死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張 (新潮新書)
他の方も書かれている通り、これを無期服役中の人が書いているとなるとどうしても
おかしなところがある。著者の年代と内容と無期という判決からしても合致する事件が
みつからない。「実話?」「創作?」と余計なことがずっと頭から離れず、こちらもどんな
スタンスで読めばいいのか解らない。
内容は一言でいえば、塀の中の人は反省していないよ、ということ。反省していない事例が
沢山書かれている。塀の外でも被害者の人権より加害者の人権が尊重されているのでは?と
思うことが多いが、実際服役してもそれはかわらないようだ。テレビも見れて、外にいるよりも
労働は少なく3度の飯は保証されている。
しかし、私は死刑は現在肯定派だが、それでもこの本での「他の奴らはこんなに反省していない」
という描写に関しては、それは著者の主観ではないかと思うことが多かった。刑務所の実際の
処遇については事実であろうが、他の死刑囚の内心はわからない。著者の想像の部分が多い。
さて、著者は自称IQが高くて活字中毒で学はないけれども頭はいいとのこと。わざわざ理性的な
文章を書き、ちょっと難しい専門用語も使う。しかし根本的な「長年はいっていて自分はこんなに
反省してしっかりしているが、他人はこんなにいい加減」の「自分はしっかりしている」の部分が
浅いことが怖い。頭のいい中学生や文学青年かぶれの高校生にたまにこういう文章を見る。
文体と中身が合致していない。言い様のない気味悪さを感じた。ホラー。
裁判長!ぼくの弟懲役4年でどうすか (ゼノンコミックス)
2009年「裁判長!ここは懲役4年でどうですか」の漫画を担当している著者の弟が逮捕された
逮捕から裁判そして、判決の1年後を描いた実話
弟という、幼少の頃からよく知っている身内が逮捕されるというのは想像しているよりも過酷であるということが、物凄く伝わってくる
著者の視点のみで描かれ、弟本人の内面は推測で少し綴られるのみなので実際のところはわかりませんが、弟よりも家族の方がむしろ心理的負担が重たそうでした。(弟さんは楽天家?)
また、裁判官、検察官、弁護士により裁判の行方が大きく異なる可能性があるということを改めて認識した
人を裁くということは非常に困難であるし、真実を100%明らかにすることは不可能であろう
それでも、なにか釈然としないものが残った
「あさま山荘」籠城―無期懲役囚・吉野雅邦ノート (祥伝社文庫)
連合赤軍モノの本といえば当事者が記述したものが多いが,本作では吉野雅邦の友人が,吉野雅邦の少年時代や時代背景等も含めて,連合赤軍について第三者の視点で語っているという珍しい本です。
しかし,獄外の人間が書いただけあって,資料写真や東京地裁判決の要旨の掲載等,獄中の当事者では掲載できない資料が多くあり,資料的にも素晴らしい本だと思います。
当事者以外が記述した本では価格や文量も含めて手を出しやすい本なので,あの時代がなんだったのかと興味があるものの,手が出せないという人には入門編としてお勧めだと思います。
裁判長!ここは懲役4年でどうすか [DVD]
まず、映画(TVドラマ含む)の法廷シーンや留置場・刑務所・面会室などのシーンには、いいかげんなものが多いように思いますが、本作は手抜きなく事実通りに撮っています。
設楽統(したらおさむ)を主役にしたのは、キャスティングの妙でした。彼には、笑えるけれどどこか淋しくなさけない男を演じる上手さがあります。
「裁判所」を舞台にした映画ということで、異世界覗き見感はあるものの、真面目に訴訟問題を採りわげた裁判映画ではない。かと言っておちょくったギャグ映画でもない。裁判所のルールやトリビアを紹介する疑似体験映画として、そういう場所で起こってしまう笑いをネタにしたコメディ映画として、そこで起きる濃密な人間ドラマ、はたまた、『国民主権』という根本原則を思い起こさせる社会派映画として、等々、いろんな側面からアプローチをしてくれますが、その描き込みが、どれも『そこそこ』なレベル。面白く観ることはできますが、突き抜けたものはありません。そのあたりをどう評価するかでしょう。
問題は、裁判が「見世物」になっているにもかかわらず、それが中途半端な形だけの「神聖さ」を装っている点ですよ。見世物なら、テレビ放映すればいい。しかし、そういう完全な公開がなされず、ニセの「神聖さ」が維持されているのは、それによって利潤や権力を得る仕組みがあるからと、穿った見方もしてしまいます。そのあたりのジレンマは、うまく醸し出せていたと思います。
また、コメディ部分については、大根狩り現場で起こった殺人事件や、被害者遺族に謝罪する被告人のフザけた服装、万引事件で検事がクソ真面目に読み上げるエロビデオの題名、女子高生が大勢傍聴する痴漢裁判でやけにハッスルする裁判長、等々、結構笑わせてもらいました。
反省 私たちはなぜ失敗したのか?
“疑惑の総合商社”、“外務省のラスプーチン”と呼ばれ、世間から総バッシングを受け、2002年にそれぞれ収賄、背任の容疑で逮捕、現在も法廷闘争中である鈴木宗男と佐藤優のふたりが、自分たちは何故失敗に陥ってしまったのかを語る。と言っても、犯した罪を懺悔する訳ではなく、そもそも逮捕、起訴されるような事実はなく、すべては国策捜査によってでっち上げられたモノとして、影で画策した者、強いてはスケープゴードに仕立て上げられてしまったその背景について、自らの自戒と反省も込めて、赤裸々に告白する。モチロン、当事者側からの一方的な主張であり、真実としての信憑性は読者に委ねられる処であろうが、佐藤の「国家の罠」や「国家と神とマルクス」を読み、その的確な分析力とバランスの取れた見識の高さ、そして敬虔なクリスチャンとしての誠実さを感じた者からすると、語られている事に恐らく嘘はないなと思える。今書に登場する外務官僚のトップたちの余りに情けなく見苦しい行状ぶりに呆れつつ、巻末に紹介されている彼らの顔写真を眺めながら、この人が、オムツ・プレー、この人がアルマジロ、この人が、、、と見比べてみるのも一興(笑)。今はなき反権力スキャンダル雑誌「噂の真相」を思い出しつつ、この刺激的な暴露本が、左派やリベラル陣営からでなく、国家権力の中枢部から噴出したモノである事が面白い。ただ、読み続けながら頭にあったのは、検察のフレームアップ、捏造や高級官僚の自己保身など、毎度お馴染みの出来事であって、司法、行政の腐敗、病根について、さほど怒りを感じなくなってしまっている処。もはや、こちらも感覚が麻痺しているのかな。国民のひとりとして、これは問題、おおいに反省。