『近代能楽集』ノ内「葵上」 三島由紀夫 [DVD]
三島由紀夫の「近代能楽集」については、そういう作品もあると知っているだけで、特に興味もなかったのですが。
知人から「自分ではよく理解できない部分があるので、観て感想を聞かせてほしい」と乞われ、難解なのか、退屈なのか、どちらだろう…と考えながら視聴。結論として私はどちらでもなく、非常に面白く観ました。
DVDオリジナルで舞台のDVD化でなないそうですが、いかにも舞台作品らしい手の動き、振り返るタイミング。そして研ぎすまされたセリフ。そのセリフは原作の一字一句違えず再現したとのことで、三島の文章力、言葉のシャープな美しさが大仰でなく、現代の我々にも不自然でなく入ってきます。キャストもよく、中谷美紀はまさにはまり役。柄本佑も映画で現代の若者役として演じるときより良い役者に思えます。
また、能楽の舞台装置を意識したのだと思いますが、フラットでシンプルな広がりのある空間と、幻想的な暗い色彩感覚と小道具のリアルさもすばらしい。セリフをアレンジしない演出方法もそうですが、私のこれまでの趣味の中で近いものを探すと、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが思い当たりました。
アップや引きの変化は映像作品ならではですが、できればこれは舞台で観たいと思う作品です。アップの表情はわからなくても、定点から見ることでセリフと所作が余計際立つだろうと感じます。ぜひこのままのスタッフ、キャストで舞台上演してほしいです。
なお、演者の芝居を楽しむうえでは能楽のフォーマットや古典能楽「葵上」への知識などは不要だと思いますが、源氏物語の六条御息所に関してだけはある程度知っていたほうが、古典を現代的に新解釈するという作品の力を一層感じられるはずです。
知人から「自分ではよく理解できない部分があるので、観て感想を聞かせてほしい」と乞われ、難解なのか、退屈なのか、どちらだろう…と考えながら視聴。結論として私はどちらでもなく、非常に面白く観ました。
DVDオリジナルで舞台のDVD化でなないそうですが、いかにも舞台作品らしい手の動き、振り返るタイミング。そして研ぎすまされたセリフ。そのセリフは原作の一字一句違えず再現したとのことで、三島の文章力、言葉のシャープな美しさが大仰でなく、現代の我々にも不自然でなく入ってきます。キャストもよく、中谷美紀はまさにはまり役。柄本佑も映画で現代の若者役として演じるときより良い役者に思えます。
また、能楽の舞台装置を意識したのだと思いますが、フラットでシンプルな広がりのある空間と、幻想的な暗い色彩感覚と小道具のリアルさもすばらしい。セリフをアレンジしない演出方法もそうですが、私のこれまでの趣味の中で近いものを探すと、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが思い当たりました。
アップや引きの変化は映像作品ならではですが、できればこれは舞台で観たいと思う作品です。アップの表情はわからなくても、定点から見ることでセリフと所作が余計際立つだろうと感じます。ぜひこのままのスタッフ、キャストで舞台上演してほしいです。
なお、演者の芝居を楽しむうえでは能楽のフォーマットや古典能楽「葵上」への知識などは不要だと思いますが、源氏物語の六条御息所に関してだけはある程度知っていたほうが、古典を現代的に新解釈するという作品の力を一層感じられるはずです。
若きサムライのために (文春文庫)
三島由紀夫のエッセイ・対談集。
日本刀の如く鋭い知性で様々なテーマがズバズバ斬られていく様は実に痛快だ。その知性の刃の放つ光輝に、私は魅惑されずにはいられなかった。
<芸術はどこまでいっても無責任の体系であるのに、政治行為はまず責任から出発しなければならない。そして政治行為は、あくまで結果責任によって評価されるから、たとえ動機が私利私欲であっても、結果がすばらしければ政治家として許される(中略)現在の政治的状況は、芸術の無責任さを政治へ導入し、人生すべてがフィクションに化し、民衆すべてがテレビの観客に化し、その上で行われることが最終的には芸術の政治化であって、真のファクトの厳粛さ、責任の厳粛さに到達しないというところにあると言えよう(pp21-22)>
ここでは政治と芸術という一見乖離した分野の間に一本の補助線がスパッと引かれていて見事だ。また、ここでの文章のリズムの素晴らしさは音読してみると良くわかる。
<イデアという究極のものに到達するには肉体の美しさという門を通らなければならないという考えがギリシャ哲学の基本的な考え方であった。しかし一方日本では、仏教が現世を否定し、肉体を否定したところから、肉体自体が肉体として評価されないのみならず、肉体が肉体を超えたもののあらわれとして評価されることは決してなかった(p39)>
肉体に関する本邦と西洋の捉え方の違いを、歴史・文化的な根っこにおいて考察している点が秀逸だ。換言すれば、文化を論じる際には歴史的教養がなければ著者のような本質的な洞察に至ることは難しい。
