歴史から消された邪馬台国の謎 (プレイブックス・インテリジェンス)
魏志倭人伝の記述自体から、邪馬台国を読みとる試みは多くなされてきた。
この書では、「同倭人伝」が書かれた頃の、北東アジア情勢(魏・呉・蜀の三国関係、朝鮮半島の状況、半島北辺の扶余族、鮮卑族、烏丸族などとの関わり)を踏まえて、「倭」の代表としての「邪馬台国」を解説しているので、「同倭人伝」記述への理解が深まるし、「魏」が、「倭・邪馬台国」に対して、他の周辺諸国・部族に比べて、飛び抜けて高く処遇していることもよく理解できた。
「魏志倭人伝」の記載をそのまま、うのみには出来ないかもしれないが、邪馬台国や「倭」の実情を読み解く史料として、決して、軽んずることは出来ない、との読後感である。日本書紀や古事記には、邪馬台国乃至それに対応する「勢力」(国や部族)の、明瞭な記載はないが、紀元後三世紀頃とされる畿内・大和政権成立過程を考える上で、同時期に北九州?に想定されている「邪馬台国」との関わりは、歴史学的考察で、無視され得ないと、感じられた。
日本の原発技術が世界を変える(祥伝社新書225)
福島第一原発の事故の後では皮肉なタイトル(別の意味で「世界を変え」た)となってしまった。地震・津波と原発との関係については何ら触れられていない。むしろ、ドイツで冷却水をライン川に流したところ、水温が上がってしまい、下流のオランダ流域での希少種の魚が絶滅しかかったことを取り上げた上で、「日本の原発の場合、冷却水を流す先は広い海だから、こういった問題は生じない」(56頁)とし、原発が海辺にあるメリットを指摘している。一方、各国の原発事情を紹介した部分は参考となる。中国・韓国の動きに要注意だ。
3・11の未来――日本・SF・創造力
3・11から半年経って発行されたことにすら意味を感じてしまった。いろんな方の論考に触れることができて、日本のSFというものの再考を読むことができる。現場にある悲しみやつらさなどとは距離があると感じてしまうが、その距離感がSFからみた3・11なのかもしれない。「小松左京、最後のメッセージ」と謳われていたが、もっと大きな使命が刻まれていると読むことができると思いました。
世界史の中の石見銀山(祥伝社新書202) (祥伝社新書 202)
中世の石見銀山についての詳細を知りたいという人にとっては満足いかない内容かもしれない。
それはそれとして、大航海時代のヨーロッパ諸国の大きな動きのなかで日本の中世史を捉え直そうという視点は面白かった。
ポルトガルのイエズス会宣教師が日本に辿り着き、布教を始めてから30年ほど経った頃、地球の裏側のヨーロッパではスペインによってポルトガルが征服されていた。(1580〜1640までポルトガルはスペインの属国だった!)
結果として日本ではスペインのカソリック系宣教師の発言権が強くなり、亡国のポルトガル系の宣教師たちは貿易によって生計を立て、日本で生きてゆこうとしていた、という状況認識は、僕はこの本を読むまで持っていなかった。多くのポルトガル人が日本に帰化しようとしたからこそ、スペイン語やオランダ語ではなく、ポルトガル語だけが外来日本語となってたくさん残っているのだとする指摘は、なるほどと思わされた。
江戸初期の大久保長安事件の真相追究など、疑問が残るところもあったが、喜望峰からインド、東南アジアを経て、あるいは太平洋を横断して日本にやって来る貿易商人たちのダイナミックな活躍を想像するのは楽しく、教えられることも多かった。
難解な専門書ではなく、文章は平易でサラっと読める。一次資料も多く取り上げられているが、著者が意訳してくれているので非常に読みやすい。
2〜3時間、中世海洋史と日本を取り巻くヨーロッパ諸国の動きを妄想しながら楽しむには良い本だと思う。