山本五十六 (上巻) (新潮文庫)
本書を含めた、阿川弘之の海軍提督三部作を読むと、もう他の伝記作品は読めないのではないかと思われる程、素晴らしい伝記文学である。 伝記というとどうしても偉人崇拝的な筆致になる嫌いがあるが、本書ではそれは見受けられない。例えば、山本五十六が大本営参謀辻政信により、陸軍の厳しい戦況を訴えられ、海軍の応援を約束する行で、「山本はハラハラと涙をこぼし」とある。普通なら、「山本はそれほど情に厚い将軍であった」となるだろうが、本書では、「これは本当かどうかわからない」と続くのである。
漫然と読んでいてはなんだかよくわからないのも、本書の特徴に一つであろう。つまり、読者に考える余地を与えてくれているのである。しっかり頭を働かせながら、深く読めば、山本五十六という「人間」を見つめ、歴史的にみてかれに良かった点、悪かった点を冷静に見つめることとなる。そして結局、「でもやはり、偉大は人物であった」ということになるのではなかろうか。これは、「海軍提督三部作」に共通して言える事である。
生きるとは何か、戦とは何か、組織とは何か、歴史的、大局的認識に基づいた判断とは何か・・・。考えずには居れない作品である。
きかんしゃやえもん (岩波の子どもの本)
私の父はあまり育児を手伝わなかったと母から聞きました。
だけどそんな父がよく私に読んでくれた絵本がやえもんでした。
びんぼうきしゃ、びんぼうきしゃ、や
しゃしゃしゃしゃくだを読むたび、私には、父の声が優しくよみがえります。
今、これを読むのは、私の役目です。
やえもんのいろんな気持ちを面白く、美しい擬音で聞かせるこの本は、
子供たちも楽しがって読んでくれます。
今度帰省した時は、じいちゃんにもう一度かわいい孫たちのために
読んでもらいましょう。じいちゃんの株あがりっぱなしでしょう。
ところで、やえもんて、実在するんですよね。実は重要文化財。
日本最古の機関車10台の1号車として秋葉原の交通博物館に飾られていました。
楽しく読んだ絵本から、物を大事にする気持ちをもってもらえると嬉しいですね。
交通博物館は閉館してしまい、ちょうど今日から1年後大宮に開館するまでしばらくおあずけです。
それまでは、青梅にある、もう一台のやえもんを見に行きたいと思います。
復興の精神 (新潮新書 422)
被災地域に対して、自分ができることはどんな事だろうと考えた方も多かったと思う。
本書の中での養老孟司氏は、自分の利益のみを追求するのではなく、公に対して貢献することが必要と述べていた。
今一番必要なのはそれだと思う。
人それぞれの立場でできることを考えて実行に移すべきである。
例えば時間があってお金もあるような年輩夫婦は、被災地へ旅行へ出かけてそこにお金を落とすことで、東北経済
へ貢献するとか。または主婦であれば節約一辺倒ではなく、たまには贅沢な食材を購入して日本経済へ貢献すると
か、それぞれの立場で少しずつ公に対して貢献する気持ちを持てば、大きな復興のきっかけを作り得ると思う。
福島原発で作業を行っている作業員に対して、大井玄氏は、彼らに対してどのようにして報いることができるだろ
うと。感謝の念を語っている。しかし本当に自らを犠牲にして社会へ貢献しなければならないのは、日本を動かし
ているリーダー達であろう。国民は日本のリーダー達が命を賭けて日本を救おうとしている姿を見て奮い立つに違
いない。それが日本を一つにして人々を結束させる。今日本のリーダー達に求められているのはこのリーダーシッ
プであると思う。
阿川弘之氏は犠牲になった人々の命を無駄にしないということを書いている。
まさにそれはこの震災から我々はどれだけ学ひ取れるかに掛かっている。
山本五十六 (下) (新潮文庫 (あ-3-4))
海軍に所属し、軍縮会議にも参加、海外での評価も高い人物で論理的な部分も大きく先見性も高いが、とことん嫌った相手を許さずに、女性関係にも甘い男であるというイメージを本書を読んで持ちました
何とか三国同盟を阻止し、講和を早めにしたかった、というのは理解できますけれど、それが突然言葉は悪いんですが「どうしても開戦するというなら、開戦と同時にやるだけやりますよ、ただし、1年後はわかりませんけれどね・・・」という、およそ先の予測があまりない言葉にびっくりでした。先見性を持つ男の、責任ある立場がそこまで追い込まれていた、と見るべきか?はたまたどちらかと言えば自暴自棄になっての発言なのか?その点が著者の阿川さんも想像に頼っていて、阿川さんの推察では、今まで散々慎重過ぎる、あるいは弱腰の、親米派的な立場を取っていたところへ、いわゆる右翼的な立場の人々からの讒言に反発して「やってやろうじゃないか」と考えたのではないか?と考えているようです。私はこの本を読んだ限りに於いては、その阿川さんの説にもうひとつ納得出来ませんでした。かなり論理的思考の持ち主であり、いわゆる国家の行く末を考えていたであろう山本がそんなに簡単に考えを180度変換するとは考え難いと感じました。もちろん緒戦に叩けるだけ叩いて講和、という考えを持ったのかもしれませんが、米国民や英国民の考え方や、その指導者の徹底性を知っている山本からすると、個人的には信じがたい部分を感じます。
また、素晴らしい名将、という評価が定まっているような書き方をされているわけですが、実際のところはどうなんでしょうか?なかなか評価の定まらない感じを受けました。企画立案と先見性を持っていますが、同時に非常に感情的決め付けも多く見られるように感じました。そして真珠湾攻撃の戦果の大きさと、ミッドウェー海戦の負け方とは同じようなモノを感じます、つまり運は良かったのではないか?と。たまたま運良く進めば大戦果ですが、躓く時は非常に危険である、という事です。最も、ミッドウェー海戦の被害は撤退することによって、これでも小さく抑えられた、とも言えるように感じます。
もうひとつは、何故戦死する際の視察にあれだけの拘りをみせたのか?という事です。そんなに重要な感じもしないのですが、視察はやはり重要な任務なのでしょうか?また早期決戦の後の講和を有利に、というのは分からないでもないのですが、それを実行できる政治的勢力との承諾なり契約について全く行動を起こしていないところも気になりました。そして真珠湾攻撃時に自身は艦隊に同行していなかったのは何故なんでしょうかね?現場に近い方がより的確な指示を出せたような気がします。また、航空勢力の充実をこれだけ訴えつつも、艦隊戦による早期決着を考える、ということに矛盾があるようにも感じますが、当時の中ではコレが精一杯の抵抗だったのかも、とも思います。
海軍大将山本 五十六の人物像が気になる方にオススメ致します。