<そもそも敬老思想は農業社会の特質である。農業技術は経験のみが重みを持ち、天候の変化、農作物の豊作凶作の判断、作付(さくづけ)の判断、あらゆることに、いかにも無不規則な現象と思われるものが、長い長い年月の累積のうちには、自ずと法則を持っていることがわかってくる(p83)。>
良し悪しはともかく、これは近年の日本における敬老思想の衰退と無縁ではないだろう。高齢化社会をむかえた私たちは、新しい敬老精神の依拠すべきところについて真剣に考えるべき時に来ているのではないだろうか。そうしない限り、農業と老人がほぼ完全に切り離された世の中で高く評価される老人は、地道に勉強と技術の習得を重ねた者に限られるだろう。つまり敬老される老人とされない老人との二極化は今後ますます進行していくかもしれない。
<人間は、場合によっては楽をすることのほうが苦しい場合がある。貧乏性に生まれた人間は、一たび努力の義務をはずされると、とたんにキツネつきが落ちたキツネのように身の扱いに困ってしまう(p96)>
日本人はよく努力すると言われるが、意地悪く言えば(著者の指摘するように)英国的な貴族文化の欠如に由来しているとも言える。しかし私はイギリスの現在の凋落ぶりを見るにつけ、必ずしも貴族文化の欠如を恥じる必要はないと考える。
<核兵器、核兵器というけど、国土防衛というのは結局は日本刀の原理、国民の一人一人が相手を日本刀でブッタ斬るぐらいの覚悟と自信がなければ、核兵器をもったって所詮は張子の虎なんだよ(p143)>
この引用部分は、まるで現代人に向けて放たれた一言のようで、私は慄然とした。近隣諸国との関係がますます悪化している現在、核武装論が公に議論されるようにすらなってきた。しかし著者の指摘するように、最も重要なのは国民一人一人が国土防衛について真剣に考え、ある種の「覚悟」を持つことなのではないだろうか。
日本刀の如く鋭い知性で様々なテーマがズバズバ斬られていく様は実に痛快だ。その知性の刃の放つ光輝に、私は魅惑されずにはいられなかった。
<芸術はどこまでいっても無責任の体系であるのに、政治行為はまず責任から出発しなければならない。そして政治行為は、あくまで結果責任によって評価されるから、たとえ動機が私利私欲であっても、結果がすばらしければ政治家として許される(中略)現在の政治的状況は、芸術の無責任さを政治へ導入し、人生すべてがフィクションに化し、民衆すべてがテレビの観客に化し、その上で行われることが最終的には芸術の政治化であって、真のファクトの厳粛さ、責任の厳粛さに到達しないというところにあると言えよう(pp21-22)>
ここでは政治と芸術という一見乖離した分野の間に一本の補助線がスパッと引かれていて見事だ。また、ここでの文章のリズムの素晴らしさは音読してみると良くわかる。
<イデアという究極のものに到達するには肉体の美しさという門を通らなければならないという考えがギリシャ哲学の基本的な考え方であった。しかし一方日本では、仏教が現世を否定し、肉体を否定したところから、肉体自体が肉体として評価されないのみならず、肉体が肉体を超えたもののあらわれとして評価されることは決してなかった(p39)>
肉体に関する本邦と西洋の捉え方の違いを、歴史・文化的な根っこにおいて考察している点が秀逸だ。換言すれば、文化を論じる際には歴史的教養がなければ著者のような本質的な洞察に至ることは難しい。
<そもそも敬老思想は農業社会の特質である。農業技術は経験のみが重みを持ち、天候の変化、農作物の豊作凶作の判断、作付(さくづけ)の判断、あらゆることに、いかにも無不規則な現象と思われるものが、長い長い年月の累積のうちには、自ずと法則を持っていることがわかってくる(p83)。>
良し悪しはともかく、これは近年の日本における敬老思想の衰退と無縁ではないだろう。高齢化社会をむかえた私たちは、新しい敬老精神の依拠すべきところについて真剣に考えるべき時に来ているのではないだろうか。そうしない限り、農業と老人がほぼ完全に切り離された世の中で高く評価される老人は、地道に勉強と技術の習得を重ねた者に限られるだろう。つまり敬老される老人とされない老人との二極化は今後ますます進行していくかもしれない。
<人間は、場合によっては楽をすることのほうが苦しい場合がある。貧乏性に生まれた人間は、一たび努力の義務をはずされると、とたんにキツネつきが落ちたキツネのように身の扱いに困ってしまう(p96)>
日本人はよく努力すると言われるが、意地悪く言えば(著者の指摘するように)英国的な貴族文化の欠如に由来しているとも言える。しかし私はイギリスの現在の凋落ぶりを見るにつけ、必ずしも貴族文化の欠如を恥じる必要はないと考える。
<核兵器、核兵器というけど、国土防衛というのは結局は日本刀の原理、国民の一人一人が相手を日本刀でブッタ斬るぐらいの覚悟と自信がなければ、核兵器をもったって所詮は張子の虎なんだよ(p143)>
この引用部分は、まるで現代人に向けて放たれた一言のようで、私は慄然とした。近隣諸国との関係がますます悪化している現在、核武装論が公に議論されるようにすらなってきた。しかし著者の指摘するように、最も重要なのは国民一人一人が国土防衛について真剣に考え、ある種の「覚悟」を持つことなのではないだろうか。
11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち [DVD]
