3・11の未来――日本・SF・創造力
9・11以降、伊藤計劃という稀有な作家の存在によって日本SF小説も変わったが、では、3・11ではどうなのか、という関心を持って読んでみた。7月に亡くなった小松左京の巻頭のメッセージは良かったが...
その小松左京を始めとして、26名のSF作家、評論家たちの文章が、現実に起きた津波による災害、そしてその後今でも継続している原発の事故の実態をとらえきれなかった小説の想像力のなさのエクスキューズになっているような気がする。
もちろん、そうではないという反論もあるし、真摯な反省ものってはいるが、失礼な言葉で言えば浮世離れしている気がする。被災地の人々や復旧にあたった人たちには、そう思われても仕方がない。
でも、そもそも「SF」というジャンルにそこまで要求すべきなのか、という点も疑問。「浮世離れ」で何が悪いのかって開き直るつもりはないけど、現実は常に人間の想像力、創造力を上回るのではないか。そして、その現実を踏まえて、さらに創造していくという繰り返しなのでは。
この災害を経験したSF作家たちが、さらに優れたSF小説を生み出してくれることを一SF小説ファンとしては期待してやまない。
日本の原発技術が世界を変える(祥伝社新書225)
福島第一原発の事故の後では皮肉なタイトル(別の意味で「世界を変え」た)となってしまった。地震・津波と原発との関係については何ら触れられていない。むしろ、ドイツで冷却水をライン川に流したところ、水温が上がってしまい、下流のオランダ流域での希少種の魚が絶滅しかかったことを取り上げた上で、「日本の原発の場合、冷却水を流す先は広い海だから、こういった問題は生じない」(56頁)とし、原発が海辺にあるメリットを指摘している。一方、各国の原発事情を紹介した部分は参考となる。中国・韓国の動きに要注意だ。
世界史の中の石見銀山(祥伝社新書202) (祥伝社新書 202)
よく見ると私のレビューはいつも、は★1つか、4か5のどちらかが多い。自分の極端な性格を表しているようだ(笑
しかしこの本には★3つつけた。中間の評価だ。その理由をこれから述べる。
まず石見銀山に関する本は少ないように思う。ましてや新書で石見銀山を語った本となると寡聞にして聞かない。そういう意味で待望の本と言っていい。
著者豊田は本書において、石見銀山の繁栄をスペインによるポルトガル併合と結び付ける、新たな視点を提示する。
これが★2つ減らした理由なのだ。豊田はポルトガル・スペイン国家連合をポルトガルの亡国ととらえ、「国を喪ったポルトガル人の悲劇」として描くのだが、史実はどうだったのか? 大航海時代の両国の合同は、両国の主に経済界の要請。つまりお互いの勢力圏への相互進出の利益という理由で、両国民から歓迎されたものではなかったか。
豊田の視点は、いささか強引すぎるというものだろう。
しかしながら、その強引さを認めたうえで・・・、この本はなかなか読ませるのだ。
豊田はもともと作家だ。その作家の才能が、ポルトガル亡国の悲劇という「フィクション」を読ませる物語にしている。これが★3つの理由だ。
豊田の説には賛成できない。しかしこの歴史フィクションはなかなか読ませてくれる。これで★3つとした。
歴史から消された邪馬台国の謎 (プレイブックス・インテリジェンス)
私は邪馬台国論争について詳しい訳でないが、本書で新鮮に感じたのは、魏と倭だけに焦点を絞らず、魏志東夷伝に登場する他の民族との比較を行いながら、北東アジア史の流れの中で、魏と倭の関係を読み解こうとしている点である。東夷伝に登場する諸民族のうち、最も多くのページが割かれてるのが倭人であることや、「楽浪海中、倭人あり。」を「楽浪郡とその海の向こうに倭人がいた」と解釈出来ることからは、著者ならではとも言える北東アジア像が見えてくる。