未来ちゃん
以前に宮崎駿がインタビューで「子どもは字を覚えると急に面白くなくなる」という主旨の発言をするのを読んだことがある。私はつよい反感を持った。子どもは大人の愛玩物ではない。子どもをヒトにするのが大人の役目だ。しかるべき準備を経て、子どもを子どもの世界から飛び立たせるのが大人の役目だ。
一方で子どもは「未完のヒト」ではない。子どもは子どもとして完成した存在でもある。子ども時代にしか経験できないこと、知り得ないことがたくさんある。だから、大人の夢を叶える素材として、子どもに大人の世界観を押し付けるのも罪である。
本書は雑誌「ブルータス」2010年12月15日号の表紙でつよいインパクトを与えた未来ちゃんを主人公とした写真集、その待望の復刊である。大昔に子どもだった私、未来ちゃんは思い出の中の過去の自分だ。いつも一生懸命、好奇心旺盛、どこにでも楽しみをみつけ、泣き、笑い、拗ね、怒り、おどけ、鼻を垂らし、鼻提灯をつくる。日本の子どもの原風景。まだこんな子どもが日本に居たことに感謝。それを見事に切り取ってくれた川島小鳥に感謝。どんなお嬢さんになるのだろう。大きくなってこの写真を見たら、どんな気持ちがするのだろう。恥ずかしい?いえいえ、誇りに思って欲しい。確かに君は、このときユートピアに生きていた。
Dear My Friends/トラウマ
「dear my friends」はまあよくある歌です。(それでもかなり素晴らしいですけどね。)
それよりも素晴らしいのは「トラウマ」です。
これ完璧です。
まあ私には到底共感できる詞ではないですが、言葉のチョイスも上手いし曲とのマッチングも秀逸です。
いや〜、鳥肌モンですよ。
詞にまったく共感できない私でも涙が込み上げてくるくらいすばらしい“歌”です。
売れれば良いってモンでもないですが、これは売れるでしょうね〜。
限界集落ーMarginal Village
65歳以上の高齢者が人口の50%を超え、独居老人世帯が増加し、共同生活の維持が危機的な状況に陥った集落のことを、「限界集落」、というらしい。その現場をリポートしたのがこの本である。市場自由化等による林業や稲作農業の衰退、過疎化・少子化による学校の統廃合、市町村合併による村落の周辺化などにより、集落の再生産力は著しく減退しており、今後、423の集落が10年以内に消滅する、ということである。
愕然とさせられる。が、著者(写真家)はそうした状況を丁寧な文章によって淡々と記述し、集落を取り囲む自然やそこで暮らすじいさんばあさん達の姿や表情を鮮明な写真でうつしだしていく。その文章に妙な感傷や社会告発意識はほとんど見られないが、けれど各地の集落住民たちの生業の困難さや、若者に見放されたような気のするさびしさ、過去にあった不幸な事件や、未来に対する展望の持てなさ、等々がそこには簡潔に記され描き出されており、これが数々の美しい写真とあいまって、強烈な印象を残す。