私は、高速バスで今年の7月に名古屋に行った時、名古屋のシネマスコーレという映画館でこの映画を鑑賞致しました。映画館の入り口で切符を買おうとした時、知らない方から「映画観るんだったら11.25自決の日がいいよ。すごく良いよ」と声をかけられました。
「実は、11.25自決の日を観に来たんですよ」と、私が答えたら、「三島由紀夫の金閣寺とか憂国は読んだ事があるよね。あれは、傑作だね」とか言っておられました。見知らぬ方が映画館の前で、これはいいよと、わざわざ声をかけられる事は、ない経験なので、
映画を観る前から気分が盛り上がりました。
しかも、後から家に帰って、観た映画の監督の事とかを調べたら、私が行ったシネマスコーレという映画館は、
この映画の監督自らが経営している映画館だったのです。そこで、観る事が出来て良かったです。
残念な事に最近、交通事故で若松監督は亡くなったそうです。最後から2番目ぐらいの作品になるのでしょうか・・・。
映画の内容はとても良かったです。楯の会を結成していく過程を描いているようです。
学生運動をしていた人が三島氏に傾倒していったようです。この映画では、楯の会の若者の中心森田君が
三島氏が日本の尊厳、国の防衛(自衛隊を日本正規軍に?)の為に行動を起こす事を
せかしているような描き方でした。自分を尊敬している若者から失望されたくないという感情も加わり、
考えに考えたあげく、行動を起こしたという描き方をしていました。
市ケ谷の自衛隊で人質をとって演説して、その後自決した三島氏の話をたんたんとサラッと、描いてる感じです。
この映画だと、三島由紀夫氏がとても、普通の人で、そうせざをえない状況にだんだん追い込まれ、
人が仰天する事をやったという感じでした。観る前は、三島氏をギラギラとした危ない人っていうイメージで
描いているのかと思いきや、そうではなかったです。普通の人っぽい感じに見えるから、
三島氏の言う事がとても、筋が通っていて、正しいなって思えてきます。
当時、頭がおかしいという意見が多かったようですが、そういう偏見を助長する描き方はしていないようです。
関係ないかもしれませんが、DVDの発売日11月25日した方が気が利いていると思います。
「実は、11.25自決の日を観に来たんですよ」と、私が答えたら、「三島由紀夫の金閣寺とか憂国は読んだ事があるよね。あれは、傑作だね」とか言っておられました。見知らぬ方が映画館の前で、これはいいよと、わざわざ声をかけられる事は、ない経験なので、
映画を観る前から気分が盛り上がりました。
しかも、後から家に帰って、観た映画の監督の事とかを調べたら、私が行ったシネマスコーレという映画館は、
この映画の監督自らが経営している映画館だったのです。そこで、観る事が出来て良かったです。
残念な事に最近、交通事故で若松監督は亡くなったそうです。最後から2番目ぐらいの作品になるのでしょうか・・・。
映画の内容はとても良かったです。楯の会を結成していく過程を描いているようです。
学生運動をしていた人が三島氏に傾倒していったようです。この映画では、楯の会の若者の中心森田君が
三島氏が日本の尊厳、国の防衛(自衛隊を日本正規軍に?)の為に行動を起こす事を
せかしているような描き方でした。自分を尊敬している若者から失望されたくないという感情も加わり、
考えに考えたあげく、行動を起こしたという描き方をしていました。
市ケ谷の自衛隊で人質をとって演説して、その後自決した三島氏の話をたんたんとサラッと、描いてる感じです。
この映画だと、三島由紀夫氏がとても、普通の人で、そうせざをえない状況にだんだん追い込まれ、
人が仰天する事をやったという感じでした。観る前は、三島氏をギラギラとした危ない人っていうイメージで
描いているのかと思いきや、そうではなかったです。普通の人っぽい感じに見えるから、
三島氏の言う事がとても、筋が通っていて、正しいなって思えてきます。
当時、頭がおかしいという意見が多かったようですが、そういう偏見を助長する描き方はしていないようです。
関係ないかもしれませんが、DVDの発売日11月25日した方が気が利いていると思います。
11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち [Blu-ray]
私は、三島に関してもこの事件に関しても、
詳しくは知らなかった。
ポール・シュレイダーの「ミシマ」もかなり前に
観てはいたが、あの映画の表現に関しては、
ちょっと違和感を感じていた・・
ただ、蛇足ですが、
皮肉ではあるが、
あの映画の音楽は素晴らしい・・・
フィリップ・グラスの音楽は、
度肝を抜かれます・・・
一度聴いてください・・
話は横道にそれましたが、
本題に戻って、
この映画が事実に忠実に作ったのか否か?は
知らないが、
少なくとも、この映画は、
三島が何か彼独特の修辞法で
日本のあり方を
日本人のあり方を
日本の軍隊のあり方を
日本の欧米列強との対し方を
三島ワールドでもって、
三島ユートピアで、
三島ワードで、
理想を理想論を
美しく文学者らしく
語ったり、
書いたりしたものが、
本人の意図か?
