失敗学実践講義 文庫増補版 (講談社文庫)
作家で,工学博士でもある森博嗣の短編小説に,以下の一節がある。
「工学的な用語として,『安全』と『危険』という表現を彼らは頻繁に使用する。ハンバーガの包み紙が最終的に上下どちらを上にして止められているか,といった些細な問題さえ,安全と危険で判別される。この表現に違和感はない。たとえば,信号を赤か青のどちらか一つのライトだけにする必要があれば,工学者は間違いなく青いライトを選ぶだろう。何故なら,万が一電球が切れたときに,『停止』の意味になるからだ」(「どちらかが魔女」『今夜はパラシュート博物館へ』『どちらかが魔女〈森博嗣シリーズ短編集〉』所収)
何らかのアクシデントが起こったとき,文系(とくに法学)の人間は責任の追及を考えるが,理系(とくに工学)の人間は原因の追求を考える。これはどちらが良いかではなくて,両方考えなければ真の意味での解決にはならない。しかし,マスコミの報道が,しばしば文系寄りの発想に傾いていることについては,誰もがうすうす気づいていることだ。
この『失敗学実践講義』は,理系的発想で問題解決を図ろうとする本である。乗り物の事故から金融システムの失敗まで,人為が介入するアクシデントのすべてが守備範囲だ。全10講構成で,各講ごとに具体的な事件と問題点等が指摘されている。
たとえば,第1講で示される経験則は,「想定され得ることは必ず起こる」。今年の3月に日本を襲った大震災と,それに伴う原発事故で,私たちはうんざりするほど「想定外」という言葉を聞かされてきた。さて,「想定外」とは,想定され得ない出来事という意味だろうか。それとも,想定され得たにも関わらず,想定してこなかった出来事という意味なのだろうか。
著者である畑村先生は,今年6月に原発事故の事故調査・検証委員会の委員長に就任された。私はこの報告を心待ちにしている。誰の責任を問うべきか,という議論はもちろん大事だ。しかし,それが正当であるといえるためには,本書で説かれているような真摯な原因究明が必要であることも,論をまたない。是非とも読んで欲しい一冊である。
失敗学のすすめ
失敗から学ぶことは大事だと思っていましたが、ここまで真剣に考えたことはありませんでした。
失敗の定義から始まり種類・特徴、そして創造にいたるまでの流れはまさに圧巻です。
今現在もさまざまな失敗が表面に出てきていますが、そのほとんどは事前に予測し対処可能なものがほとんどです。
今の日本に求められているのは、失敗を隠すことではなく生かすことではないでしょうか。
一人でも多くの方に読んでもらって失敗に関するイメージを変えて欲しいと思います。
失敗学のすすめ (講談社文庫)
本書はタイトルのとおり、失敗から何をどのように学ぶべきか、そのコツと注意点が書かれている。それだけで十分に研究を必要とする内容に仕上がる。なぜなら、人は本質的に失敗を犯す生き物だから。そして痛い思いをしないと、本当には学べない生き物だからである。言われてみれば誰でも当然と思うのだろうが、それをきちんと追いかけて体系化しようとしたところが著者の非凡なところである。「失敗学」と名のつく類書は多く出ているが、本書から入るのが一番いいと思う。失敗学の概論から入れる感じがする。