原子力村の大罪
小出裕章は、東海村のJOC被曝事件を取り上げ放射線の恐ろ
しさを訴える、あの体が朽ちていく様は目を背けたくなる事実
である。
西尾幹二は、事故直後、米軍が船舶は西日本、ヘリは三沢基地
に逃れ、原発現場には一人の米兵も参加しなかったことから、自
国を守るのは外国人ではないことを強調する。
佐藤栄佐久は、数々の原発事故隠蔽の体質を知事時代に嫌とい
うほど体験してきている。
南相馬市長桜井は、地震・津波・原発事故に遭い、従来の復旧
・復興の考えでは到底解決しない状態であると訴える。
作家の玄侑は、風評被害や風化していく福島を何とか立て直し
たい気持ちのこもった自らのサイトを綴っている。
追伸の西尾幹二の震災当日を綴った怒りの文章は共感するもの
があった。彼が言うように、こと原発に関してはイデオロギー
も何もない、要するに合理的経済的に考えて、必要ないもので
あることは誰の目にも明らかなことであるからだ。
現代語訳 般若心経 (ちくま新書 (615))
般若心経に関する本は、結構読みましたが、この本が新しい解釈や示唆を与えてくれるようなものとは思えませんでした。どうもまどろっこしい感じの説明で、切れ味不足で且つ冗長といった感じがします。自分としては、宝彩 有菜氏の「気楽なさとり方 般若心経の巻」の方が印象深く読めました。
禅的生活 (ちくま新書)
読み終わった感想は「面白かったなぁ」というのと
「"禅"用語をそんなにちりばめなくてもいいんじゃないのか…」ということです。
巻末の索引の数、すごい。
生き方本にも色いろあるけど、わたしはこの人の生き方本は好きです。
押し付けがましくなく、あっさりとしていて、「こういう考え方もあるよ」と軽く示唆してくれている気がして。
逆に苦手な生き方本は「これが正しいの! 死んだらこうなるの! 先祖がこう祟るの!」と
「言い切っちゃってる」本です。
人の数だけ考え方もあるのだから、絶対はありえないのにな、と思ってしまう。
「禅的生活」って坐禅を組んだり棒でペシペシ叩かれたりというのかな、と思って読み始めたら、
どちらかと言えば普通の生活の中での生き方を書いていて、
より好感がもてました。
たとえ話も盛りだくさんで分かりやすかった。
仏教用語がぎっしり散りばめられている以外は。
特にハッとしたのは、「戦争を止めることに禅は役立たない」ときちんと書いていたこと。
あるがまま、を受け入れる「禅」だから、
敵が攻めてきたら攻めてくるまま、爆弾が落ちたら落ちたままに静かに受け入れることになってしまう。
「これは禅だけの問題ではなくて、色々な宗教に向き不向きがあるだろう」と
書かれていた作者さんの聡明さと率直さは読んでいてとても心地よかったです。
洋平へ―君の生きた20年と、家族の物語
授かった3人の息子が、
それぞれ様相の異なる障害児だったという佐々木夫妻。
妻の志穂美さんの子育てに奮闘する軽妙なエッセイと、
夫の博之さんの息子への2通の手紙で構成されています。
冒頭の博之さんの手紙はとにかく感動的。
『歩くことさえ無理……。
ううん、洋平。
おまえは走るんだ。
何年かかってもいい。
何十年かかってもいい。走るんだ。
どんなに遅くたっていい。
世界中で一番ビリってことはけっしてない。
父さんが、必ずおまえのうしろを走ってやる』
この手紙からスタートする20年の家族のドラマは
障害児を持ったこともない私にも
たくさんのことを教えてくれました。
生きるって、それだけですばらしい。
家族って、やっぱりすてき。
毎日の生活のなかに、小さな幸せがいっぱいあること。
小さなことに悩んだり、
人と比べてしまったり……。
そんな自分のありようが
この1冊で少し変わった気がします。
まわりみち極楽論―人生の不安にこたえる (朝日文庫)
玄侑宗久さんは臨済宗妙心寺派のお坊さんです。
来年の4月で50歳、三十路を過ぎてからの出家ですからお坊さん歴は20年に満たない。
そのせいか若々しい感じがしました。
「まわりみち極楽論」の副題は<人生の不安にこたえる>です。
極楽に行くにはどうしたらよいか、というハウツー本ではありません。
そうですね、、、楽(らく)に生きるコツを玄侑流にアレンジしてして紹介している本ですね。
極楽は「あの世」にあるのではなくて、こちら側にある。
楽を極めれば極楽である、幸福を追い求めるのではなく、楽しく生きることが大事であるぞよと玄侑さんは語っているように思います。
うん、読みまちがえてはいないでしょう。