そうではないか?は、
別にして、
彼の小説が売れるように
この三島ユートピアも
どんどん
独り歩きし・・
森田らの若者を駆り立てた・・
三島の予想以上に
ごく一部の若者を
駆り立てた・・
言い出しっぺの三島は
後に引けなくなり・・
このへんは、
純粋な文学青年のまま、
純粋培養の大人になり、
二枚舌を持つことはできなかった・・
アドレナリン出まくりの
若者を翻弄できなかった・・
制御できなかった・・
そんな、イメージを強く持ちました。
この映画を観ていると・・
駆り立てられた若者の中の
一番の突貫小僧
森田という男に、
何か狂信的な破滅的な
自暴自棄的な
自殺願望があったような気がしてなりません・・
あの、三島が諭しても・・
「そんなこと、どうでもよくなりました・・」
「いつやるんですか」
「すぐに、やりましょう!」
もう制御不能状態でした・・
普通の大人だったら、
あの程度の若者なら
たしなめることも出来たんでしょうが・・
やはり、根っからのおぼっちゃま、
文学青年である三島は、
むしろ、森田に、
背中を押され
やむなく、
三島は、自分の弱さ(肝心なところで怖気づく自分の弱さ)
を、補ってくれる男・・として、
森田を事件の動力源、
切腹の動力源にしたような・・
ようするに、この事件の
核エネルギーは森田だったのでは?
と思いました。
事実はどうなんでしょうか?
詳しくは知らなかった。
ポール・シュレイダーの「ミシマ」もかなり前に
観てはいたが、あの映画の表現に関しては、
ちょっと違和感を感じていた・・
ただ、蛇足ですが、
皮肉ではあるが、
あの映画の音楽は素晴らしい・・・
フィリップ・グラスの音楽は、
度肝を抜かれます・・・
一度聴いてください・・
話は横道にそれましたが、
本題に戻って、
この映画が事実に忠実に作ったのか否か?は
知らないが、
少なくとも、この映画は、
三島が何か彼独特の修辞法で
日本のあり方を
日本人のあり方を
日本の軍隊のあり方を
日本の欧米列強との対し方を
三島ワールドでもって、
三島ユートピアで、
三島ワードで、
理想を理想論を
美しく文学者らしく
語ったり、
書いたりしたものが、
本人の意図か?
そうではないか?は、
別にして、
彼の小説が売れるように
この三島ユートピアも
どんどん
独り歩きし・・
森田らの若者を駆り立てた・・
三島の予想以上に
ごく一部の若者を
駆り立てた・・
言い出しっぺの三島は
後に引けなくなり・・
このへんは、
純粋な文学青年のまま、
純粋培養の大人になり、
二枚舌を持つことはできなかった・・
アドレナリン出まくりの
若者を翻弄できなかった・・
制御できなかった・・
そんな、イメージを強く持ちました。
この映画を観ていると・・
駆り立てられた若者の中の
一番の突貫小僧
森田という男に、
何か狂信的な破滅的な
自暴自棄的な
自殺願望があったような気がしてなりません・・
あの、三島が諭しても・・
「そんなこと、どうでもよくなりました・・」
「いつやるんですか」
「すぐに、やりましょう!」
もう制御不能状態でした・・
普通の大人だったら、
あの程度の若者なら
たしなめることも出来たんでしょうが・・
やはり、根っからのおぼっちゃま、
文学青年である三島は、
むしろ、森田に、
背中を押され
やむなく、
三島は、自分の弱さ(肝心なところで怖気づく自分の弱さ)
を、補ってくれる男・・として、
森田を事件の動力源、
切腹の動力源にしたような・・
ようするに、この事件の
核エネルギーは森田だったのでは?
と思いました。
事実はどうなんでしょうか?