GOLDEN☆BEST/爆風スランプ ALL SINGLES
活動停止になってから10年以上経過したが、爆風の歌は何かにつけて聴きたくなる。
それはただ単に同時代を生きた者の“懐メロ”気分じゃなく、やはりファンキー末吉(ds)江川ほーじん&バーベQ和佐田(el-b)パッパラー河合(g)の演奏レベルの高さと不器用ながら一生懸命なサンプラザ中野(vo)の当時の生き様の歌詞に普遍性を感じ続けているからだろうか。
青春期の血気盛んさと爆風ならではの奇抜な発想がストレートに出た週刊東京「少女A」(1984)から「THE TSURAI」(1987)までの一連の曲、やがて「きのうのレジスタンス」(1988)「45歳の地図」(1989)では父親の心情をわかるまでの成長、「月光」「Runner」(1988)「大きな玉ねぎの下で〜はるかなる想い」(1989)でソングライターとしての覚悟とその代償がヒットという実を結んだのだと思う。
隠れた存在の「らくだ」の手の込んだ構成や「まっくろけ」(共に1986)のユーモアと社会風刺が同居した巧さには改めて感激した。
ファンキー末吉がコミック原作を手掛けた北京的夏 (講談社BOX)の主人公のドラマー・トオルが中国を目指したきっかけは“お子様/ティーンエイジャー向けロックビジネス”に躍起になる日本に嫌気がさしたからだったが、事実“バンドブーム”“タイアップ至上主義”“小室ブーム”でJ-POPsターゲットの低年齢化と同時に質の低下に拍車がかかり、残念ながらこの現象は爆風にも影を落とし始めた。
バンドの長期休暇後にリリースされたピンクフロイド「Money」(1973)のパロディー曲「カネ〜マネーに捧ぐ」(1990)や天安門事件で多くを失った者へのメッセージ・バラード「おおBEIJING」がセールスに繋がらなかったためか、それ以降“青春ソング路線”を歩まされることになる。 またツアー環境も「青春KINGがやってきた」(1992頃)ではホーンセクションやパーカッションを率いていたのに対し、『ピロリ』発表(1995)時ではサウンドの要であるキーボードさえつかない4人だけのステージとなり、はたから観ても経費が削られていたのを痛感した。
その後某TV番組の企画でユーラシア大陸ヒッチハイク横断を強要されたお笑いコンビへの応援歌「旅人よ」(1996)でこそ大ヒットに繋がったがバンドの結束力はすでに失われており(アルバム『怪物くん』『SINGLES』での疲れきったメンバー写真が物語ってる)、「天使の涙」などアルバム『ハードボイルド』収録曲はグランジのように憤怒に満ちた演奏と中野の鬱気味な歌詞の対比ぶりが活動停止(1998)へのカウントダウンを象徴するみたいだ。
ポップスほど短くないが、悲しいかなバンドという人間関係にも確かに旬は存在する。それでも人生は続けなければならない。
なによりポップスはティーンエイジャーとF1(20〜34歳の女性)層だけのものじゃない!!
彼らの新しい可能性と再生をひそかに願い続けている僕である。
AQUA CITY
もう何年聴いてないだろうか。アナログ盤
を聴かなくなり、CDを手に入れる機会もなく
ずっと忘れていました。
いつも、この盤を聴くと目の前に海が広がり
海風の香りがしていました。
久しぶりに、聴いてみよう。
杉山さんのまだまだへたくそな英語が心地いい、
ALONE AGAINが大好きです。
楽しいバイエル併用「ゼルダの伝説/ベスト・コレクション」
個人的には好きな曲ばかりが「広く浅く」そろってます。
曲によっては♭が6個もついてたり、バイエル終了程度の方にも少し敷居が高いと思われるものもありましたが、おおむねやさしい曲ばかりです。
ペダルを効かせて弾けば、サントラ並みの臨場感バツグンに聞こえること間違いなし! ですよ。楽譜どおりにきっちり弾くより、ゲームプレイ中のイメージで弾くといっそうステキです。
ゼルダ好きなら買ってみて損はないと思います!