本物シルクの5本指靴下!-婦人用2足組 ドクターシルク「くつしたの下」/冷えとり決定版!
人より足の指が長めだし冷えもきついので、履きごこちや効能を心配したけど、
私の場合は他の皆さんと同様に『当たり』でした。少しずつぬくぬくと温まり、
履くのと履かないのとでは全然ちがいます。そして温まるのに蒸れないのが、
今まで使ってた品と一番ちがうところです。それと、土ふまずの所が二重に
折り返されてるところもポイント。サポーターみたいにしっかり締まって
快適です。
けっこう伸縮性があるので指サイズの問題も無く、履きごこちの良さは評判通り。
ネットに入れずに洗っちゃってますが、全然大丈夫です。一応、左右、上下を
ひっくり返しながら使ってます。(←これ、かかとの無い靴下を長持ちさせるコツ!)
「冷え取りの本」を読んでる人は誤解は無いと思いますが、この靴下1枚で
ポカポカ温まるわけじゃありません。名前の通り靴下の下に重ね履きすると、
じわーっと保温されてつらい冷えが楽になります。あと、本にある毒出しによる
穴はひとつもあいてません。体調が良いのもありますが、糸の品質も関係してるん
じゃないでしょうか。
同じシルクと言っても純国産の生糸の値段は中国の寄せ集めシルクの10倍くらい
するそうですから、その辺を知らないと高く感じる人もいるかもしれませんが、
逆に生糸の靴下が欲しい人には、これ、おトクなお値段だと思います。
職場の冷え取り仲間も使ってますが、なかなか調子いいみたいです。
幸田文 きもの帖
和服のよく似合う幸田文を母にもつ青木玉が、母親の随筆の中から着物に関するもの38編集めた随筆集である。「きもののいろは」「きものの春夏秋冬」「きものの心意気」の三部に分かれている。例えば「初夏を着る」の随筆では「木綿もののひとえは、若い方にぜひ一度は着ていただきたい。夏のきものは心意気で着るものです。白地へ身丈いっぱいに青芦を、青くつんつんと染めて着てみたい」と季節に合う着物の選び方を述べている。
「あとがき」で元気だった頃の母の姿を思い浮かべる。「どの着物を着て、帯は何を合わせていたか、あれかこれか、改めて過ぎた時」を改めて懐しく振り返っている。
しだいに着物ばなれしていく現代、逆に着物の佳さ、美しさ、着た人の取り成りのやさしさに郷愁を感じる今日この頃である。着物には関心の薄い娘にも、再び着物への道をゆっくり取り戻してほしいと期待している。
幸田文 台所帖
これは今年もっとも涙腺ゆるませた本かもしれません。
彼女の描く「父・幸田露伴」が本当に好きなんですよね…
食べる、という生きる根幹と家族との思い出とが、
優しく、鮮やかに描かれています。
小石川の家 (講談社文庫)
巻頭から祖父・露伴の小言がくどい。
ついやってしまった失敗や悪事に対して「何故こうしたんだ」と言われる程うっとうしいことはない。
それが一挙手一投足に渡り、毎日続く。
祖父も母も口を開けばよくない処を指摘し、そうでないときはほったらかし。
怒られるよりは、ほったらかしの方がまし。
辛い。
著者にとって「自分を好きになること」は努力だったのではないか、と思う。
著者が祖父や母のことを書くとき、凄かった、こんなこともあんなこともできた、気力があった、人にも尊敬された、尊敬している、という。
好きだ、楽しかった、嬉しかった、という言葉はあっただろうか。
と同時に著者の諦めの早さ、やってみる前にできない理由を探す癖のようなものもしばしば見て取れる。
なるほど露伴ような論理と行動が一致した人、文のような実地の人にとっては歯がゆかったろうとも思う。
時間をかけてじっくり取り組んだだろう文章だ。
湧き出る事柄を、時間をかけて書いた文章は、読者にも時間をかけて読むことを要求する。
しかしネガティブな心情で、不愉快な事柄ばかり書き連ねているので、読む楽しみが浅い。
幸田文の本から著者の本に分け入った者には、共通の登場人物も興味深い。
ネタが重複する部分も多く、母娘の視点の違いが際立つ。
東京から長野へ一時疎開したときの、母方の親戚の冷遇は幸田文の文中では見なかった。
幸田文は病院で一人で息をひきとったそうだ。
娘は「また明日来るね」と言って、母の死後病院に行き「約束を果たした」という。
この熱の無さはなんだろう。
着物あとさき (新潮文庫)
玉さんは優しい。お母様の幸田文さんはどんどんものごとの本質に一直線に行く方であるが
玉さんはどこか遠慮がちである、それはその着物だけでなく、製作や過程だけでない。
着物にたづさわりご一緒した職人さんに対しての目の温かさがあり、滅び行く伝統への
懐古があるからかもしれない。
この本と幸田文の箪笥の引き出しはさることながら
この本と幸田文さんの「崩れ」「木」を読むと2人の作者の違いがふんわかと解かってくる気がする。