ファッション―蝶は国境をこえる (岩波新書)
ファッションデザイナーとしての森英恵さんの自叙伝とも言うべき内容です。
しかし、それは「安かろう悪かろうで、デパートの地下で売られている」日本製品を出発点とした“ものづくり”、また、ビジネスとしてのファッションにどう取り組んできたか、というテーマと、一貫して関わっているのではないかとも思います。
たとえば、NYから日本に戻って彼女の考えたこと―日本のなかだけでやっていてはダメだ、欧米のものだと似合わないものでも大騒ぎ、自国のデザイナーが日本の生活やライフスタイルにあわせてつくったものは、それはそれ、という感じ。エネルギーが湧いてこない。一生この仕事をするのなら、外国人デザイナーと同じステージで仕事しよう。
また、78年に中国製品のデザイン指導を依頼された際のスピーチ。「重要なことは、あなたたちは中国人だということです。(中略)もちろん創作は、常に世界に通用する感覚でなければいけないから、そのためにはまず外国のことをよく知る必要があるけれど、それは自分を捨てることではない。」
自分のアイデンティティとして、外国人たちにうったえる感性の表現として、彼女が行き着いたものは、和服の伝統でした。しかも、それを普遍的に共通する生活感覚、「人間的な日常生活の真ん中」にある暮らしのなかの合理性として紹介していく、という姿勢。
そして、「日本はどこに位置しているのかしら」という問いかけも、国際デビュー当時からバルセロナ五輪日本代表ユニフォームのデザインまで繰り返し浮上するのです。
ファッションは時代の表現、と、森英恵さんは言います。好奇心のあるうちは、続けていきたい、とも。
では、そのよき時代を過ぎ、パリのオートクチュール撤退という事実を以って、その蝶は死んでしまったのでしょうか。
93年に出版された本著では、パリという立地の強みや仕事のしやすさも強調されていますが、同時に、熟練した職人達の高齢化、ランバンやサンローランらの経営不振、オートクチュールの衰退、といったことが、すでに意識されているのも感じます。
一気に読み通し、時代遅れな話だとは到底思えない岩波新書の一冊でした。
しかし、それは「安かろう悪かろうで、デパートの地下で売られている」日本製品を出発点とした“ものづくり”、また、ビジネスとしてのファッションにどう取り組んできたか、というテーマと、一貫して関わっているのではないかとも思います。
たとえば、NYから日本に戻って彼女の考えたこと―日本のなかだけでやっていてはダメだ、欧米のものだと似合わないものでも大騒ぎ、自国のデザイナーが日本の生活やライフスタイルにあわせてつくったものは、それはそれ、という感じ。エネルギーが湧いてこない。一生この仕事をするのなら、外国人デザイナーと同じステージで仕事しよう。
また、78年に中国製品のデザイン指導を依頼された際のスピーチ。「重要なことは、あなたたちは中国人だということです。(中略)もちろん創作は、常に世界に通用する感覚でなければいけないから、そのためにはまず外国のことをよく知る必要があるけれど、それは自分を捨てることではない。」
自分のアイデンティティとして、外国人たちにうったえる感性の表現として、彼女が行き着いたものは、和服の伝統でした。しかも、それを普遍的に共通する生活感覚、「人間的な日常生活の真ん中」にある暮らしのなかの合理性として紹介していく、という姿勢。
そして、「日本はどこに位置しているのかしら」という問いかけも、国際デビュー当時からバルセロナ五輪日本代表ユニフォームのデザインまで繰り返し浮上するのです。
ファッションは時代の表現、と、森英恵さんは言います。好奇心のあるうちは、続けていきたい、とも。
では、そのよき時代を過ぎ、パリのオートクチュール撤退という事実を以って、その蝶は死んでしまったのでしょうか。
93年に出版された本著では、パリという立地の強みや仕事のしやすさも強調されていますが、同時に、熟練した職人達の高齢化、ランバンやサンローランらの経営不振、オートクチュールの衰退、といったことが、すでに意識されているのも感じます。
一気に読み通し、時代遅れな話だとは到底思えない岩波新書の一冊でした。