足りない気がします。また、”恨む気にならない”という言葉からは矢野さんの決意、自分の愛してきた、池田氏と公明党と創価学会への真の決別宣言ととることもできるのではないでしょうか。
矢野さんの文章は淀みなく、簡にして要を得ています。たんたんとした語り口から、リアリティーが作られるのです。
ただ、洗脳が解けたとかマインドコントロールという言葉をご自身にあてはめて使われているのですが、宗教という枠にとらわれず、誰しもが自らのつくったフレームでしかものをみることができません。矢野さんの場合、洗脳というより、あまりに近すぎて見えないものや当たり前すぎて表現がむずかしいことなどが、あるように感じました。
いつか、神でも悪魔でもない人間、池田大作伝がでるとしたら、矢野さんへのインタビューは、必須となるでしょう。
最後にこのMOOKについてですが、月刊現代の後続誌として「もう一度ノンフィクション雑誌をつくろう」と発刊されたとのこと。その心意気や由。
やはり、見たことのないものを見てみたいというやじうま根性と、それの情報を合理性で処理したいという人間の意識があるかぎり、文字によるノンフィクションは続いていくと思います。
ちなみに、巻末の沢木耕太郎さんによる翻訳ノンフィクションも、上上です。
VOL.1とあります。長く続いて欲しい雑誌ができました。
”ともすれば、これまで池田氏については、批判的か妄信的かという両極端な視点からしか書かれて来なかったように思う。正確な歴史の記述のためにも、一九五五年に初めて会って以来、約五○年にわたって私が見てきた池田氏の「生(なま)」の人物像を記そう。”
30年近く公明党の中枢にいたかたの真摯な言葉です。また、創価学会から執拗な嫌がらせを受けた著述のあとで、こうも語っています。
”しかし、自分をこのような目に遭わせたのが間違いなく池田氏の意思、命令だと確信していても、彼を心底から恨む気になれない。恨みよりも「あの人らしいな」という気持ちが先に立ってしまうのが本当のところだ”
つづきを読めば、池田大作氏の、清濁併せのむという言葉の範囲にすらおさまらない、実像が浮かび上がってきます。”巨人”という言葉をあてはめても、まだ足りない気がします。また、”恨む気にならない”という言葉からは矢野さんの決意、自分の愛してきた、池田氏と公明党と創価学会への真の決別宣言ととることもできるのではないでしょうか。
矢野さんの文章は淀みなく、簡にして要を得ています。たんたんとした語り口から、リアリティーが作られるのです。
ただ、洗脳が解けたとかマインドコントロールという言葉をご自身にあてはめて使われているのですが、宗教という枠にとらわれず、誰しもが自らのつくったフレームでしかものをみることができません。矢野さんの場合、洗脳というより、あまりに近すぎて見えないものや当たり前すぎて表現がむずかしいことなどが、あるように感じました。
いつか、神でも悪魔でもない人間、池田大作伝がでるとしたら、矢野さんへのインタビューは、必須となるでしょう。
最後にこのMOOKについてですが、月刊現代の後続誌として「もう一度ノンフィクション雑誌をつくろう」と発刊されたとのこと。その心意気や由。
やはり、見たことのないものを見てみたいというやじうま根性と、それの情報を合理性で処理したいという人間の意識があるかぎり、文字によるノンフィクションは続いていくと思います。
ちなみに、巻末の沢木耕太郎さんによる翻訳ノンフィクションも、上上です。
VOL.1とあります。長く続いて欲しい雑誌ができました。